第二話 朝と星
ここが、昴君の故郷。
「君が杏李姉ちゃんの秘蔵っ子か、話は聞いているよ。大した民宿じゃないけれど、ゆっくりするといい」
「秘蔵っ子かは分からないですけれど……」
「本人が言っていたから間違いないさ。ささ、“民宿あんず”へようこそ」
通された部屋は、高級旅館の一室のような広さで、豪奢な造りの和室だった。村長の家系らしい杏李さんは、口に似合わずお嬢様だったみたいだ。
「兄貴にも話は通してある。勢いで勘当したっきり会っていないが、可愛い妹の頼みだってんで快諾したよ。夜に寄越すそうだ」
「勘当? 寄越すって、何を」
「杏李姉ちゃんから聞いてないのか。杏李姉ちゃんは真田さんと一緒になるときに兄貴ともめて、勘当されているんだ。どっちも導火線が短いから、それ以来、絶縁状態。素直になればいいのにねえ」
「そうなんですか」
「その兄貴が、村長をしている。君が会いたがっている星ノ華は、兄貴の娘だ。用足しをこなして、今夜、ここに来るってよ」
想像つかない次元の話だ……
「まあ、何にもない村だが、それだけが取り柄だ。ゆっくりするといいよ」
「ありがとうございます」
荷物を置いて、カーディガンを羽織る。都心と比べて、この村は少しだけ空気が冷たい気がした。
今頃、昴君はどうしているのだろう。ちゃんと朝、起きたかな。朝ごはん食べたかな。きちんと仕事をしているだろうか。それはそれで、複雑だけれど。隣にわたしがいない日々。その非日常を、彼はどう過ごすのか。少しは寂しがってくれているかな。不謹慎だけれど、そんなことを思う。
星ノ華さんだったら、こんな悩み笑い飛ばすのだろうか。会ったこともない彼女はわたしの心に嫉妬という形で根付いている。愛しの彼が、毎日のように呟くのだからしょうがない。
現在、午後四時。だんだん暗くなってきた。
☆彡
美味しい山の幸満載の夜ご飯を頂いて、星ノ華さんの到着を待つ。どのくらい滞在するかなんて考えてもいなかったけれど、予想外の早い展開に、心臓の鼓動も早くなる。
どんな人かな。杏李さん同様、美しい女性だと聞いたけれど。綺麗に笑って、星みたいに輝く人だと聞いている。全部、昴君の情報だ。全部、全部――
「……星だ」
窓を少し開けると、夜空に星が煌いていた。予想以上の美しさ。あのきらきらとした瞳と心は、これを見て育ったんだ。
「あなたが、雫石朝陽さん?」
障子が静かに開く。
「勝手に開けて御免ね。この部屋だって案内されたから開けちゃった」
透き通る肌、艶のある髪、抜群のスタイル。どこか杏李さんに似ている澄んだ瞳、無駄を削ぎ落した美しい面立ち。
ああ、この人だ。
「坂本星ノ華です。飲み物とか、持ってきたよん」
この人が、昴君の大切だった人――
「急に押しかけて……すみません。雫石です」
「いいの、いいの! 杏李さんと昴の可愛い子だもの。いつだって大歓迎だよ。子どもも旦那に預けてきたし、今夜は仲よくしよう」
「え、いいんですか」
「だって、私に聞きたいことがあってきたんでしょう?聞かなきゃじゃない」
お見通しか。
「朝陽ちゃん、でいいかな」
「あ、はい」
「朝陽ちゃんがいるってことは、昴は元気なんだね」
「はい、杏李さんっていう有能マネージャーもついていますしね」
「そういうことじゃないよ。自分で言うのもなんだけどね、昴は私と音楽しか眼中になかったみたいね。後者のほうは、私、気づいているようでいなかったんだけど」
「はあ」
「知っての通り、昴は器用じゃない。何かが欠損するとすぐバランスを崩す。でも今、元気で頑張っているってことは朝陽ちゃんの存在がでっかいってことね」
そう言いながら、星ノ華さんは小気味いい音を立てて、缶ビールを開けた。これでも喉は商売道具だから、私は要らないです、と拒否しようとする前にマンゴージュースが手渡された。気遣っていてくれたらしい。
こういうところなんだなあ。
些細な気づかいをしてくれる、優しくてきれいなお姉さん。
昴君が魅かれたのは、きっとこういうところなんだ。
「朝陽ちゃんは幸せになれるよ」
「え?」
「昴は、この村が手塩にかけて育てたようなものだもの。温かく、厳しくね。だから気負わなくていい。村や私のことを嫌っても、昴がいる限りあなたは幸せになれる。逆にあなたがいるから昴は幸せになれて、頑張れる」
「どういうことでしょうか……私は別に」
「昴が未練たらしく、なんか言っているんでしょう。そんな男なんだよねえ、そこが欠点。でも嫉妬しなくていい。私も人のものになったし、昴は本当に弟だから」
「でも昴君は、そう思ってないかもしれません」
「自信をもって! だって、昴が大事なものに人間を選ぶなんて、たいそうなことよ? 天変地異の前触れかってところよ。ものすごく昴に想われている、私が保障するよ」
「そうでしょうか……」
「不安がなくなるまで、いつまでも村にいたらいい。不安になったら、また来なよ。あいつが詰まったこの村には、いいきっかけが、きっとたくさんあるから」
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