Ⅴ.パンと恋の予感
パン屋を出た僕は近くの書店に入った。
親に就活をすると言った手前、対策本くらいは買っておこうと思ったのだ。
一通りページをめくってみたがどれも同じに見えたので適当に面接対策とSPI問題集を一冊ずつ買った。
このまま帰っても良かったが家に一人でいると寂しくなりそうなので買ったばかりの本をカフェで読もう。
店に入りショーケースからサンドウィッチを選ぶ。
考えてみたらパンばっかり食べているな。
あと、飲み物は –
「素敵な色のコートですね」
「へ?」
間抜けな声を出して顔を上げると店員の女性がにっこりと笑っている。
ミステリアスな切れ長の目とツンとした鼻を、口角の上がった小さい唇が中和している。歳は僕と同じくらいだろうか。
「あ、えっと」
「黄色、お好きなんですか」
「あ、いやその、好きって言うか」
頭をポリポリとかく僕に彼女はふふっと微笑んだ。
「ごめんなさい、余計なお話してしまって。お飲み物はいかがされますか」
---
苦い。ココアでも飲もうと思っていたのに、格好つけてブラックコーヒーを頼んでしまった。
サンドウィッチを食べ終えて(ここのパンは話しかけてはこなかった)、面接対策本を開くが全く頭に入ってこなかった。
黄色。黄色の、コート。今朝のパンの言葉はこのことなのか。
可愛らしい女性に褒められる、昨日に比べれば大したことない予言だが、毎日事故に遭遇するわけでもないし、嬉しかったからいいか。
本のページをパラパラとめくると、どうも挿絵が気になってきた。人のバランスがめちゃくちゃなのだ。顔はリアルに描かれているのに身体はちぐはぐ。腕が短か過ぎておへそまでしかないじゃないか。
職業病というべきか、気になってしまった僕は歪な挿絵の横に自分の絵を描き始めた。そうそう、このバランスだ、それからスーツの襟はもう少し –
「絵、お上手ですね」
「わっ」
「あ、ごめんなさい、私また余計なこと。コーヒーのおかわりいかがかと思って」
「あぁ、まだ残っているので大丈夫ですよ。絵、お恥ずかしいです、こんな落書き」
「いいえ、すごくお上手。きっときちんと勉強されてきた方なんですね」
いやいやそんな、と謙遜する僕に彼女微笑んでからカウンターに戻っていった。
なんだか懐かしい気待ちがしたのだけど、その正体は小学生の頃の思い出だと気付いた。
休み時間、僕が絵を描いていると周りに友人が集まって褒めてくれたっけ。次々出されるお題のリクエストに応えて描くと盛り上がったものだった。絵の道を志したのも、あれが原点だったのかも知れない。
久しぶりにホカホカとした温かい気持ちになり店を出た。
店員の女性と目が合ったので会釈をすると、「また来てくださいね」と言ってくれた。切れ長の目は、笑うと目尻が下がって可愛らしかった。
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