おにぎりひとつ

藤井杠

雨上がりの翌日

 青い絵の具を水に溶かして、上空の白いキャンパスに空の色がにじんでいく。

少し遠くに、雲が見える。

お父さんのウエストポーチにおにぎりひとつ、お気に入りのハンカチを入れて、ポーチはそれなりに膨らんだ。それを肩からかけて、満足げに小さな少年は外の世界へ飛び出した。


 スタートは野原。緑の地面に遊具や建物はなく、平べったい一面には、いい感じの棒も転がっていなくて、…つまらない。いっちょまえのお出かけスタイルで出てきたにも関わらず、出鼻をくじかれてしまった。


 うずく好奇心を埋めるために、歩を進める。

すると、コンクリートで出来た「いい感じの」壁を見つけた。少し傾斜があって、ぼこぼこしたでこぼこがいくつも空いていて、まさにのぼってくださいといわんばかり。

好奇心は爆発寸前。口が小さく、ポカッとあいた。

でっぱりに手をかけると、太陽の光が当たってあたたかい。コンクリートの固さも忘れて、小さな柔らかい手は、上へ上へとのぼっていく。ウエストポーチが小さな少年の動きにあわせて、ゆさゆさと揺れる。それだけで、自分の行動に冒険心が揺すぶられた。

よいしょ、よいしょ。


 コンクリートの向こう側の、土の感触。

ついに、一番てっぺんに手がかかる。

頭をのぞかせて、体をあげて、残った足をひき上げる。自分がのぼってきた道をそっと振り返って、のぞきこむと、今までみたことのない景色と高さが広がっていた。

気持ちいい風が髪を揺らす。

心の奥から、満足感があった。


 また前を向くと、そこには一面のフェンス、そして、下の方に穴がひとつ。

ふさがれた向こう側への好奇心を押さえる理由を、このときはまだ知らなかった。

体を丸めて、フェンスの穴をくぐりぬけ、奥へと進んでいく。


 赤いサンダルで草を踏みしめる。足先に時折かかる感触が、くすぐったくも面白い。

気分はもう、いっぱしの探検家である。周りに生える木々の道を進み、時折現れる水溜まりをえいやっと飛び越え、障害も何のその。

しかし、いつの時も慢心が大きなミスを生むことを小さな探検家は知るよしもなかった。

大きめの水溜まり、少し助走をつけてギリギリのところで飛び上がる。水面に、大きな影が浮かんだ。

水がはね、足元が大きく濡れる。顔にも数的しずくがついた。

だけれども、残念、という気持ちが少しと、面白かった!という感情が大きくそこにあった。頬を緩ませながら、ポーチからハンカチを取り出して、拭く。

まぁ、あとは歩いていけばなんとかなるだろうと。ぺちょっとした足元の感触も、慣れれば楽しくなってくるのだ。


 ぱっと目を向けると、白い蝶々がふふっと木の間をすり抜けていった。それは、薄暗い森の中に突如現れた、空想の光のように見えて、夢中で追いかけていた。

 小さな光はすぐに消え、木が生い茂る場所に出た。すると、少し先の斜面に、穴を見つけた。

なにかいるかもしれない。

穴の中を覗いてみる。けれど、何もいない。

足跡や葉っぱや木の実などを探しながら、下をずっとのぞき込んで歩くと、これまでとは違う、大きな木の幹にぶつかった。

 

 上を見上げると、大きな大きな木がそびえ立っていた。木の葉の隙間からこぼれる光と影が、太陽が真上に来たことを教えてくれる。

同時に、ぐぅとお腹が鳴る。

ポーチを肩から下ろそうとすると、風がひとつ、強く吹いた。思わず目を閉じて、再び開けると、そこには一匹のきつねの姿があった。

おそらく先程の穴、巣穴の住人だろうと思いながら、始めて見る、絵本から飛び出たその姿に、足が止まらなかった。

しかし、狐はすぐにこちらに気付き、ピヤッと森の奥へ行ってしまった。

森の住人は、用心深い。


 また少し歩くと、小さなほこらを見つけた。

ポーチのチャックを開けて、ラップに包まれたおにぎりを、半分こにして、半分はお供えをして、自分は残りの半分を食べた。今日の具は、昆布だった。


 そして、また小さな少年は歩みを進める。

そこに目的はなく、心の求めるままに進んでいくのみ。

という名の、暇潰しなのかもしれない。


 しばらくして、一人きりの冒険はほどよい疲れにより終わりを迎える。スタート地点に戻ると、お母さんが来た。

用事が終わって、迎えに来た。

ここで遊んでるかと思ったのに。いなかったからビックリしたよ。

そう言うと、頬についた土をそっと拭って、


何をしていたの?何か居た?と尋ねた。

小さな少年は、

ひみつ!と答えた。

まだ少し濡れた足元と、土で汚れたおしりをはたきながら、母親の後ろをついていく。


 夕焼け色が、静かな暖かさを窓から助席に注ぐ。ほどよい振動により、車の中で小さな少年は眠りにつく。


 おそらく、車から降りた後、衣服を着替えるときにでも怒られながら、今日のことを話すことになるとは思うけれど、今はまだ少年の中だけの物語。それは、日が経つごとに薄れながらも、そのワクワク感だけは強烈に忘れることが出来なかった。



無邪気な頃の記憶。

そこには、心が踊る感触を思い出させてくれる、いつ思い返しても色褪せない、一つの冒険譚があった。


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おにぎりひとつ 藤井杠 @KouFujii

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