木曜18時、花を生けませんか
透明たまご
第1話 たおやかな雲竜柳
ぱき、ぱち。心地よい緊張感の中でいたるところから響く静かな音は、ある種の音楽のようで悪くない。木曜日の夕方、12畳の真っ白な空間は静物の色で鮮やかに彩られる。
「修学旅行、どうでしたか?」
柳のようにしなやかな声が背後に響き、俺は鋏を机に置いた。お願いします、と一礼とともに、パイプ椅子を引いて立ち上がる。その人は音もなくそこに腰掛け、じっと目前に向き合った。木曜日だけに訪れる、この瞬間。背筋が正されるような少しの緊張と、心のどこかにある期待。「うん、うん。」と頷くその人の横顔に、端にあった期待は途端に真ん中にやってきた。
「思いっきり楽しめたみたいですね。」
柔らかくそう言って、先生は雲竜柳の枝一本を剣山から抜いた。パキン。同じ鋏のはずなのに、先生の音は鋭い。太い枝のふもと10センチを切り落し、枝ぶりを確かめてから剣山に戻す。その行為が3度、4度と繰り返された。その度に俺の頬は熱くなっていった。
うん。満足そうに、少し身体を引いて先生は頷いた。
雲竜柳も他の花々も、結局全てが生け直されてしまった。枝はいきいきと上に伸び、間で花々が呼応しながら生を謳歌している。まるで息を吹き返したように、生まれ変わったことを喜ぶように。
今月の一週目、期末テストがあった。要領が良いせいか、俺は日々の努力を知らない。決まって直前に詰め込む暗記科目。範囲の広い高2の世界史の前日、今年から通い始めたいけ花の稽古を初めて休んだ。テストが終わると連日の徹夜のせいか、風邪を引いてしまった。熱はなかったが、大事を取って次週の稽古も休んだ。その次の週には、学生生活の一大イベント、修学旅行が待っていたから。
ちんすこうを携えて挑んだ四週間振りの稽古。毎週通い続けてやっと掴みはじめた感覚を忘れただろうかという不安は、花に向かうと楽しくて吹っ飛んだ。息をするように手が動く。なんだ、努力は身についてるじゃん。もしかして適度にサボる方が調子良かったりして。今日こそは直されるところがほとんど無いかもな。なんて、調子の良いことを思っていた。先生に手直しをされるまでは。
先生に生け直されてやっと、しっちゃかめっちゃかだったことに気づく。活気や元気は、確かにいつも以上にあったかもしれない。生徒に舐められている先生の授業中みたいに、枝も花もあっちこっち向いて煩く騒いでいた。
初めて行った沖縄は、確かに楽しかった。バスの窓いっぱいに広がるサトウキビ畑。太い幹が空高く伸びたヤシの木。緑や赤、色の濃さと深み。一枚いちまいの葉の大きさ。道端の雑草さえ、力強い匂いがするようだった。その地を飛び立って数日が過ぎても、それらの光景がチカチカと輝く。その感動を、俺は誰かに伝えたかったのかもしれない。
「せんせー、次はこっちお願いしまぁす」と、背後から猫なで声が割り込んだ。久しぶりの稽古なのに、今日も言葉を沢山は聞けないまま、先生は席を立ってしまう。
「…稽古が終わったら、お土産話を聞かせてくださいね。」
その声が自分にかけられたものだと気づき振り向いた時には、既に背中を向けられていた。机に向かう女性たちの間を縫って、声をかけた女性の元に歩いていく。木曜の夕方クラスに集うのはみな女性だ。俺と先生を除いては。華やかな女性たちと花々の間で、先生は浮いているようで引き立たされている。色の無い、真っ白なシャツ。腰のエプロンは、落ち着いたベージュの色。綺麗な色だと思うけど、今の俺には似合わないだろうな。そんなくだらない感想は、沖縄の話はできても先生に言えそうもない。
木曜18時、花を生けませんか 透明たまご @toumei_tamago
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