苦悩と才能

 彼の創造に立ちあうことができて、わずかでも物語の誕生に寄与できればよかった庸子は、彼の前で実に気ままで、褒められても「砥石がいいから」と無邪気に笑むことができる。皮肉にも、そのことが彼を追い詰めたのだろうと思うと、読み手のこちらまで苦しくなりました。
 遺書以外に彼の直接の言葉は出てこないのですが、自分にはきざはしが降りてこない、他とは違う樹や花に恵まれた特別な場所に至れないという苦悩が伝わってくるようでした。
 庸子の方は剽窃までされても、自分の被害には無頓着で、彼が自分の物語と言葉を手放してしまったことを裏切りと感じます。社会的な小説家という地位や名声を持たない彼女ですが、真に物語のきざはしに恵まれていたのだという印象が強く残りました。

 最初から最後まで引き込まれて読みましたが、こちらの作品で私がもっとも魅力を感じたのは、終盤から幕切れです。
 彼亡き今、「忘れてしまうから」と言う伊保里と「忘れません」と言う庸子は、逆方向にむかったようでいて、同じものになったというか、まぜこぜになっているように感じられたのです。
 私の深読みだったら申し訳ないのですが、遺書のボールペンの文字がにじんでいるのが、庸子の涙によるものなのか伊保里の涙によるものなのかわからないというところにも、表れているような気がします。
 彼女の才能を羨んだ小説家という題材はすごく現実的なものですが、不思議な読後感を生んでいると感じました。