第51話

 無事に一日を過ごし、就寝時間になった。

 お風呂から上がって二時間も経っていないので、未だ体内に熱がこもっている。ただ、このあったまった状態が心地よかったりする。


 陽乃は先ほどお風呂から上がり、念入りにドライヤーで髪を乾かしていた。もうしばらく時間がかかりそうなので、オレは先にベッドに入っていることにする。



「…………」



 陽乃を待つ間、薄暗い寝室の中でベッドに寝転がり、天井を何となく見続ける。

 十分ほどして寝室のドアが開かれ、陽乃が入ってきた。ゆっくり布団をめくり、オレの隣に寝転がる。この慎重さからして、オレが寝ていると勘違いしていそうだ。



「陽乃ー」

「わっ、リクちゃん起きてたんだ……」



 驚かそうと思い、上から被さるようにして素早く陽乃に抱きついてみる。まるで食虫植物がする虫の捕獲だ。陽乃の体は湯上りで火照っており、シャンプーやボディソープの良い匂いが漂ってきて気分が良くなってきた。


 なんだか無性に甘えたくなり、陽乃の胸の谷間に顔を埋めて思いっきり抱きつく。ブラを外しているせいだろう。熱がこもった陽乃の胸は、オレの顔を押し付けられて柔らかく形を歪めていく。



「陽乃ー」

「リクちゃん……ほんと、甘えん坊さんだねぇ」

「陽乃にもっと甘えたい」

「んっ、もうくすぐったいよ」



 あはは、と陽乃は楽しそうに笑う。嫌そうな雰囲気を出さず、オレの行動を受け入れてくれた。優しい……。オレは何も遠慮することなく陽乃の体にすがりつき、甘えたい欲求を満たしていく。



「リクちゃん」

「ん?」

「何かを忘れようとしているの?」

「――っ」



 心臓を鷲掴みにされたような衝撃で、言葉を発せなかった。

 陽乃の胸の谷間から顔を上げることができず、ジッと動きを止めて何を言えばいいのか思考を巡らせる。結局、口にできたのは一言だった。



「何も……」

「そうなの? なんだかね、リクちゃんが必死になって何かを忘れようとしているみたいに見えたから……」

「気のせいだよ。もう星宮のことは忘れた」

「……そっか……。ごめんね、変なこと聞いて」



 そう優しい声音で言った陽乃は、オレの頭をヨシヨシと撫で始める。

 温もりに包まれ、静かな時間が流れているのも理由の一つかもしれない。全身が溶けていくのでは?と錯覚するほどの安心感が胸のうちに生まれていた。


 こんなにも誰かに甘えるのは小学一年生以来のことだ。ホラー映画を観て怖くなり、泣きながらお母さんと一緒に寝たことがある。まあその数ヶ月後に妹が生まれ、兄という立場になったオレはお母さんに甘えることができなくなったけど。今さらだがそんな立場を気にせず、もっと甘えておけばよかった。


 昔を思い出し、懐かしさと悲しさが堰を切ったようにぶわーっと込み上げてくる。我慢する前に目が熱くなり、涙が勝手にあふれてきた。抑えられない。オレの熱い涙が、陽乃が着ているパジャマの胸部分に染み込む。徐々に濡れている範囲を広げていた。



「ぐすっ……んっ……ぐっ……んっ!」

「リクちゃん……大丈夫だからね。私がいるから……幼馴染だから、ずっと一緒にいるよ……リクちゃんが望む限り……」

「んっ……うんっ……!」



 なぜ陽乃が幼馴染を強調し、オレが望む限りという言い方をしたのか……。

 その理由を今のオレが分かるわけもなかった。

 


 〇



 目が覚めた私は朝になったことを感覚で把握し、私の胸にしがみついて寝ているリクちゃんの存在を認めた。ちょっと体を揺さぶってみると、「んー」とリクちゃんは不機嫌そうに声をあげて私の胸に顔を押し付けてくる。まだ寝ているみたいだけど、離れたくないという固い意思だけは感じ取れた。



「リクちゃん、可愛いなぁもう」



 リクちゃんの頭を撫でて、少し硬い感触の髪の毛に指を通す。

 大好きな人とこうしていられる……それだけで他には何もいらないと、本気で思える幸せがここにあった。



「んっ」



 リクちゃんは寝返りを打ち、コテンと私の胸から頭が転げ落ちる。子供みたいに安心しきった寝顔を浮かべていた。急激に愛おしさに襲われ、私は顔を寄せてリクちゃんの頬にキスをする。これが初めてのキス……。唇の先がジンジンと熱く感じる。



「…………」



 この勢いでリクちゃんの唇にもしたい。ジッと見つめる。

 迷った末に、私はリクちゃんの唇を人差し指で撫でるだけにしておいた。



「そこは……本当に好きな人のためにとっておかなくちゃね……リクちゃん」



 でももし、本気でリクちゃんの方から求められたら――私は拒めない。

 きっとすべてをあげちゃう。

 そうなりたい気持ちと、リクちゃんの本当の幸せを願う想いが、胸の中で混在して複雑な心境に陥る。


 好きな人から存在を求められる生活は、想像以上に快楽に満ちていた。

 これ以上にないくらい心が満たされ、今が人生の絶頂期とすら思ってしまう。

 どんな形であれば、好きな人から本気で求められるのは嬉しい。

 私も理性を放棄してリクちゃんを全力で求めたい。

 そうすれば、本当の意味で二人だけの世界に入り込める――――。



「…………はる、の?」



 ふとリクちゃんが目を覚ました。私の顔を見て、安心したようにふにゃりと顔を蕩けさせる。可愛い、可愛いよリクちゃん。



「朝だよリクちゃん、おきよっか」

「…………あと5分……ギュッとしてくれたら起きる」

「もう、仕方ないなぁリクちゃんは」



 彼はどんどん私にのめり込もうとしている。

 そして私も――――。


 もう私には、選べない。

 リクちゃんの意思だけを尊重する。

 その気持ちだけを抱いて、私はリクちゃんのことだけを考える――――。


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