幕間 朝-真田杏李
「うっぜえ。今日から三連で残業だわ」
朝日が瞼を貫くように入ってきて非常に不愉快だった。昨夜は実家に電話をして、弟夫婦が営む民宿の一部屋を空けてもらい、勤務する芸能プロダクションのマネージメント部長と掛け合って、受け持ちの新人アーティスト“ASAHI”のスケジュール調整権を、残業三日分代替で手を打ってもらった。サービス残業だ。時間外労働だ。嫌になる。
「杏李、開口一番が悪すぎる」
「うるさいわね。営業サラリーマンはいいよね、自分の時間が好きに取れてさ」
「舐めてるな?」
「舐めてるわよ」
六歳上の旦那は、大手商社の営業マンをしている。決して楽な仕事じゃないのは分かっているけれど、この苛々をぶつける相手は、今のあたしには旦那しかいないのだ。
「可愛い受け持ちがなんか起こしたんだろう。可哀想に」
「オッサンのシャレはオヤジギャグって言うのよ」
「可愛くないな」
「結構です……なんてアドバイスしたらいいのか分からないのよ。情けないけど」
昴の想いも朝陽の涙も痛いほどわかる。お互い繊細な心を持っているくせに頑固で、同業者ゆえの遠慮も加わるからタチが悪い。
今まで、何人ものアーティストを経験してきた。挫折した卵もいた。杏李さん、ごめんなさい。その言葉を聞くたびに情けなくて、あたしだって強くなろうと必死だった。
この世にはいろんな人間がいて、いろんな未来を掴む。職業上それを誰よりも分かっているけれど、ここまで複雑な胸中になった事は無かった。
「杏李は、どう思うんだ?」
「今の自分のできることをする。あたしはそうしてきたし、それしか言えないじゃん」
「いいんじゃないのか。それで卵たちがどう孵化するか、それは分からないよ」
「冷たい男ね」
「杏李ほどじゃないさ。でも、部外者だから言えるかな。やっぱり、卵たちを救えるのは音楽なんじゃないかな」
音楽。
「歌う事、書く事、作る事。多岐にわたる職業だけれど、根本は同じだろう。ギターかき鳴らさなきゃ始まらない。喉を潰さなきゃ見つからない。人間はいつだってそうだ」
ああ。
あたしは、だからこのおじさんに魅かれたんだ。
「あんたと結婚するってんで村を飛び出して、歳の離れた兄に泣かれたことがある」
「知ってる」
「義姉さんは娘を産んだわ。村に愛される風になれって、ホノカって名付けた。星って字もつけてね」
「空気が綺麗な村だもんな」
「後悔した。あたしは村長の家系に生まれて、何もできずに、あんな小さな女の子に全てを押し付けてきたのかって」
「そうなんだ」
「でも、今、吹き飛んだ……あんたと結婚してよかったよ。おっさん」
「おっさんは余計だな」
「まあ、行ってくる。ありがとう」
「俺も行くわ。頑張れ、三連残業」
「……うっぜえ」
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