セミのいた村

シメ

ある村の話

 ただひたすらに絵を描いているだけの男がいた。彼は絵が完成するたびにサインを書き入れ村の集会所に飾っていった。たくさんの人に見てもらいたくて、集会所の前に「絵画はこちら」という看板も出した。村の人は誰も何も言わなかった。それでも男は自分のために絵を描き続けた。その中には見目麗しい少女の絵もあった。少女のモデルはとある国の王女さまだった。しかし男はその少女が王女ということは知らなかった。


 ある日、大きな嵐が来た。あの看板が吹き飛ぶほどの強い風が吹き荒れた。村は大騒ぎになった。嵐が止むと、雨漏りのひどい家のこともほっといて男はのっそりと自身の絵を見に行った。集会所は何事もなかったようにそこにあったし、飾ってあった絵も無事だった。しかしおかしな事に見知らぬ人の見知らぬ絵が自分の絵の横に飾られていた。ただの偶然だろう、むしろ絵に興味がある者が増えるのは嬉しいことだと思い、男はそのままにして帰った。


 男はまた絵を描いては飾り続けた。絵の置き場もなくなってきたので古い絵は倉庫にしまい始めた。そして知らない絵描きの絵はますます増えていった。一人だけでなく何人もの作風だった。題材は虫や怪物ばかりと不思議な偏りがあった。何故か男の絵を模したものもあった。それでも男は気にせず絵を描き続け、絵の隅にサインを書き入れた。そして絵を飾った。


 ついに、男のサインを真似した絵すら出てきた。似ているようで、一部をあえて似せていないサイン。そして男が過去に描いたモチーフ――長髪の少女――が描かれていた。その絵が集会所に置かれてから、少女の絵はどんどん増えていった。タッチが違うだけの同じ見た目の少女は無限に増えていった。そのうち集会所は少女の絵で埋め尽くされた。


 とある晴れた日。村の外が騒がしかった。男は筆を置き、何事かと村の外を見に行った。そこでは男の描いていた少女に似た格好の人物が大きな声で演説をしていた。少女が演説をしていると、集まっていた群衆の中の一人が少女に罵声を浴びせ始めた。それに対して少女は正しそうに聞こえる言葉で反論し始めた。諍いはしばらく続きそうだったが、男は特に気にもせず家に帰ってまた絵を描き始めた。ふと下を見ると足元にセミの死骸があった。男はそれを窓から投げ捨てた。


 それから毎日のように村の外では誰かが演説をしてした。何か大きなものに対して反発しているらしいことだけは男にも分かった。そして毎回群衆と諍いを起こしているらしいことも分かった。しかし男には関係のない話だったので、わざわざ聞きに行くことも仲裁することもなく、いつものように絵を描き続けた。何日かすると、演説を聞くうちに演説をする側に回る村人もいた。


 何年も経つと、村が昔と何も変わらない代わりに演説者がほとんどいなくなった。村の外での演説騒ぎは一握りの村人が「そんな事もあったね」と懐古するような古い出来事になった。そしていつの間にか男は村から旅立っていた。風の噂では海を渡った先の国で絵を描き続けているらしい。演説をしていた少女はどこか川沿いに村を作った。演説者になった村人のほとんどは川沿いの村へ引っ越していった。その村ではみんな幸せに暮らしているらしい。


そして、村の集会所にはもう新しい絵は飾られなくなった。


古びた集会所でセミがミンミンと鳴いた。

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