しあわせのティッシュ

コイル@委員長彼女③6/7に発売されます

第1話 しあわせのティッシュ

「おはようございます~。今日もしあわせのティッシュをお配りしております~」


 まだ暑い日が続く九月の駅前。

 俺、宮脇祐介みやわきゆうすけはいつも通り『しあわせのティッシュ』を受けとった。

『しあわせのティッシュ』と言いながら配っているが、便利屋さんのチラシが挟んである普通のティッシュだ。

 

「いつもありがとうね~、お兄さん」


 配っているお姉さんは俺に向かってほほ笑んだ。

 お姉さんの服装は、黒い上着に黒い羽根を背負い、黒いスカート。靴だけ真っ赤で、かなり変わっている。

 全部含めて『妙』すぎて、みんな避けて歩くけど、俺はいつももらっている。

 だってティッシュなんて何個あっても良い。

 

「おはようー、祐介。今日あのティッシュもらってるの?」

留美子るみこだってもらってるじゃないか」

「うちの高校であれ受けとってるの、たぶん私たちだけだよ」


 そういって俺の幼馴染み……関根留美子せきねるみこは笑った。

 同時に肩まで伸ばされた髪の毛がサラリと揺れた。

 小学校からの幼馴染みで、俺が唯一普通に話せる女子だ。

 留美子は俺の横に立って口を開いた。


「ねえ、脚本、来週提出だよ、書けてる?」

「書いてるけど……」

「祐介の絶対読みたいから出してね」

「うーん……」

 

 俺と留美子は同じ高校の演劇部だ。

 11月に文化祭があり、その時やる劇の脚本コンペがもうすぐある。

 脚本部はみんなその日に合わせて必死に書いてるんだけど、俺は……出さないかも知れない。


「おはよう、留美子さん」

「あ、おはよう橋本くん」

 

 俺たちの後ろから同じ演劇部の橋本が来た。

 橋本は脚本部の中で一番イケメンで、メンタルも強い。

 話を書くとすぐに身近な誰かに読んでもらって、感想を求める。

 目の前で感想を言われるのが苦手で陰キャ俺とは真逆な人間だ。

 橋本は横にいる俺にも「おはよう!」と爽やかに挨拶して留美子に話しかけた。


「読んでくれた? 脚本」

「読んだよ。良くなってた~」


 俺は留美子と橋本の会話を背中に、足早に学校へ向かった。

 留美子はずっと「祐介の脚本が一番面白い」と言ってくれてるけど、俺は橋本に負けそうで怖い。

 戦って負けるなら、戦う前から負けたほうがつらくない。

 もう書き終わってるけど、コンペに出すのはやめようと思っている。

 仲良く話しているふたりを見たくないので、早足で逃げた。

 しかし留美子が俺に追いついてきた。


「ねえねえ、祐介も脚本一回読ませてよ。だって主役するなら私でしょ」

「自意識過剰だな」

「だって祐介の脚本の主役はずっと私がしてるじゃない」

「中二の朗読劇だけだろ」

「あれ、すごく面白かったよ。……ねえ、まさかコンペに出さないつもり?」


 さすが幼馴染み、付き合いが長いとカンも鋭い。

 俺は「いやあ?」と遠くを見ながら言ったが、後の祭り。

 留美子は俺の制服をグイとひっぱった。


「明日の土曜日! 映画を見に行こう? 祐介が好きな監督の映画がはじまってるよ?」

「あー……そうだったな……」

「連絡するね? 気分転換しようよ!」


 そういって留美子は教室に入って行った。

 自分の話を考えるのに必死で、たしかに煮詰まっていた。

 スマホを見ると留美子から『ついでにケーキも!』と連絡が入っていた。

 おごらされるのか。苦笑していたら、横に橋本が立っていた。


「脚本は書き終わったの?」

「まあ……微妙」

「どうせ俺に負けるんだからコンペには出さなくていいよ。最初から勝負はついてる。留美子さんのことも」

「……はあ」


 イケメンはドヤ顔で俺の横に立ち、軽くウインクして去って行った。

 なんだあれ……。

 強すぎるメンタルに圧倒されて、俺は立ち尽くす。

 別に脚本で戦いたいわけではない俺は、もう演劇部をやめたくなってしまいため息をついた。







「面白かったねー!」


 約束の土曜日、映画を見終えてカフェに入った。

 ひさしぶりに映画を見たけれど、楽しくて気分転換になった。

 橋本に意味不明なマウント取られて落ち込んでいたけれど、やはり脚本を考えるのは楽しいと素直に思えた。


「んじゃ、ケーキはおごりね。えっと、私はチョコケーキ。祐介もチョコケーキ」


 留美子は注文したチョコケーキを美味しそうに食べ始めた。

 いつも自分が食べたい物を俺用に勝手に注文して、ふたつ食べるのが留美子流だ。

 俺はコーヒーと一緒にひとくちだけ食べられれば良いので何とも思わない。

 満面の笑みでパクパクとチョコケーキを食べている頬にチョコがついている。

 俺はカバンからいつものティッシュを取り出して渡した。


「ありがとう~。あ、しあわせのティッシュじゃん」

「もらい過ぎて全てのカバンに入ってるな」

「『おはようございま~す。今日もしあわせのティッシュを配っております~』」

「すげぇ似てる」


 留美子が突如はじめたお姉さんのものまねはすごく似ていて俺は笑ってしまった。

 

「役者部だからね」

「留美子は誰かの真似とか上手よな。この前のおばあちゃん役もすごく良かった」

「チョイ役だったのに、見てくれたの」

「良かったよ、姿勢とか、動きとかさ」

「……ありがとう」


 すごくいい雰囲気になって、カバンを引き寄せた。

 実は今日こそ留美子に初稿を読んでもらおうと持ってきていた。

 今なら……と思ったら留美子のスマホがなった。


「あ、橋本くんだ。え? 同じ映画館にいたみたいだよ。感想話さないかって」


 橋本の名前を聞いた瞬間に心がスン……と静まり返り、マウントされた時の気持ちがよみがえった。

 俺はカバンを抱えたまま立ち上がった。


「……じゃあ、おふたりでどうぞ」


 俺は机に1000円置いてカフェを出た。

 「ちょっと待ってよ!」と後ろで留美子の声がする。

 でももう、顔も見たくなかった。やっぱり演劇部をやめよう……そう決めた。

 早足で歩いていたら、路地から見覚えがあるお姉さんが出てきた。

 黒い上着に黒い羽根に真っ赤な靴……見間違えようがない。

 毎朝駅で『しあわせのティッシュ』を配っているお姉さんだ。


「……なにがしあわせのティッシュだよ」


 俺は小さな声で言った。

 毎朝もらってるのに、俺の心境は地獄だ。


 ティッシュのお姉さんは、俺の前を歩いて川の方向に向かう。

 すぐに電車に乗って帰る気にならなくて、後ろをついていく形になった。

 目の前をしあわせのティッシュ配りのお姉さんが歩いている。

 もはやしあわせという単語にさえムカついて、前を歩くお姉さんをなんとなく睨んだ。

 お姉さんはそのまま川沿いを歩き、車が多く走る道路前で止まった。

 交差点の向こうに……橋本が見えた。

 ……なんでここで会うんだよ。

 俺は来た道を戻ろうとした。

 すると後ろに留美子が追いついてきていた。


「ねえ、待ってよ!」


 最悪のタイミングだ。

 そう思った瞬間、キキキーーー!! と大きなブレーキ音が響いた。

 振り向くと、大きな道路に子どもが飛び出しているのが見えた。

 車がすぐ近くまで迫っている。



 事故になる……!!



 俺は恐ろしくて目を固く閉じた。

 俺に腕に留美子もグッ……としがみつてくる。



 ドン……!! という音と、悲鳴が響き渡る……はずだった。


 

 数秒待っても、その音がしなくて、俺はゆっくりと目を開いた。

 すると、目の前に……大量のティッシュが舞っている。

 舞っているのに……空中で止まっているのだ。


「……は?」


 俺は絶句する。

 俺の声に留美子も目を開く。


「え……なに? なんでティッシュ……浮いてるのに止まってるの?」

  

 留美子もつぶやいた。

 なにより……子どもをひきそうになっていた車は、子どもの目の前で止まっていた。

 それだけじゃない、交差点の向こうにいる橋本も、他の車も、流れていた川も止まっている。

 時間が止まっている世界で、目の前に立っていたしあわせのティッシュ配りのお姉さんと俺たちだけが普通に動いていた。

 ティッシュ配りのお姉さんは動きが止まった世界で、子どもを抱えて俺たちの足元に連れてきた。

 そしてにっこりほほ笑んだ。


「ね? しあわせのティッシュでしょ?」


 そう言った瞬間、目の前で止まっていたティッシュがふわりと舞い落ちて……消えた。同時にキキキーー!! と音が響いた。

 車はハンドル操作で子どもを避けようとしたのか、そのままガードレールにぶつかった。

 ガンッ!! と大きな音が響く。


「きゃあああ!!!」


 留美子は俺にしがみついた。

 俺は留美子と子どもを守るようにガードレールに背を向ける。

 三人で身体を小さくして安心を待つ。

 気がつくとティッシュ配りのお姉さんはいなくて、車だけがガードレールにぶつかって灰色の煙を上げていた。

 抱き寄せた子どもは無事。

 俺たちも無事だった。


「……なにが、あったんだ……」


 俺たちは河原に座り込んだまま動けない。

 やがて子どもの父親が走り込んできた。子どもは父親に飛びついて泣いた。

 俺は座り込んだまま口を開いた。


「……見たか」

「見たよ。車が子どもをひきそうになって……そしたら、ティッシュさんが子どもを抱えて歩いてて……終わったの」


 やがてパトカーが来て、事故の処理を始めた。

 俺たちは目撃者として状況を聞かれたので「しあわせのティッシュを配っている女が時間を止めて子どもを救った」と伝えた。

 子どもも「お姉さんが助けてくれた」と証言した。

 それに運転手も「子どもをひきそうになったからハンドルをきった」と証言したが、一緒に「白昼夢ですかね」と片づけられた。

 だって現場にはそんな女はいなかったし、あんなに舞ってたティッシュも無かった。


 警察の聴取が終わると、橋本はすぐに留美子のところに駆け寄ってきた。

「大丈夫だった?! お茶でも飲もうか」

 橋本はグイグイ動き始めたが、それを留美子は制した。

「ごめん、今日は祐介と話したいから、明日学校でね」

 橋本はあの時、一緒に止まっていて『あれ』を見ていないのだ。

 俺と留美子だけが見ている。

 留美子は俺の腕をひっぱって、川沿いを歩き始めた。



「もうだめ、頭がパンクしそうだよ」

 留美子は興奮しながら言う。

「俺たち……なにを見たんだ?」

「わからないけど、絶対あれって……あれ? なにこれ……?」


 留美子は突然立ち止まって、自分のカバンを見た。

 小さなカバンから、紙束がはみ出していた。


「?! なんでそれが、留美子のカバンに入ってるんだ?!」

「これ……脚本?」


 見せるタイミングを失った俺の脚本が、なぜか留美子のカバンに入っていた。

 リュックの奥に入れておいたのに……!

 留美子は脚本を両手で大切そうにもって、俺のほうを見る。


「読んでもいい……?」

「いいけど……」


 留美子は河原のベンチに座って脚本を読んだ。

 俺は真横で脚本を読まれるのが苦手で……足元の雑草を抜いて読み終わるのを待った。

 留美子はゆっくりと脚本を読み終えて、目を輝かせた。


「やっぱり祐介の書いた話が一番面白い! これ明日絶対出そうね。もう祐介が出さないなら、私が出しちゃう!」

「……大丈夫かな」

「絶対大丈夫だよ!!」


 留美子は太鼓判を押してくれた。

 俺は自信がなかったが、やっぱり出してみることにした。

 すると橋本を抜いて、一位になり、今年の劇は俺の脚本を使うことになった。

 橋本はその場で思いっきり悪態をつき、顔だけイケメンという残念な称号を得ることになった。






 コンペが終わった演劇部の部室は夕方と夜の境界線でうっすら暗い。

 留美子は俺が書いた脚本を読みながら呟いた。


「あの時、私のカバンに脚本入れたのって、あのティッシュのお姉さんじゃない? だって時が止められるんだもん」

「! そうかも。俺たちも気がついてない瞬間があったのか」

「私たち、ずっとあのしあわせのティッシュもらってたもんね。しあわせ来ちゃったかな」


 留美子はそう言って髪の毛を耳にかけながらクスリと笑った。

 俺は駅のほうを見ながら言った。


「今日はいなかったな」

「電話番号も全部嘘だったよ。なんだったんだろ……。でも、良かった。だから言ったでしょ? 祐介が一番だって」


 留美子は嬉しそうにほほ笑んだ。

 正直、しあわせのティッシュ配りのお姉さんパワーで脚本が渡らなかったら……「面白い」って太鼓判を押されなかったら、出せなかったと思う。

 そう伝えると留美子は


「でも一位を取ったのは脚本の力だよ。それにこの主役の子、私にそっくりじゃない?」

「自意識過剰ですね」

「じゃあ誰かほかの人が演じたほうがいい?」

「いや……俺の脚本の主役はずっと留美子なんだろ?」

「そうだよ。ずっと私なんだから」


 そういって留美子はほほ笑んで、俺が書いた脚本を読み始めた。

 俺の制服のポケットには、いつもしあわせのティッシュが入っている。

 留美子がいつチョコケーキを食べても拭いてあげられるように。

 それが俺の『しあわせ』なんだって、もう気がついている。


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