告白の言葉は

夏目くちびる

第1話 走馬燈

 思えばあなたは、初めて出逢った時からお節介でウザったい奴だったよ。



 確か、冬だったはず。あの時、あなたはシワの多いくたびれたスーツを着て、Yシャツの第一ボタンを外しただらし無い格好をしていた。腕時計もしていなかったし、靴だって底がすり減っていて、オマケに髪の毛はボサボサだった。私の知る限り、それは凡そお金を持っている人間の服装ではないよ。



 それなのに、あなたは私に手を差し伸べた。確かに私は家を無くし、橋の下で寒さに震えていた。しかし、それだからといって、見るからに金銭的な猶予のないあなたが私を助けようとした事を、私は子供ながらに不思議に思った。



 私を家に連れて行ってあなたが最初にした事は、私をお風呂に入れることだったね。言葉を分かるはずの無い私に、「子供の世話はした事がないんだ」等と言い訳をしながら、傷付けぬよう優しく丁寧に洗ってくれたのを覚えてる。



 それから、あなたはインターネットで子供の食事を調べ、鍋でコトコトとミルクを煮込み、体に良いとされる食材をすり潰した離乳食を食べさせてくれた。……この際だから言っておくけど、あれはいくらなんでも冷まし過ぎだよ。あなたは私を心配したのだろうけど、私の体は冷えていたのだから、もう少し温もりがあってもよかったよ。



 その翌日、あなたは仕事を休んで、私を連れてどこかの施設へ向かったね。あれは私をしっかりとした環境で育ててくれる親を探していたんだと思う。



 何件も施設を巡っていたのを覚えてる。もちろん、私はあなたに抱かれていただけで、自分の足で歩くような事はなかったけど。



 しかし、何故かあなたは私をどの施設に預けることも無く、自分で育てる事を決めた。



 どうして?確かに、どの施設でも「この子を引き取る人が現れないかもしれない」と言われていたけど、その場合はそこで一生を過ごせば良い話だと思う。私には、あなたの考えが本当にわからない。



 それに、あなたがあそこで私を施設に入れていたのなら、私があなたより先に死んでしまう事だってなかったかもしれないのに。皮肉なモノだね。



 それから、あなたは私の為に仕事を早く切り上げて帰ってくるようになり、毎日毎日飽きもせず私の世話をするようになった。ベッドを私に明け渡し、「君を潰してしまってはよくない」と言って自分は固い床の上に眠るのを見て、少しだけ申し訳ない気持ちになった。



 私が寂しくなればすぐに頭を撫でて、体調が悪くなればすぐに病院を探し回って、我儘を言えばすぐに察して満足させてくれた。だから私は、あなたの事を親ではなく奴隷なんじゃないかと思っていたよ。



 次第に生活に慣れてきたのか、それとも私が少し大きくなったからか、あなたは私の隣で眠るようになった。目を閉じる時、いつも寂しそうな顔をしていたね。私はまだ子供だったけど、あなたが辛いのが分かったから人差し指を握ってあげた。その時のあなたの笑った顔が、私は凄く好きだった。



 そんな生活を続けていたある日、あなたは部屋に女性を連れて来た。同じ会社で働く、あなたよりも二つ年上の髪の長い美しい人だった。



 思えば、あなたの服装が綺麗になって、髪型が格好良くキマっていて、しきりに臭いを気にしていたのは、彼女を手に入れたかったからなんだね。興味のない映画やドラマを見て、知りもしない国の観光地を調べていたのは、会話のネタを作る為だったんだね。



 あなたはずっと私のモノだって思っていたから、そんな事考えもしなかったよ。



 けど、私には解る。あなたの彼女があなたを好きになった理由は、きっと物知りでかっこいいからじゃない。



 私に手を差し伸べてくれた様に、見捨てずに精一杯尽くしてくれるその優しさが、彼女を惚れさせたんだよ。本当、あなたってズレている。

 


 彼女は小さな私を見て、「かわいいね」と言った。でも、私はそれが悔しくて、だからあなたの後ろに隠れたの。



 毎日あなたと一緒に眠って、ご飯も食べて、お風呂にだって入っていたのに。私の方がずっと長く一緒にいたのに、そんなの納得できないに決まってる。



 でも、彼女は私の事をとても大切にしてくれた。意味もなく怒る私の事を受け止めてくれたし、あなたの様に優しくしてくれた。だから私は敵わないって、そう思った。……でも、あなたを一番分かっているのはやっぱり私だよ。それだけは、譲れない。



 成長するに連れて、私にも友達というモノが出来た。そして、彼らと遊んでいるうちに何となく解ってきた事がある。それは、小さな私では、あなたとは決してわかり合えないと言う事。あなたはそれをずっと分かっていたんだと思うと、とても切なかった。だから、この気持ちは誰にも伝えず最後まで秘めておく事にしたの。



 それから、あなたは彼女と結婚をして、大きな家に引っ越した。私は住み慣れたあの部屋でもよかったけど、これからの事を考えればいい決断だったと思う。それに、その頃には私は自由に遊びに行けるようになっていたし、あなたがいなくても寂しくなかった。



 しばらくして、私に弟ができた。私が子供の頃よりもたくさん泣く、元気のいい子だった。



 彼は、いつも私の後を付いて回った。ご飯を食べている時も寝ている時もジッと私の事を見ていたし、しまいにはトイレに行った時だって私が用を足すまでその側で待っていた。



 私だってレディなのに、失礼しちゃう。でも、そのあどけなさを見ると、怒る気にもなれなかった。



 季節が通り過ぎて、いつしか彼が私の背を追い越した頃、私は病気になってしまった。



 原因は不明だけど、生まれた時から私はこの病気に掛かっていたらしい。抱えていた爆弾が、今になって爆発してしまったのだ。



 考えてみれば、私が捨てられた理由は、いつ死んでしまうのかもわからないこの病気のせいだったんだと思う。きっと、あの人たちはそれを分かっていて、でも私が死んでいくのを見たくないから、橋の下に置き去りにしたんだ。



 ……あなたは、知っていたの?私が、いつまで生きていられるのかわからないって事。



 もし知っていたのだとすれば、本当に馬鹿だよ。だって、私だったらそんな事は絶対にしない。自分の知らないところで起きる事を、迷惑だとは思わないもの。お人好しも、ここまで来ると笑ってしまう。



 ……さて、私に残された時間はどれくらいだろう。正確にはわからないけど、恐らくもう長くはない。



 胸が苦しくて、上手く声も出せなくて、歩くのだってやっとだ。だから、もう放って置いて欲しい。



 そんな私の気持ちを察して二人は居なくなってくれたのに、唯一人私から離れない人がいた。言うまでもない、あなただ。



 あなたは何故か、私から決して離れない。それどころか、時々声を掛けては、私の頭を優しく撫でて、あの時のように微笑むばかりだ。



 私、知ってるよ。昨日の夜、隣の部屋で涙が枯れる程泣いていた事。見えないからって私が気づかないとでも思ったの?私にはあなたが何をしているかなんて手に取るように分かるの。だって、ずっと一緒にいたんだもん。



 私が目を閉じると、あなたはさっきまでの優しい笑顔のまま、大粒の涙ををポロポロと流した。でも、「生きろ」とは言わない。「行かないで」とも言わない。ただ、私が安心出来るように手を動かしている。



 「よく頑張ったな」



 そうかしら。考えてみれば、私はあなたに何もしていない。もしも好きであればあるほど相手に尽くすのだとすれば、私はあなたの事を少しも好きではなかったと言うことになる。



 それは嫌。だって、私はあなたの事を今でも好きだもの。それに、伝えるべき最後の瞬間が来たのなら、素直な気持ちを伝えてもいいと思う。そうでしょう?



 だから、私は静かに「にゃあ」と言って、呼吸を止めた。

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告白の言葉は 夏目くちびる @kuchiviru

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