最終話 割れた硝子を抱きしめて

❖❖❖


 王都の至るところにラクリアが咲いていて、花弁と甘い香りが風に乗って流れてくる。冬を越えた日差しは柔らかく、チーニの頭上に降り注ぐ。ディアの白い髪が陽光を反射してきらきらと光る。


 くせ毛が風に揺れて、その頭の上にラクリアの花弁がのった。隣から、柔らかな笑い声があがる。


「ディア、髪の毛にお花、ついてるよ」


 チーニよりもいくらか低いところにあるルーナが動いて、それに合わせて栗色の髪が風に舞った。光に透けるルーナの髪が綺麗で、チーニはそっと手を伸ばす。


「なあに?」


 頭を撫でるチーニを見上げて、ルーナが笑った。チーニも笑みを返してから、三年間、共に過ごした学び舎に視線を向ける。


「もう、卒業だなぁと思って」


 久しぶりに制服を着て、胸に花の飾りをつけて、春風の中で笑い合う。去年遠くから眺めたニフのことが浮かんで、チーニの胸がちくり、と痛んだ。ルーナが不意にチーニの手を握る。


「大丈夫、チーニなら、だいじょうぶだよ」


 心臓の痛みも、胸の中にある不安も、丸ごと抱きしめられたような気分だった。ルーナの隣に、ディアが立つ。


「なあ」

「なに?」


 チーニが問いかけると、ディアは少しの間黙って、それからルーナの前に膝をついた。赤いまっすぐな瞳が、ルーナを見つめる。


「俺、王様になる。それで、世界を変えてくるから。だから、あと少しだけ、待ってて」


 ディアは小指をルーナの前に差し出す。ぱちくり、と瞬きを繰り返したルーナはチーニに視線を向け、ディアの方に戻した。


「それって、プロポーズ?」


 今度はディアの方が目を見開いて、固まる。その返答は全く予想していなかったらしいディアに、チーニとルーナは目を見合わせて笑った。肩を震わせる二人分の笑い声が、柔らかな春の空気に溶ける。ディアは立ち上がって、唇を尖らせた。


「そ、そういうつもり、じゃなかった。けど、一生の約束ってところは、一緒」


 顔をそっぽに向けたまま、ディアはまたルーナの前に小指を差し出す。ルーナは目元に滲んだ涙を誤魔化すように、顔をくしゃくしゃにして笑った。ディアの小指にルーナの小指が触れる。


「ずっと、待ってる」


 震えた声を落として、ルーナは目元の水滴を拭った。絡んだ二人の指がチーニの顔の前にズイッと突き出される。戸惑って二人に視線を向けるとルーナが「くふふ」と笑った。


「チーニも約束しよう。ディアが世界を変えたら、また三人で朝までトランプするって」


 チーニは顔をほころばせて、小指を絡める。


「うん。約束」

 三人分の笑い声が空気を、やわく、あまく、溶かしていく。あたたかくて、幸せで、思い出すたびに泣いてしまうような、春の日だった。


❖❖❖


 マケリの医院の天井を見上げて、チーニは目をこすった。幸せな夢の名残が残る目元を拭って、体を起こす。ディアが最後に見せた理想郷を抱きしめるように。もう世界のどこにも居ない二人を抱きしめるように。そっと、膝を抱き寄せる。


 夜明け直後の薄暗い部屋の中で、体を丸めて、チーニは呟いた。


「おはよう、ディア、ルーナ。今日も、変わらず天気がいいよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

割れた硝子を宝箱に詰めて 甲池 幸 @k__n_ike

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ