彼に良策は無かった
翌朝、うちの部屋の扉がチェーンソーでずたずたにされた事は周辺に知れ渡り、俺には「ロフトに隠れていたから無事だった」と言い張り続ける仕事が課せられた。嘘は言っていない。厳密にはロフトの壁の中だが。
その騒ぎで警察などが部屋を出入りする間、真朱はぬいぐるみのフリをし続けていた。彼女はつつかれようが横に除けられようが無茶な体勢にさせられようがじっと黙っていた。あれは褒めてやってもいいと思う。大学からも片が付くまで暫く休んで良しと連絡が入った。
一通り人が捌けてから、入れ替わりにやってきたのは組織の現場担当の連中だった。彼らは俺から状況を聞き出し確認するとそのまま次の仕事場へ直行していった。これであの男共は関係者共々可及的速やかに “処理” されるだろう。
現場担当達が帰ったのを確認しロフトから顔を出した毛玉狸に、よかったな、と声を掛ける。風邪はすっかり良くなっていた。彼女はしかし、どこかこちらの様子を窺うように、何か思案するように目と鼻をひくつかせていた。
「助けて頂いて、感謝しかありません」
「ああ、別に、これが俺達の仕事だからな」
「……本当にそれだけですか?」
重い口調だった。
「行きずりの化け物、それもこの街から見たら異邦の存在である私の為にそれなりの規模の組織が、このようにすぐに動くなんて考えにくくないですか?そこまでして救う理由が、薄いと言うか」
一言一言、刻むように言葉を続ける。
「それに、私の身体が取引される可能性があるのが問題、のような言い方してましたが。貴方、私の……化け物の肉や骨や皮などに何か効力があるなんて一切思ってませんよね?それにこれらは、公的機関によって取り引き禁止品に指定されてる訳でも無いですし」
「ああ」
「あの……何か隠してませんか?」
そういって真朱はじっとこちらを見据えてくる。それを無視して、俺は冷蔵庫から500mlの烏龍茶を二本取り出し一本を彼女に投げた。彼女はそれを受け取ると、ロフトから飛び降り人間の姿になる。
「ここ、座れ」
ベッドの上、自分の隣を示す。彼女は素直にそれに従った。
「まず先に断っておくが、俺があんたを助けたのは仕事だからってだけじゃない。一応、俺にだって最低限の情位はある。……それはそれとして、うちの組織がここまで精力的に動いた理由はだな」
烏龍茶を一口飲み唇を湿らせる。
「出会ってそんなに経たないうちに、あんたの事、上に報告させて貰った。外から来た存在、ひいては特殊な個体である以上、必要な処置だった。結果、上の奴らの一部があんたに興味を持った。……然るべき施設に入れて、その性質や能力を調べたい、と。それを順調に進める為にも、あんたを害したり攫ったりする可能性を孕んだ因子があれば全て排除しろってさ」
変身能力もだが、周辺状況への高過ぎる感知能力も上の興味を惹いたらしい。もしかしたら、他所に持っていかれる位なら自分たちの手元に置いておきたいというだけなのかもしれないが。
「自由はだいぶ制限されるだろう。だが代わりに、衣食住と身の安全は組織と街によって保障される。……この提案した連中は多分、あんたには断る理由も権限もない、と思っている。数時間後には迎えの奴らが来るだろう」
彼女は黙りこくった。そうして暫く手元のペットボトルを眺めていたが、唐突にすっと顔を上げた。
「私、そんなの絶対嫌です!確かに外には危険な事も沢山あります!けれど、その危険を背負ってでも、見たい物、行きたい場所、知りたい事、まだまだ沢山ありますもの!」
まあ、予想できなかった展開では無かった。
「そうか。でも俺はあんたを捕まえとくように指示を受けている」
「それは……。……貴方に、迷惑をかけたくはありません。命の恩人、なので」
彼女は項垂れた。その耳が下を向き尻尾が萎れ目の輝きが消える。狸の姿の時であれば割合気安く伸ばせた手が、どうしたって、固まる。肩に触れる事さえ憚られる。いやこれは、きっと彼女の見てくれの問題だけではない。
俺は、下っ端だから。彼女の処遇をどうこうするような力はない。そもそも、そんな事したって自分に得はないし、むしろ組織での立場が悪くなるかもしれない。
「……そうだ、指示を受けたんだ、俺は」
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