流れ狸はまた流れていった
引受人達がやってくるのとほぼ同時にアパートのドアが勢いよく開き、中から碧人が飛び出してきた。彼は焦燥しきった様子で彼らに駆け寄る。何故か手には烏龍茶のペットボトルを持っている。
「奴が逃げ出した!」
「何!?」
「催眠術のようなものを掛けられてしまったんだ。眠らされた隙に姿を消した!」
「一応、中を検めるぞ」
言いながら引受人のうち数人が部屋に乗り込み隅から隅まで見てみるが、確かにどこにも真朱はいない。
「大変、申し訳ない」
「いや、まさか催眠術を使うなんて俺達のチームも予想してなかったからな」
「お前では対処のしようもなかったろう。上も、そう強くは咎められないだろうよ」
「……すまない、本当に。俺も探しに出る。もしかしたら街の外まで行ったかもしれない」
「手が多いに越したことはないからな」
「では俺達も動く。必要に応じて連絡を」
「ああ」
引受人達のうち二人は車に乗ってアクセルをベタ踏みし、残りは周囲の道へと小走りで散っていった。それをしっかり確認してから、碧人も走り出す。
事前に調べた、監視カメラの死角になる道ばかりを選んで進んで行く。息を切らせつつも街の外れまで走り抜け、そこで街の方を振り返り深々と一礼する。それから一気に境界線を越える。途端に彼の姿は巨大な白狸に変じた。口にペットボトルを咥えながら跳ねるように転がるように駆け、あっと言う間に遠ざかり見えなくなった。
「俺は指示を受けた。あいつは逃げた。残った事実はそれだけだ」
男はロフトの壁の中の仕事部屋で、床に座り壁に凭れながら残り少なくなった烏龍茶を飲み干した。
『お前、なんでも重要保護対象に逃げられたんだって?』
「仕方ないだろ、俺、訓練も受けてなきゃ特殊技能も無いただの一般職員なんだから。いくら懐かれていたとはいえ、あんな化け物の引き止め役を一人でやるってのが土台無理な話だったんだ」
『まあ、それもそうだなー。……そういや聞いたか、この前潰された悪趣味成金野郎に絡んだ話。なんでも、うちの組織の研究者数人も奴に繋がってたらしいぜ』
「は?」
『珍しい資料を横流ししたり生きたサンプルを “見世物” として貸し出して私腹を肥やしてたんだってよ。しかもそれだけじゃねえ。他の好事家な金持ち共とも同じような取引してた疑いが出て来て、倫理委員会始めあっちこっちの部署が調査始めてる』
「……まさかとは思うが、あの化け物の保護を提案した研究員も」
『ばっちりそのリストに入ってる。……お前、ドジったはずが意図せず正義の味方になっちまったな。相手が化け物とは言え何してもいいとはなんねえからなあ。うちの組織がそれを放っておいて良しとする程落ちぶれちゃいねえって確認できてよかったよ』
適当な所で同僚との通信を切る。
ロフトから部屋を見下ろしてみると妙に広く感じた。彼女がここにいたのはせいぜい二週間弱だったのに。
別に、そこまで深入りした訳じゃない、お互いに。でも印象は悪くなかった。少なくとも、俺から彼女に向けてのものは。
もう彼女はこの街には寄り付かないだろう。むしろ近づいたら阿呆だとすら思う。自分を捕まえようとする人間のいた場所に自ら寄るなんて非論理的だし不合理だ。
でも。彼女は化け物……おおよそ、一般的な人間とは異なる生き物だった。比較対象がアレだったとはいえ、危険と隣り合わせの自由を自ら進んで選んでしまうような奴だった。これらに関しては実際見たんだ、間違いがない。だから、もしかしたら。
次会えたら、そうだな。また雑炊を作ってやろう。
今日も雨が降っている。風邪ひくなよ、と思わず口から零れた。
流れ狸は街に辿り着いた あんび @ambystoma
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