流れ狸は街に辿り着いた

あんび

流れ狸は濡れ鼠だった

「おい、ここらでこういう化け物を見なかったか?」

 そういって男が差し出してきたA4サイズの写真には奇妙な狸が写っていた。

 真っ黒な目に真っ白な身体。目の周りや足先、尻尾の先は鳥居のような赤。爪は金色。目の上に金色の毛が麿眉のように生えている。更に額には、縦に赤いラインの入った、逆さの雫型をした金色の模様が。

「……なんスかいきなり」

「知らないなら構わない」

 情報を得られないと思ったらしい男は写真をしまい込み無愛想に去っていく。その背を見送ってから俺は溜息一つついて家に向けてまた歩き出した。





「……お前、本当に何者?」

 一人暮らしを想定して借りた部屋はそんなに広くない。来客用の椅子なんか無いその部屋で、ベッドの上にちょこんと座っていた山吹色の着物の女性はううんと首を捻った。

「申し訳ないんですがこの前説明したので殆ど全て……ハッ、クション!クシュン!」

「あー分かった。食事出来るまで寝てろ。ぶり返されたら面倒だ」

「……すみません」

 ぽん、と軽い音が響くと彼女は白と赤の巨大な毛玉に変わった。それは床に下り、適当に敷かれた厚手のタオルの上で丸まる。それに、同じく床に投げ出されていた毛布を掛けてやってから、俺はキッチンに向かった。


 こいつ――名前は『真朱ましゅ』だ――との出会いは一週間程前。

 その頃は大雨のせいで街のあちこちが水浸しになり、更には沿岸で監視員が一人死にかけたとかなんとかで騒ぎにもなっていた。自分のアパートの前のコンクリで両岸を舗装された川も濁り増水しており、流木やらゴミやらがあちらこちらに引っかかっていた。

 そんな折、天候がいまいちとは言え大学には行かねばとアパートを出て川沿いに歩いていた時の事だ。その川岸、何本かの幹が絡み合い足場のようになったところに、濡れそぼった茶色く汚れた毛の塊があるのが見えた。ゴミだろうと思ってスルーしかけたが、その毛玉がこちらを見上げたのが視界に入った。思わず見下ろすと、それはでかい狸だった。その狸は後ろ足で踏ん張ると立ち上がり、此方に向かってまるで助けを求めるように前足を振る。

 なんだこいつ変な奴、と思った。しかし、このまま放っておけばまたあの濁流にのまれてしまうのは明らかだ。流石にそれでは夢見が悪いと思った俺は、アパートまで物干し竿を取りに早足で戻った。


 狸は物干し竿をよじ登り道路まで上がって来た。でかい。ちょっとした大型犬よりもずっとでかい。狸じゃなけりゃ命の危機を感じていた。

「本当なんなんだこいつ?」

 思わず口に出た。すると狸は尻をつけるように座りながら一言発した。

「助けて頂きありがとうございます」

「……は?」

「ついでによければ、身を清められる清浄な水場を教え……グシュン!ハクチュン!う、ゲッホゲ、ホ!」

 苦しそうに咽っ返る。いやなに。なんなのまじで。鸚鵡や鸚哥じゃあるまいし。いや、あれだって文字通り鸚鵡返しをするだけでこんな風に明らかに意思疎通を目的とした発話なんかしない。

「あ、これじゃ話し辛いですよね、ええと」


 クラッカーのような破裂音がした。見るとそこには奇妙な身なりの女性が立っていた。黄色っぽい着物。毛に覆われた大きな耳と尻尾。へんてこな化粧の顔。髪に付けられた一枚の葉っぱの髪留め。ただしつむじからつま先まで泥まみれだ。

「ハッ、クション!……驚かせて悪いんですけど、……とりあえずは身体、洗いたいんです。そういうのできそうな場所、教えて貰えませんか?」

 よくよく見ればその顔は妙に赤い。さらにどうにも立ち方が頼りない上全身小刻みに震えている。風邪をひいてるのは一目瞭然だ。そんな事を考えてると彼女の姿はまた狸になった。そのままこてんと横たわり荒い呼吸を繰り返す。

 訳が分からない。分からないが、俺は気づいたらスマホで友人達に代返を頼み、狸をなんとか引き摺りながら自分のアパート、二階の自宅まで向かっていた。


「いいか、お前の話を整理するぞ」

「はい」

 再び人間の姿を取った真朱は床に座りながら、めんつゆで簡単な味付けをし人参と椎茸しか入っていない雑炊を至福といった表情で食べている。その横でベッドに腰掛けた俺は、肘を膝に当て頬杖を突きながら彼女を見遣った。

「出身はここからずっと西。山の中に棲んでた化け狸の一族の一匹。森林開発と化け物狩りが活発化したため土地を離れた。歳はだいたい100歳。この前の嵐の際に川に飲まれてこの街まで流れて来た。……合ってるか?」

「はい、合ってます」

 はあ、と深く深く息を吐いた。この科学全盛の時代に何を言ってるんだこいつ、というのが正直な感想だ。この街の市長なんて3Dプリンター製の肉体に乗っかったAIだぞ。そもそも俺はその手のオカルトや妖怪なんて認めずここまで育ってきたんだぞ。そこにいきなりこんな日本昔ばなしみたいな話する奴現れたってどうやって信じろってんだ。


「私の話、信じてないですよね、多分」

「ああ」

「うーん……まあ、こうやってお宿を貸して頂けただけでもとてもありがたいので」

 彼女はふにゃりと笑うと同時にまた咳き込んだ。慌ててペットボトルの烏龍茶を差し出す。伸ばされた彼女の手の爪はマニキュアを塗っている様子もないのに真っ金色だ。

 ……まあ、化け狸の姿と人間の姿を自在に行き来できるあたり尋常な存在ではないのは確かだった。身の上話の真偽は置いておくにして、そこだけは俺自身の目で確かめた事実だ。彼女は素行も悪くないし気性も大人しい。蹴り出す理由も特にない。完治するまでここに置いておいてやろう。





「しかし、ここ、変な街ですね」

「どういう意味だ」

「うまく言えないんですけど、ニンゲンの気配の量に対して建物の密集度が低いと言うか、妙に発展していないと言うか……」

 そう言ってから彼女は器を傾け雑炊の残りをゆっくり流し込む。言葉が一瞬出てこなかった俺は、その様子を思わずじっと見てしまった。

 その言葉はこの街の構造を見事に言い当てている。しかし、川から流れてきただけの奴が何でそんな事を。

「ああ、長く生きてるとそういうのなんとなく分かるようになるんです。感覚の拡張強化がされていく、みたいな。……この街、普通のニンゲン以外もたくさんいますねえ。なんか電気とかデータみたいなニンゲンとか、機械みたいなニンゲンとか」

 彼女は目を瞑り何かを考えるような難しい表情になりながらそう言ってのけた。額中央の模様が妙にきらきら輝く。この化粧のようなものは洗っても洗っても落ちなかった。刺青のように身体に刻まれているものらしい。


「…………」

「あ、もしかしてこれ、触れない方が良かった話題でしたか?」

「……そうだな」

「失礼しました。あの、美味しかったです、洗い場借りま……」

「いい、置いとけ。そしてさっさと寝ろ」

「……はい」

 また毛玉モードになった彼女はタオルにくるまり床に再び転がる。すぐにくうくうと寝息が聞こえてきた。試しにその頭の辺りをそっと撫でてみる。柔らかくふわふわとしつつも密度がありしっかりした手触りだ。幸せそうに鼻を鳴らすのが耳に届いた。

 そういえば、さっきの胡散臭い男の話をしそびれた。まあ別に不安にさせるような話なんぞ病人にしなくてもいいかと、俺は食器を極力静かに持ち上げた。

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