幕間 朝-高屋昴
何も言わずに時は過ぎるものだけれど、やっぱり名残くらいは欲しいものだ。
僕と雫石朝陽が付き合い始めて四年目の、朝。
当たり前のように暗闇を消してやってきた朝は、朝陽の居ない朝を連れてきた。
「杏李さん!!」
「遅刻常連者の昴君、おはよう。今日も元気だね。あ、髪の毛、跳ねてるよ」
「朝陽が、朝陽がいないんです。朝陽の家に忘れ物をしたのを思い出して、始発で朝陽の家に行ったんですけど、いなかった。あいつ今日オフでしょ? 僕に何も言わずに……」
朝陽が、消えた。
「昴、落ち着きなさい」
「だって今までこんなこと一度も……」
「女の気持ちは移ろいゆくものだわ」
「え?」
「なんてな。昴、あんたには立ち止まってる時間は無いんだよ。皆に想いを届けたいって、それでこの職に就いたんでしょう。朝陽のことは朝陽に任せなさい。あの子は馬鹿じゃない」
「でも」
「いい加減にしな! 今の自分にできることをしなさい。知名度もまだまだくせに、あんたは“Shooting star”を越えていないんだよ。もう一度言う。今の自分にできることをしなさい。朝陽の為にもね」
なんだよ。なんだよ、それ。
杏李さんは知っているんだ。朝陽が何を思って、何をして、何処に居るのか知っているんだ。
バレバレじゃないか――
これほどまでに音楽に集中できなかった日は、三十年生きてきて初めてだ。
ボイストレーニングの休憩時間を捜索に費やし、時間を見つけてはスタジオから脱走し、訪れそうな場所は手あたり次第当たったけれど、そこに雫石朝陽はおらず、寧ろ彼女の失踪を知る者すらいなかった。
戻るたびに杏李さんの怒号をくらい、もともと貧弱なメンタルはどんどん削られていくのが手に取るようにわかってしまう。
何をしたらいいのか。諦めればいいのか。今の僕にできることは何なのか。
ふ、と。夜空を見上げた。ガスに覆われた都会の空は、故郷の空と比べるまでもなく何もない。まだ十代の頃は当たり前だと思っていた空が、ここにはない。
幼馴染に会いたくなった。からかわれて、怒ったり泣いたり、大声で笑ってみたくなった。しかし帰るわけにはいかない。僕はまだ夢の途中だ。
ずっと想っていた美しい幼馴染は歌ってくれ、といった。折角抱いた夢があるのなら実現すべきだと背中を押してくれた。そうやって僕は、村を出たのだ。
「歌……」
朝陽との出逢いも歌だった。音楽だった。思い出せば下手くそで、感情剥き出しの音楽を好きだと言ってくれた。
美しい幼馴染を思って書いた曲を、好きだといった僕の大切な人。
『いい加減にしな! 今の自分にできることをしなさい。知名度もまだまだくせに、あんたは“Shooting star”を越えていないんだよ。もう一度言う。今の自分にできることをしなさい。朝陽の為にもね』
朝陽を信じよう。きっと帰ってくるはずだ。可能性はゼロじゃない。
少しほこりをかぶったパソコンを開いて、新調したギターのチューニング作業に取り掛かる。
追いかけることのできない情けない僕にできることは、朝陽が好きだといった僕の音楽を作って待つことだけだ。
「杏李さん、僕、新曲を書こうと思います」
そうだよね、星ノ華ちゃん。
『やっと気づいたか、バカモノ』
電話口の杏李さんの少し弾んだ声を鼓膜に焼き付け、パソコンに向き合う。
迷いは、ない。
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