第52話

 最近は毎日が幸せだ。その中でもとくに幸せなのが、ベッドに入ってからの就寝時間と朝起きた瞬間だろう。陽乃の存在を身近に感じられ、何も考えずにすむ。あまりにも幸せすぎる時間で、この上ない安心感に包まれるのだ。



「リクちゃん、起きて。今日は起きないとダメだよ」

「んーっ」

「遊園地に行くんでしょ?」

「――――はっ」



 一瞬で覚醒した。反射のように素早く体を起こし、すぐ傍にいる陽乃から微笑みかけられた。幼馴染から優しく温かい空気を感じる。

 そうだ、今日は土曜日……陽乃と遊園地に行く日だ。陽乃と遊園地に行くのは何年ぶりだろうか。楽しみ過ぎて昨晩寝るのが遅くなったくらいだ。



「ふふ、リクちゃん子供みたいだねー」

「オレが子供なら陽乃はお母さんか?」

「んーそれもいいかも。だってリクちゃんと一番繋がりある存在ってことでしょ?」

「そうかも……。どちらにせよ、今のオレには陽乃しかいないよ」



 オレがそう言うと、陽乃が優しい笑みを浮かべてオレの頭をよしよしと撫で始めた。心地よすぎて二度寝してしまいそうで困る。陽乃の手は温かいんだよなぁ。



 〇



 オレと陽乃は準備を終えて遊園地を目指すべく駅に向かう。

 いつも通り陽乃はオレの手をつないで前を歩いていた。率先して前に出ようとするその行動が、オレを本気で守ろうとする気持ちの表れに思えて仕方ない。オレがそう思いたいだけかもしれない。



「久々だねぇ遊園地に行くの」

「うん。小学生以来……だよな?」

「そうだねぇ。中学生の頃は……行く余裕なかったもんね」



 信号で足止めを食らったオレたちは、過去を懐かしみながら話をする。



「中学生のオレってさ、どんな感じだった?」

「う~ん……暗かったかなぁ。ずっとね、私の後ろにくっついていて、私以外の人とは挨拶もしなかったよね」

「そうだったか……あまり覚えてないな」

「リクちゃん、本当に私のことしか見てなかったよ」

「オレは陽乃がいてくれたら、もうそれでいいからなぁ」

「…………」



 今の生活が理想だ。何をするにしても、どこへ行くにしても陽乃が傍にいる。

 これからも陽乃が傍にいてくれるに違いない。お互いのことだけを考えてイチャイチャする人生だ。ほら今日だって、二人で遊園地に行って大切な思い出がまた一つ作られ――――ッ!


 全身の血が凍りつくような寒気が走り、心臓がギュッと縮こまる。

 信号が青になったことで陽乃は前に踏み出したのだが――――車が信号を突っ切ろうとスピードを上げていた。完全にアウトの滑り込み。陽乃は顔を横に向けて車に気づくが、反応に遅れている。



「――――ッ」



 咄嗟だった。オレは陽乃に握られている右手を全力で引っ張る。陽乃の口から「んっ!」と短い悲鳴が発せられるのに合わせ、陽乃の体がオレの胸に飛び込んできた。同時にビュンッ!と重量物が風を引き裂く音が走り抜ける。……間一髪だった。



「わ、わぁ……危ない。まだ心臓がどきどき鳴ってるよぉ。リクちゃん、ありがとね」

「…………」

「リクちゃん?」

「嫌だ……」

「え――――っ」



 周囲を行き交う人々の目を気にすることなく、オレは陽乃を渾身の力で抱きしめた。

 とても柔らかくて細くて、男とは比べ物にならないほど華奢な体。何度も優しく、ときには強く抱きしめてきた体だったが、今回は一切の遠慮ができなかった。

 陽乃の背中に巻き付けた両腕にググっと力をこめ、植物の茎を折るように力強く抱きしめる。



「んぐっ! リクちゃん……! 痛い……痛いよ……!」

「陽乃まで……陽乃まで失ったらオレは……! 嫌だ、嫌だ……!」

「リクちゃん――――!」



 陽乃が助かった安心感よりも失った先の未来が脳裏に描かれ、頭がおかしくなりそうなほどの不安に襲われてしまう。陽乃までいなくなる人生なんて死んでも考えたくない。それならまだ……陽乃に拒絶される方がマシだ。拒絶されるだけなら、まだ陽乃の存在を感じることができるのだから。



「リクちゃん……痛いから、ね?」

「…………」



 諭すように話しかけられ、少しずつ荒れていた心が落ち着いていくのが自分でもわかった。陽乃を拘束していた両腕から力を弛め、解放する。オレから一歩ほど離れた陽乃は乱れた髪をささっと手で直し、赤くなった頬を隠すようにうつむいた。



「ごめんねリクちゃん。私が気を抜いてたから……」

「陽乃……もう帰ろう」

「まだ……駅にも行ってないよ?」

「もういい。遊園地行くまでに陽乃が死ぬかもしれない」

「ほんとごめんね。次からは気をつけるから……ね?」

「嫌だ。もう帰ろう。家で陽乃と二人で過ごしたい」



 断固として譲るつもりはないことが、オレのはっきりした言い方から伝わったようだ。顔を上げた陽乃はこちらの目をしばし見つめた後、諦めたようにふっと顔から力を抜いた。



「そうだね、帰ろっか」

「うん」

「ごめんねリクちゃん。私のせいで楽しい雰囲気を壊しちゃって」

「陽乃は何も悪くない。悪いのはあの車の運転手だ」



 それに、とオレは続ける。



「無理して遊園地に行かなくてもいい。家で陽乃とゴロゴロしているだけでも幸せなんだ」

「うん…………私もだよ、リクちゃん」



 陽乃が柔和な笑みとともに同調してくれる。やっぱり心が通じ合った幼馴染だ。

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コンビニ強盗から助けた地味店員が、同じクラスのうぶで可愛いギャルだった @a-sf @a-st

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