エピローグ

 シャトル発着場が跡形もなく消し飛んで、それから二ヶ月余りが経った。

 間もなく陽も落ちようとするその日、『龍追い人ドラゴン・チェイサー亭』の扉を乱暴に押し開けたのは、極めて不機嫌な顔のタヴァネズであった。

「ソリオはいるか?」

 太い眉の間に深々と縦皺を刻み、常にも増して威圧感をまとう彼女に、カウンターの中でベープ管を構えていたデミルが応じる。

「おや、総督閣下じゃないか。この店に顔を出すとは珍しい」

「その肩書きで呼ぶなあ!」

 デミルに声をかけられた途端、タヴァネズはきっと目を剥いて、カウンターテーブルに勢いよく拳を下ろす。だがデミルは微塵もたじろがず、平然とした顔でベープの煙を吐き出した。

「そんなこと言ったって、自治領総督に昇進したんなら、閣下呼びがセットだろう」

「総督も閣下もいらん! なりたくてなったわけじゃない!」

 タヴァネズは口角に唾をためて喚き立てる。だがデミルに対してそう言い張ったところで、彼女が自治領総督になってしまったことに変わりはない。

 惑星開発局エンデラ管理本部長だったオクシアナ・タヴァネズが、地元マフィアの密貿易の拠点を壊滅させた功績によってエンデラ自治領総督に任ぜられたのは、つい先月のことである。それと共に植民惑星エンデラも、バララト政府の自治領に格上げとされた。

「格上げなわけがあるか!」

 スツールにどっかと腰を下ろしたタヴァネズは、ベープ管を取り出しながら憤懣やるかたないといった口振りだ。

「要するに本国はエンデラに対する援助を削減して、後は住人たちで勝手にやれってことだぞ。代わりに現地の権限拡大を認められても、未だにインフラも整わないこの星でそんなもんがなんの役に立つ!」

「私に言ってどうするんだよ。怒鳴ってる暇があったら、さっさと注文しな」

 席に着いたからには客として注文しなければ許さないという、デミルの右目が放つ輝きに射すくめられて、タヴァネズは渋々ベープ・リキッドとコーヒーを頼んだ。頷いたデミルが背後のガラス棚からリキッド筒を取り出しながら、タヴァネズが最初に口にした言葉について尋ねる。

「それでソリオがどうしたって?」

「それだ。てっきりここにいるかと思ったが、いないのか?」

 タヴァネズはぎょろりと周囲を見渡すが、狭い店内にソリオの長身は見当たらない。すると奥の洗面所の扉が開き、同時にトビーの煩げな声が聞こえた。

「やかましいぞ、総督。便所まで響く大声で、何を喚き散らかしてるんだよ」

「貴様も総督呼ばわりするな!」

「じゃあなんて呼べばいいんだよ、面倒臭え」

 トビーは頭を掻きながらカウンター席に腰を下ろすと、テーブル上のコンソールに指を走らせた。すると店内の天井近くにホロヴィジョン映像が展開される。

 バララト本国から発信された一週間遅れの映像が伝えるのは、先日の航宙省大臣の辞任に関するニュースであった。

「ここんとこ、ニュースはこればっかりだねえ」

 デミルの呟きに、トビーがふんと鼻を鳴らす。

「あの女、どうやら上手いことやったらしいな」

 トビーが仄めかしたのは、無論アイリンのことである。

 アイリンは廃鉱での大爆発の翌日にはもう、エンデラを離れていた。バララト本国に舞い戻った彼女が、ソリオから手に入れた宇宙港管制システムの設計図レシピをどう使ったかまではわからない。だが港湾局長どころかこうして航宙省の大臣までその座を追われたのだから、アイリンは設計図レシピを最大限に活用したのだろう。

 そして宇宙港爆発事故・・そのものについては、最近はもう原因究明を求める声も聞かれない。大臣以下首脳陣の辞任で混乱に陥った航宙省は、巨額の補償請求にもろくに抵抗出来ず、ほぼその内容を丸呑みすることになった。そのためにさらなる追及の声も、今ではすっかり下火になってしまった。

「結局一番美味しい目を見たのは、あいつだけか」

 この一連の騒動で最も成果を得たのは、バララト本国に帰還したアイリンただひとり。それどころか密貿易の拠点を失ったゲンプシーはもちろん、タヴァネズは望みもしない総督昇格で余計な責任ばかりが増し、ヤンコは治療代が嵩んでソリオから得た大金も全て吹き飛んだという。

 エンデラに居残った連中は誰ひとりとしてろくな目に遭ってないという結末に、トビーが思わずぼやくのも無理も無いかもしれない。

 ふうと小さくため息をついてから、トビーはカウンターテーブルの上に投げ出してあったベープ管を手に取った。吸い口を咥えようとしたその横顔に、タヴァネズが詰問口調の声を投げかける。

「トビー、ソリオはどこにいる。奴は管理本部にも顔を出さないどころか、借金返済の催促まで殺到して仕事にならん」

「借金だあ?」

 管理本部は既に総督府と改称されているはずだが、タヴァネズは頑としてその名前を用いようとしない。それはともかく、迷惑千万といったタヴァネズの問いに、トビーは片眉を跳ね上げて訊き返した。

「あいつはクズだが、そういうところは抜け目ねえぞ。だいたい、誰に借りたってんだよ」

「ゲンプシー商会の金貸しだ。連中も最近は金回りが怪しいから、以前に増して取り立てが厳しいらしい」

 ということは、ソリオはエンデラを訪れてから借金したということになる。いったいなんのためにそんな大金が必要だったのか。トビーもタヴァネズも、デミルまで一緒になって首を捻る。

 だが彼らの思案はそれほど長くは続かなかった。なぜなら当のソリオ本人が、這々の体で『龍追い人ドラゴン・チェイサー亭』に飛び込んできたのだ。

「デミル、頼む、匿ってくれえ」

 長身を折り畳むように身を屈めて、見るからに人目を避けながら入り込んできたソリオを、三人の目が出迎える。

「おっと、これは皆さんお揃いで。閣下までいらっしゃるとは……」

「閣下と呼ぶな!」

 タヴァネズに噛みつかれても意に介さない、店内に転がり込んだソリオの瞳は、天井近くに浮かぶ映像に釘付けになっていた。

 ホロヴィジョンは未だに航宙省大臣の辞任にまつわるニュースを流し続けている。代わり映えのしないはずの映像を目の当たりにして、だがソリオは唐突に両手で赤毛頭を掻き毟り出した。

「アイリン、いくらなんでも仕事が早すぎるんだよ!」

「何言ってんだ、てめえ」

 さっぱり要領を得ないトビーが、訝しげに尋ねる。するとソリオはトビーに訴えかけるかのように、事情を切々と説いた。

設計図レシピを取り戻すのに立て替えた金が、まだ航宙省から振り込まれてねえんだよ! 港湾局長宛に請求したら、振り込まれる前にアイリンのせいで局長が飛ばされちまった!」

「立て替えた金って、もしかしてその金、借金で賄ったのか?」

「三ヶ月もすりゃ返せる予定だったんだよ。利息を計算しても十分黒字のはずだったのに、全部パアだ!」

「……前言撤回だ。抜け目がないどころか、単なる大間抜けだった」

 そう言って呆れ果てたのはトビーだけではない。タヴァネズもデミルも、三人揃ってソリオを見る目には、同情とは対極の表情が浮かんでいる。我が身を嘆き続けるソリオは、白けきった視線が全身に突き刺さっていることにも気がつかない。

「やあやあ、皆さんお揃いで。実はソリオ青年を探しているんだが、ご存知ないかね?」

 だから部下を引き連れたゲンプシーが、だみ声と共に『龍追い人ドラゴン・チェイサー亭』に現れても、ソリオを匿おうとする者は皆無であった。

 逃げ込んでいた洗面所から、両腕をふたりの男にがっしりと掴まれて引きずり出されたソリオに、ゲンプシーは満面の笑みを浮かべた福々しい顔を寄せた。

「ようやくお目にかかれたね、ソリオ。君の優秀ぶりはかねがね――嫌というほど聞き及んでいる。こうして会えて嬉しいよ」

「いやあ、それほどでも」

 軽薄な笑みを返すソリオに対し、ゲンプシーは恰幅の良い身体をあえて屈めて、下から掬い上げるような視線を放つ。

「だがいくら優秀でも、借りた金を期日までに返済せず、あまつさえ逃げ回るというのはよろしくない。約束を守る、それは人として最低限の節度だと思わないかな?」

 ゲンプシーの、字面だけなら異を挟みようもない正論に、ソリオはひたすら乾いた笑みを漏らす。その表情を見て満足そうに頷きながら、ゲンプシーはおもむろにタヴァネズを振り返った。

「といっても無い袖は振れないというのも、また真理に違いない。そこでだ、総督。しばらく彼には私の下で働いてもらうというのはどうだろう? 管理官の彼には、エンデラの民間の仕事ぶりを知ることも必要だと思うのだが」

「そいつは妙案ですな、会長。きっと彼にも良い経験となること間違いありません。では本日付で、ソリオ・プランデッキはゲンプシー商会に出向扱いとしましょう」

「ちょっと、そんな簡単に」

 ゲンプシーの提案はあっさりとタヴァネズに了承されて、ソリオが絶望的な表情を見せる。

「おおい、トビー。いつまでも背を向けてないで、相棒のピンチだぜ?」

 口を挟む気すら起きず、カウンターテーブルに両肘を突いてベープを吹かしていたトビーは、ソリオの懇願を背に受けてようやく顔を半分だけ向けた。

「ソリオ、借りた金は返さねえといけねえなあ。諦めてゲンプシーにケツの穴まで毟られてこい」

 端から突き放された言葉を返されても、ソリオはなおも諦めようとせずに縋りつく。

「そう言わずにさあ。俺たちふたり揃って龍追い人共ドラゴン・チェイサーズだろう、トビー?」

「あばよ、相棒。短い付き合いだったな」

「それはあんまりつれなくないか?」

 さらに粘ろうとするソリオを見て、それ以上待つつもりのないゲンプシーが部下に目配せする。するとそれを合図にしてソリオは左右の腕を抱え上げられて、『龍追い人ドラゴン・チェイサー亭』の外に向かってずるずると引きずられていった。

「薄情者おおお」

 ソリオの情けない声が空しく響いても、店内に残る誰もが聞く耳を持たない。

 やがて外に連れ出されたソリオの後に続いて、福々しい笑みを浮かべたゲンプシーも店を去った。その様子を呆れ顔で見届けたタヴァネズも、コーヒーを飲み干したところでのそりと立ち上がる。

「これで借金取りに悩まされることもなさそうだ。私は職場に戻る」

「総督閣下がいつまでも油を売っているわけにいかないからね」

「だからその肩書きで呼ぶな!」

 デミルの揶揄に怒鳴り返しながら、店を出たタヴァネズは力任せに扉を叩きつけた。ドアベルが乱暴に鳴り響く店内に、カウンターテーブルを挟んで残されたのは、今やトビーとデミルのふたりきりとなった。

「なんだってんだい、いったい」

 軋む扉に白々とした視線を注ぎながら、カウンターの中のデミルが手にしたベープ管を不機嫌そうに振り回す。

「どいつもこいつも、わざわざトラブル抱えて雪崩れ込んで。慌ただしいったらありゃしない」

「諦めろ。ここに来る客は多かれ少なかれ似たようなもんだろ」

 そう言ってコーヒーカップを呷るトビーの横顔を振り返って、デミルは小さくため息をついた。

「トラブルの親玉が居座ってるんだから、仕方ないか」

「誰が親玉だ」

 トビーが不満げに鼻を鳴らす。するとデミルはベープ管を持ったまま腕を組み、背後のガラス棚にゆっくりと凭れかかりながら、何気ない素振りで口を開いた。

「しかしソリオの奴、大丈夫かねえ。ゲンプシーに相当恨み買ってるみたいだし」

「せいぜい死ぬほどこき使われるだけだろ。あいつはそう簡単にくたばるタマじゃねえ」

 ベープ管を咥えながらそう呟いたトビーは、常ならばすぐに返事を寄越すデミルが静かなままでいることに気づき、顔を上げる。見上げた先のデミルは、義眼の右目もそうでない左目も、揃って含み笑いを堪えているように見えた。

「随分と買ってるね、ソリオのこと」

「何が言いてえんだよ」

「私が引退してから、誰と組んでも三日と持たなかったあんたが、ソリオとは二ヶ月以上続いてるんだから。元・相棒としては感慨深いよ」

 その言い様がまるで保護者のような口調だから、トビーはデミルから目を逸らして大きく舌打ちした。

「阿呆みたいに龍を追い回すのも、ひとりよかふたりの方がまだマシだからね」

「阿呆みたいは余計だ」

 憎まれ口を叩きながらトビーはベープを勢いよく吸い込み、そして大きな水蒸気煙を吐き出した。

「龍の尻尾がマグマ溜まりで再生して、また現れるまで半年はかかる。その間こっちはちまちま保安官やりながら待つしかねえ。退屈で仕方ねえぜ」

「その頃にはゲンプシーもソリオを小突き回すのに飽きてるよ。あいつが戻ってきたら、龍追いドラゴン・チェイスを再開するには良い頃合いだね」

 最早愉快そうな口調を隠そうともしないデミルに、トビーは面倒臭がってそれ以上応えようともしない。再びベープ管を咥えた彼が、口元から白い煙を燻らせる様を見て、デミルもまた手にしていたベープ管を口にした。

 デミルは龍を追い続けてきたトビーしか知らない。共に行動していたときも、そして彼女が引退してからはなおのこと、彼は龍を執拗に追い回し続けたきた。そんな男から龍追いドラゴン・チェイスを取り上げることなど、どだい無理な話なのだ。

 ならば彼女に出来ることといえば、ようやく新たな相棒を得たらしい彼のことを、せいぜい見守り続けることぐらいなのだろう。

 ベープ管から口を離して、細く長い水蒸気の煙を吐き出しながら、デミルは唇の端を小さな笑みの形に歪めた。

「せいぜい気張りな、龍追い人共ドラゴン・チェイサーズ


(了)

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ドラゴン・チェイサーズ! 武石勝義 @takeshikatsuyoshi

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