ツギハギのヌイグルミ

ふじゆう

ツギハギのヌイグルミ

「突然だけど、今日は新しいお友達を紹介するね!」

 五年一組の教室で、担任教師の溌溂とした声が響いている。一瞬落ち着いた喧騒は、遅れを取り戻すように膨れ上がった。

「はい! 静かにして! じゃあ、入ってきて!」

 女性教師の声に引かれるように、小さな少年がうつ向きながら、教卓へと歩む。教師の隣で立ち止まった少年は、うつむいたままだ。教室内の喧騒は、次第に笑い声がまじり始める。痩せぎすな少年の服装は、色あせ汚れが目立ち、ところどころに縫い合わせた跡が目立っている。そして、何よりも異様なのは、少年がクマのヌイグルミを掴んでいる事だ。ヌイグルミと手をつなぐように、引きずっている。

「先生! 学校に人形なんか持ってきてもいいんですかあ?」

 ざわめきをかき消す程の大声を上げたのは、クラスのリーダー格である翔陽だ。小馬鹿にするように、ニヤニヤ笑っている。

「はい、宮本君。今から説明するので、静かにしててね」

 教師は、三回手を叩いて、黒板に向かって体を反転させた。カッカッカッとチョークで黒板を叩くように、文字を書いていく。

「武田喜一君です。今からとても大切な話をするので、皆静かに聞くように」

 担任が手についたチョークの粉を払いながら、生徒の方へと向き直る。

「先月、武田君はお母さんを亡くされたの。そして、お祖母さんが住む、この土地に引っ越してきた。お父さんはおられなかったので、今はお祖母さんと二人暮らしをしているの。そして・・・」

 教師は、言葉を切り、視線を下に向けた。喜一は、微動だにせず、うつむいたままだ。

「このヌイグルミは、お母さんとの想い出が詰まったとても大切な宝物なの。武田君は、このヌイグルミがあると、心が落ち着くそうなの。お医者さんからの、診断書も出ているのよ。なので、校長先生が許可したの。武田君は辛い事があって大変なので、皆も優しくしてあげてね」

 教室内は、戸惑いや同情の声が上がり、教師は同意を強要するように『分かったよね?』と声を張り上げた。生徒達は、渋々といった様子で返事をする。

「先生! この前、先生に取られた俺のDSも親からもらった宝物ですけどお!? そのせいで、最近夜も眠れないんで、返して下さーい!」

 手を挙げて挑発的な笑みを浮かべる翔陽に、教師はわざとらしく溜息を吐いた。

「それじゃあ、今度ご両親に学校に来て頂いて、そこで返しましょうか? 積もる話もあるしね」

 担任が真顔で尋ねると、翔陽は不貞腐れるように顔を背けた。周囲に笑いが起こるが、翔陽が一瞥すると、静まり返った。翔陽は体の前で腕を組み、転入生を睨みつける。母親が死んだかなんか知らないが、特別扱いが気に入らない。すると、先ほどまでうつ向いていた喜一が、鼻先まで伸びた前髪の隙間からジッと翔陽を見た。喜一の視線を受け、翔陽の苛立ちは増していった。

 休み時間になり、教師が姿を消すのを見計らっていた翔陽が動いた。二人の金魚の糞が続く。三人とも薄ら笑いを浮かべていた。翔陽は、喜一の机を蹴った。

「おい、転校生。その汚ねえ人形は、死んだ母親の形見か? 汚ねえし、貧乏臭えし、お前にピッタリだな?」

 翔陽が卑しく口角を吊り上げると、取り巻きが大袈裟に腹を抱えて笑う。笑いを増長する二人は、翔陽に気に入られる為に、競い合っているみたいだ。

「そんなツギハギだらけの汚ねえ人形を渡すくらいだ、どうせ汚ねえ母親だったんだろ?」

 机に手をついて、喜一に顔を寄せる翔陽は、鼻を摘んでいる。しかし、喜一は翔陽が見えていないように、顔の筋一つ動かさない。虚な目で、ただ正面を見つめている。喜一の無反応に、翔陽は顔を歪め舌打ちをした。

 勢いよく腕を伸ばした翔陽は、喜一の膝の上から、ヌイグルミを奪い取った。

「ギャーーー!!」

 甲高い悲鳴を上げる喜一は、狂乱したように、髪の毛を掻きむしった。喜一の突然の変貌振りに、三人の顔は青ざめ固まっていた。

「ちょっと、何やってんのよ!? いいかげんにしなさいよ!」

 大声を上げたのは、委員長の舞香だ。舞香は、翔陽の手からヌイグルミを取り上げ、喜一に渡した。瞬間的におとなしくなった喜一は、ヌイグルミを抱きしめている。喜一に微笑みかけた舞香が、翔陽に向き直り眉を吊り上げる。

「馬鹿翔陽! あんた先生の話を聞いてなかったの!?」

「うるせえな! おまえには関係ないだろ!」

「馬鹿じゃないの? あるに決まってんじゃん? 委員長なんだから!」

 翔陽と舞香は、しばらく睨み合い、翔陽はフンと鼻を鳴らし、自分の席に着いた。このクラスで唯一、翔陽に逆らえ意見が言えるのは、舞香だけだ。家が隣の幼馴染で、親同士も仲が良い。事あるごとに親に告げ口をする舞香が、翔陽にとっての泣き所だ。

 精一杯虚勢を張っている翔陽であるが、内心親に告げ口されないか焦っている。しかし、クラスメイトの前で、カッコ悪い姿を晒すわけにもいかない。

 くそ! 全部あいつのせいだ!

 翔陽は、喜一の小さな背中を睨みつけた。喜一は、赤ん坊を抱くように、小さく揺れていた。

 放課を告げるチャイムが鳴ると、翔陽と取り巻きは、急いで教室を出た。校門を出た所で、喜一を待ち伏せする。喜一の姿を確認すると、三人は後をつけた。学校から離れた場所まで行って、仕掛ける算段だ。教師や舞香の目から、逃れる必要があった。

 喜一の背中を追っていると、翔陽と同じ通学路だと判明し、舌打ちをした。辺りを見渡し、舞香がいないか確認した。暫く進むと、喜一は左に折れ、翔陽の通学路から外れた。今だ! と、翔陽は駆け出し、喜一の隣に着くと、ヌイグルミをひったくった。

 瞬間的に喜一は、奇声を上げた。三人は素早く距離を取り、三角形を作る。キャッチボールをする要領で、ヌイグルミを投げた。喜一の目には、ヌイグルミしか映っていないようで、一心不乱に宙を飛ぶヌイグルミを追う。足がもつれ、倒れ込む喜一に、笑い声が降り注いだ。喜一の膝からは、鮮血が滲んでいる。

 遊びに飽きてきた翔陽は、地面に転がったヌイグルミを蹴飛ばした。高らかに笑う翔陽は、取り巻きを引き連れて、その場を去った。

「また遊んでやるからな! チクるんじゃねえぞ?」

 次の日も、また次の日も、翔陽達は同じ遊びを繰り返した。言いつけ通り喜一は、誰にも言っていなかったので、翔陽は新しい玩具を手に入れた気分であった。

 そんな毎日を繰り返していたある日。最後の儀式とばかりに、翔陽はヌイグルミを蹴り飛ばした。ヌイグルミは、いつもより高く、いつもより遠く、綺麗な弧を描いていた。おお! と、歓喜の声を上げた翔陽は、我ながらの蹴りっぷりに、ヌイグルミに見惚れていた。

 次の瞬間、悲鳴のようなブレーキ音が響き、刹那的に衝撃音が翔陽の胸を突いた。スローモーションになり、喜一の小さな体に車が突っ込み、地面に叩きつけられる映像が鮮明に映った。

 飛び散る血、歪に曲がる喜一の体。宙を舞う真っ赤に染まったツギハギだらけのクマのヌイグルミ。その異様な光景に、翔陽は金縛りにあった。

 意識を取り戻したのは、二人の取り巻きが悲鳴を上げて逃げ出した時だ。ハッとした翔陽は、先を行く二人を追うように、全力で走り去った。

 喜一が死んだ。

 次の日、学校へ行くと担任の教師が告げた。映画のワンシーンのような光景が、脳裏に焼き付いて離れない。翔陽は、震える手を押さえつける。翔陽の頭を支配していたのは、自分達が喜一を死に追いやってしまった負い目ではない。その事実が、バレやしないかという恐怖だ。その日翔陽は、学校が終わると一目散に自宅に逃げ帰った。

「おかえりなさい! 何? 走って帰ってきたの? どうかしたの?」

 帰宅すると、母親が心配そうに声をかけた。汗だくで息を切らしている翔陽は、小さく頷く事しかできない。母親の声は耳に入っているが、頭には入っていなかった。放心したまま、階段を上がっていく。

「あ! 翔陽! さっき見慣れないお友達がきて、これを届けてくれたわよ」

 階段の途中で振り返った翔陽が、血相を変えて階段を降りた。母親が握っている紙袋を奪い中を覗くと、全身の血の気が引いた。

「自分で買ったの? それとも誰かにもらったの? そのクマのヌイグルミ」

「し、知らないよ! こんな汚いやつ!」

 叫んだ翔陽は、紙袋を母親に押し付け、階段を駆け上がった。自室に入り、ランドセルをベッドに放り投げた。

「いったい誰の仕業だ?」

 滴る汗を拭っていると、ランドセルが床に落ちる音に、肩が飛び跳ねた。舌打ちをして、ランドセルを拾い上げようとした。すると、ランドセルの蓋が開き、中から真っ赤に染まったヌイグルミが転がった。悲鳴を上げた翔陽は、ヌイグルミを掴み、窓の外に投げ捨てた。すかさず窓を閉め、布団の中に潜り込んだ。

 どういう事だ? どうして? どうして?

 極寒の地に降り立ったように、全身を寒気が襲い、歯がカチカチと鳴っている。恐怖に震えていると、意識を吸い取られるように、眠気に襲われた。

 翔陽は、呆然と佇んでいた。ハッとして意識が戻ると、道路の真ん中で立ち尽くしていた。辺りを見渡すと、毎日歩いている通学路であった。霞がかかる頭の中が晴れていくと、無意識の内に歩いていた。道を左に折れると、三人の少年が三角になってキャッチボールをしている。そして、その三角の中で、一人の薄汚れ枯れ枝のような手足を忙しなく動かしている少年がいた。

 見覚えのある光景だ。

 この後に訪れる状況に、呼吸が荒くなっていく。目を閉じたいし、体を止めたい。しかし、体の支配権を奪われたように、自分の体なのに、まるでいう事を聞かない。二つの足は、ジリジリと三角に接近していく。案の定、一人の少年が、路面に転がるヌイグルミを蹴り飛ばした。美しく弧を描くヌイグルミ。一心不乱にヌイグルミを追いかける枯れ枝。

 目を閉じたい。耳をふさぎたい。この場から、逃げ出したい。

 強引に両目をこじ開けられたように、目前の十字路にくぎ付けだ。ブレーキ音と衝突音が鳴り響き、血飛沫を飛ばした少年が路面に叩きつけられた。枯れ枝のような細い手足が、曲がってはいけない方向を向いている。土砂降りの雨の中にいるように、全ての毛穴から汗が噴き出している。くぎ付けの両目からは、ドクドクと涙が流れ落ちる。

 暫く、固まっていると、『・・・ベチャ・・・ベチャ』という濡れた靴で歩いているような音が聞こえてきた。血で染まり横たわる少年がいる十字路の角から、真っ赤なヌイグルミが顔を出した。頭は取れかけ、糸一本でかろうじて繋がっている。ギリギリ体にぶら下がっていた。

 ベチャ・・・ベチャ・・・と、ヌイグルミがこちらに向かって歩いてくる。股間が生暖かくなった。絶妙なバランスを取ったヌイグルミが、徐々に近づいてくる。ヌイグルミは、翔陽の横を通り過ぎた。崩れ落ちそうになるほど、体の力が抜けた。小さな安堵が生まれた瞬間、翔陽の真後ろで歩く音が消えた。背筋に悪寒が走る。逃げ出したいけど、体が動かない。すると、意識とは反して、上半身が回り始める。体が勝手に、背後を振り返ろうとしていた。

 背後を振り返ると、四つの目と視線がぶつかった。

 真っ赤に染まり首がだらりと垂れ落ちたヌイグルミ。そのヌイグルミを枯れ枝のような手で抱きしめている喜一がいた。全身血だらけで、手足が歪に曲がっている喜一は、鼻先まで垂れた前髪の隙間から、ジッと翔陽を見上げていた。そして、ググググと、喜一の口角が持ち上がっていく。

「ギャーーー!!」

「ちょっと! 翔陽? 大丈夫?」

 悲鳴を上げて飛び起きた翔陽を、母親が心配そうに眺めていた。

「どうしたの? うなされていたけど、怖い夢でも見たの? 凄い汗。シャワー浴びてきなさい」

 母親は、頭皮に張り付いた翔陽の髪を撫で、部屋を出て行った。翔陽は、荒々しい呼吸を繰り返しながら、咄嗟に股間に触れた。股間の周辺が、濡れていた。

 頭を抱えてうずくまる翔陽は、声を殺して泣いた。

 あれは、夢だったのだろうか? あんなにも解像度が高く、鮮明に脳裏に焼き付いている夢を見たのは、初めての経験だ。

 夜になり眠れる自信はまったくなかったけれど、ルーティーンをこなすように布団に入る。すると、布団の中には既に先客がいた。赤く染まったヌイグルミだ。悲鳴を上げて、窓の外に投げ捨てると、意識を失った。学校では、机の引き出しに手を入れると、何かに手がぶつかり、覗き込むとヌイグルミがこちらを見ていた。悲鳴を上げ、窓の外に投げ捨てると、意識を失った。目が覚めると、担任教師とクラスメイトに囲まれていて、クスクスと笑われていた。失禁していた事に気が付くと、ヌイグルミのように、顔が赤く染まった。体調が悪いと告げ、早退させてもらう事にした。下駄箱に手を伸ばすと、ヌイグルミが押し込められていた。悲鳴を上げると、意識を失った。

 もう訳が分からない。何度も何度も繰り返される光景に、慣れる事はなく、その度に胸が締め付けられた。

 もう許して。お願いだから。

 意識を取り戻すと、道路の真ん中で佇んでいた。何度も見ている景色だ。顔が引きつっていくのが分かる。自然と涙が零れてくる。すると、前方から濡れた靴で歩く音が近づいてくる。案の定、血だらけのヌイグルミが、こちらに歩み寄ってくる。そして、通り過ぎると、足音が止んだ。

 振り返りたくない。もう何も見たくない。

 翔陽が、頭の中で叫んでいると、鎖が切れたように走り出す事ができた。翔陽は、一心不乱に走る。背後からは、ベチャベチャと足音が追いかけてくる。歯を食いしばって、全力で走った。

 次の瞬間、耳に届いたのは、悲鳴のようなブレーキ音と衝突音であった。

 ハッと目を開くと、見慣れない光景が広がっていた。白い天井に、穏やかな光を発する蛍光灯だ。呆然と天井を眺めていると、ヌッと黒い顔が視界に入り、悲鳴を上げそうになった。

「翔陽!? 意識が戻ったのね!? ああ、よかった! 今、先生を呼ぶからね!」

 母親が涙を浮かべながら、安堵の顔を見せた。ナースコールを押すと、医者が駆け寄ってきた。

「安心して下さい。命に別状はありません。あれだけの事故で、助かったのは奇跡です」

 医師が確認作業を行った。そして、医師が翔陽の頭の上を指さした。

「そのヌイグルミが、クッションになったんでしょうね」

 翔陽が視線を頭の上に向けると、赤く染まったツギハギだらけのヌイグルミと目が合った。悲鳴を上げたが、喉が締め付けられたように、声が出ない。翔陽は、懸命に口を動かす。

「どうしたの? 大丈夫よ。もう安心してね」

「ショックで声が出ないのでしょう? 一時的なものだと思いますが、安静が必要です」

「そうですか、ありがとうございます。お母さん、電話してくるから、少し待っててね」

 母親は、笑みを浮かべ背を向けた。翔陽は、パクパクと口を動かしている。


『待って! お母さん! 行かないで! その人形を捨てて! お願いだから! アイツが、来るから!』

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ツギハギのヌイグルミ ふじゆう @fujiyuu194

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