第6話
「どうしたの、昨日。一緒に帰ろうって約束していたのに」
翌日の学校の帰り、隣を歩いていた牧山は尖った声でそう言った。牧山の顔をちらりと僕は横目で見た。牧山は僕が昨日約束を破ったことを本当に怒っているようだった。
「うん」
「本当に風邪だったの?」
「なんで?」
「だって、風邪をひいていたように見えないんだもの」
担任の先生にはぜんぜんばれなかったのに。こほん、と咳をしてみたけど、牧山は眉を顰めただけだった。
「嘘ついていたんだ。ずる休み」
こほん、ともう一回咳をしてから僕は牧山を見て言った。
「誰にも言わない?」
「ねえ、あそこ」
帰り道の途中にある学校の運動場を指さして、牧山は小走りに駆けだした。
「ブランコが空いている」
ブランコに僕らは並んで座った。運動場のブランコが二つとも空いているなんて、めったにない奇跡だった。
乾いた薄茶色の土がブランコの真下だけ掘られて黒い土が顔を覗かせていた。並んでブランコを揺らしながら、僕は「お貰いさん」の葬式に出た話を牧山にぽつりぽつりと話した。牧山はすごく真面目な顔で僕の話を聞いていた。話し終えると牧山はこっくりと首を振った。
「そうなんだ」
「うん」
「ねぇ。今度、そのお墓に行ってみようよ」
「え?」
僕は牧山の突飛な提案に少しびっくりした。
「みんな家族のいない人たちのお墓なんでしょう?」
牧山は長い睫を小さく揺らして僕を見た。
「うん」
「誰か時々お参りに行ってあげないと、さびしいんじゃない」
「そうだね」
そう、答えたけれど二人きりでそんな知らない人がたくさん眠っているお墓に行くのは少し怖いような気がした。
「「お貰いさん」もいるんでしょう?」
牧山は僕が躊躇っているのを見抜いたようにそう付け加えた。
「ああ、うん。分かった」
「今度の日曜に行ってみようよ」
今度はちいさく、でもはっきりと頷いた。
「家族がいないなんてかわいそうだね」
牧山は呟いた。
「牧山は、家族のこと、好きなの」
何気なく、僕はそう尋ねた。あの闇の中で見た牧山の小父さんの姿が甦った。牧山は、ブランコを少し傾けて、僕の顔を覗くようにした。
「なんでそんなことを聞くの?」
「なんでって・・・」
「ちょっと待って」
そう言って、牧山は急にブランコを漕ぎ始めた。僕も慌てて一緒にブランコを漕いだ。牧山は座りながら漕いでいたので、僕は追いつくために立ち漕ぎをした。二人のブランコはどんどん高くなっていき、そのまま僕らは空へと飛びだせそうだった。
しばらく漕ぎ続け、やがて牧山はゆっくりとブランコのスピードを落とした。僕らはブランコを止めた。牧山の顔は上気して、桜色の頬に一筋、額からの汗が流れていた。
「うちの両親、離婚するの」
「え?」
リコンという言葉の意味を掴めないまま、僕は牧山を振り向き、そして離婚という漢字がようやく頭の中に浮かび上がった。
「お父さんに別に好きな人がいるんだって」
僕は言葉を失った。あのけばけばしい若い女の人が、暗がりの中でそっとついたため息が耳に蘇った。
僕の視線を避けるように牧山はゆらゆらとブランコを揺らした。
「牧山はそれでいいの?」
「いいって?」
「うん」
「そんなこと、仕方ないの」
牧山はふたたびブランコを漕ぎ始めた。僕は今度は止めたブランコに座ったままじっと牧山の漕ぐ姿を眺めていた。
「僕」
「なーに」
牧山は大切なことを言い終えたせいか、少し頬を赤らめていた。
牧山はぜったいに無理をしている、そう思った。僕の知っている牧山は大人しくて控えめの女の子だった。僕が一緒に漕ごうとしないのでブランコをゆっくり止めると牧山はもう一度聞いた。
「なに?」
僕はちょっと躊躇ってから、小さな声で言った。
「牧山のこと、守るから」
「なに、それ」
そう言った牧山の声が、少し低くなった。
「なにを言っているの」
「だから」
僕は言い淀んだ。僕の知らないうちに牧山はもう、あの頼りない女の子ではなくなってしまったのかもしれない。ふと、そう思った。
「わたし、だいじょうぶよ」
「でも」
「たくさん泣いたの。もうたくさん、泣いた」
「うん」
「でも、仕方ないの。わたし、お母さんと一緒に暮らすから。一人じゃないから」
「うん」
牧山は俯いたまましばらくじっとブランコの下の削れた土を見ていた。そして、決心したように僕を見て尋ねた。
「ねえ、私のこと、本当に守ってくれるの?」
なんだ、と思った。守っていらないようなことを言ったくせに。でも僕は頷いた。だって、やっぱり牧山は無理しているんだ。
「ほんとうに?」
牧山が、僕の眼をじっと見た。
「ほんとうなの?」
「うん」
僕はできるだけ真面目な顔に見えるようにして頷いてみせた。
「ありがとう。それとこの事、誰にも言わないでね」
語尾がちょっと、湿ったように聞こえた。僕は、うん、と答えた。牧山の小父さんを見た時よりもずっと確かに秘密を守れるような気がした。僕が頷いたのを確かめると牧山はブランコから飛び降り、急に駆けだした。
「どうしたんだよ」
僕は地面に置かれたままだった僕と牧山の二人分のランドセルを慌てて拾い上げ、走っていく牧山の背中を追いかけた。牧山が叫んだ。
「今度の日曜、行こうね。お墓」
「お墓って、怖くない?」
僕は牧山の後姿に向かって大きな声で尋ねた。
「そんなんじゃ、私を守れない」
振り向きざまそう言うと、牧山はまた駆けだした。
「おおい、待ってくれよ」
牧山の後ろ姿を追いかけながら僕は彼女の言葉に頷いた。そしてランドセルを雲一つない青い空に向かって大きく振った。
追憶 西尾 諒 @RNishio
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