願い

紬木楓奏

第1話 空気

 黙って見ていた。最寄りの駅で毎夜、ギターをかき鳴らして、綺麗な声で歌うお兄さん。


“ 高屋たかやすばる 二十五歳 スカウトはいつでも受け付けてます!! ”


 五歳上らしい童顔の彼は、惹きつける声をしていた。わたしの好みの声。


 私立の芸術高校で音楽を学び、進路もまた音楽系専門学校を選んだ。実技も学科も上位、もちろん卒業後は歌手を志望している。そんなわたしの壁は、コネでもカネでもなく、オヤだった。いい加減にしなさい、それが両親の常套句。

 嫌気がさしていた。そんな心の闇に、高屋昴の歌う姿は光を当てた。全力で、音楽だけを見ていることが真摯に伝わる。心に刺さる。特に、自信作だという“Shooting star”という、楽曲。


 射抜かれた。

 心も、体も、何もかも。


 純粋に、好きだと思った。



「わたし、高屋さんの歌、好きです!」

「え?」

「私……引っ込み思案で、声とか掛けるの苦手だから、顔、憶えてないと思います。でも、いつも高屋さんの路上ライブ聴いています! 第一ファンです! だから……」


 両親に反抗できないわたしの、どこからか勇気が湧いて出て。


 彼と、よく話すファンになって。

 彼に、よく話す後輩になって。

 彼の、すぐ近くにいる女になって。


 雫石しずくいし朝陽あさひは、無名のシンガーソングライター高屋昴と恋人になったのだ。





「今度はラジオの仕事が入ったの?」

「何で知ってるの?」

「杏李さんから聞いたの」

 高屋昴と付き合い始めて四年の歳月が過ぎた。その間、昴君は“Shooting star”を携えてデビューを果たし、わたしも半年前に、大きなオーディションに合格して、シンガーソングライターの扉を叩いた。昴君の所属事務所が主催するオーディションだったけれど、合格は、わたしの実力で勝ち取った――筈だ。

 二人纏めて面倒を見てやる、そう言いだしたのは昴君のマネージャーである真田杏李あんりさん。昴君と同郷らしい彼女は、姐御肌の敏腕マネージャーで、内気なわたしを生活面でもサポートしてくれる。

「あの人も口が軽いね」

「嬉しいのよ。特に、今日が記念日だって知ってるし」

「記念日」

「四周年」

「ああ、そうか! 御免、朝陽。また忘れてた……」

「い、いいよ。昴君は忙しいんだし、ネチネチ数えてるわたしは陰気だし……」

「僕らがそれを始めるときりがないね」

 昴君はよく忘れて、わたしはよく覚えているタイプだ。記念日なんて特にそう。それに嫌気がさしたとか、そんなことは一度もないけれど、たまには受け身になってみたい、なんて夢のような思いは、あることはある。

「もう四年かあ。夫婦みたい」

「まだご両親に会ったことすらないのに」

「両親ねぇ……僕の両親は朝陽を気に入ると思う」

「それならいいけれど。昴君の村は、どんな星が光るの?」

 高屋昴の代名詞、“Shooting star”。そのせいか、わたしたちは、よく星の話をする。

「綺麗な星が光るよ。それに水も空気も、人も綺麗だ。僕の幼馴染は“煌也こうや”と“星ノ華ほのか”だし」

「……幼馴染のお姉さんだっけ」

「うん、村長の娘で村のアイドル。煌也兄ちゃんも、凄い人貰ったよなあ」

 昴君は分かっていない。わたしを熟知しているけれど、あまりにも美化しすぎている。


 わたしは独占欲の強い嫉妬魔だ。付き合って四年、最近ちょくちょく出てくる“坂本星ノ華”という女。会ったこともない人妻に、わたしは嫉妬している。

 現在進行形で一緒にいて、未来もきっと一緒だと安堵している。そんな関係になってからよく出る話題だ。幼馴染の美しい女性がいて、一年間、二人きりで、少子化の進む村で過ごしたらしい話をよく聞くようになったけれど、何の感情も持たなかったはずがないと読んでいる。いくらそういう欲の希薄な昴君だって、男の人だ。

 今はわたしを大事にしてくれていることは分かっているけれど、気に食わない。昴君の頭をわたしと音楽で塗りつぶしたい。そんな思いを言うことが出来ない。


「……苦し」

「ん?」

「なんでもないよ」


 ほら、また条件反射で、彼に嘘の笑顔を向けてしまう。

 この気持ちをどう昇華させたらいいのか、それとも一生抱えて生きていけばいいのか。


「そろそろ帰る、御免な。朝陽」

「あ、うん。寄ってくれてありがとう」

「朝陽」

「ん?」

「大好きだよ。これからも、よろしく」


 ――わからないよ。


「はい」



☆彡



『成程ね。ったく、朝陽も昴もネチネチ自分を隠すから』

「ごめんなさい……杏李さん。でも、大事な時期だし本人には聞けなくて」

『そりゃあ、そうだけど? あたしに聞いても分かるわけないじゃん。昴に話さなきゃいけない問題よ』

「はい……」

『それを朝陽にできるかと言えば甚だ疑問か』

 二十二時。頼みの綱のマネージャー・真田杏李さんは、毒を吐きながらも、わたしの話をゆっくり聞いてくれた。

 これから昴君とのこと。

 雫石朝陽の未来のこと。それと、


『昴が朝陽に言わないこと、あたしが言えると思う?』

「ですよね……」


 坂本星ノ華のこと。


『……朝陽。黙っててごめん』

「はい?」

『あのね、あたし旧姓は坂本って言うの。星ノ華とはいとこなんだ』

「そうだったんですか……」

『これは昴も知らない。あたしだって、書類を見て驚いたよ。同郷でいとこの幼馴染のあいつがきちんと音楽をやれるか、あたしはそういう視点でもマネージメントしている』

「はい」

『少しの休みと宿の手配くらいはしてあげる。だから、その目で、耳で感じてきなさい。間接的にあたしから聞くより、直接触れて感じてきなさい。これから世に出る、シンガーソングライター“ASAHI”のためにも有益なはずだわ』



 空気のままで居たくない。



 電話を切った瞬間に、キャリーケースに荷物を詰め込む。モバイルバッテリーと、イヤフォンマイク、いつもの創作道具も忘れずに。行動の速さは自分でも驚くほど。

 昴君にはなんと言おうか、敢えて何も言わないでおこう。


 二十三時。杏李さんから、交通手段と宿の内容を受け取り、履きつぶしたスニーカーを装備して、東京駅行き最終バスに飛び乗った。

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