振り返ったら死ぬ系のアレに取り憑かれたが、全力で振り返ってくる。

高橋てるひと

振り返ったら死ぬ系のアレに取り憑かれたが、全力で振り返ってくる。

 ふと、背後に気配を感じた。

 あ、これ先輩だ。

 そう確信した。

 なので、そっと振り返った。


「ここは寝るところじゃないよ」


 先輩が言った。

 図書室だったからだ。

 もちろん本気で怒っているわけではなかった。先輩は微笑んでいた。

 今すぐ死んでしまいそうな。

 酷く儚げな、先輩の微笑み。


「おはようございます。先輩」

「おはよう。後輩くん」


 俺は高校一年生で、彼女は三年生で、だからそんな風に呼び合っていた。

 でも俺は名前で呼び合う関係になりたい、と思っていた。思っていただけだ。鞄の中に、徹夜で書いた手紙を抱え込んだまま。


 最後まで。


      ■■■


 ふと、背後に気配を感じた。

 あ、これ振り返ったら死ぬ系のアレだ。

 そう確信した。

 なので、振り返らずに歩く。


 心当たりはある。


 下校中の小学生に飴を渡して話を聞いていたところを警察官に発見されるトラブルに見舞われつつ、ようやく見つけて剥がしたあのおフダだ。


 ――ごつっ。


 まず、そんな異音が聞こえた。続けて妹が「おーい! お兄ちゃーん!」と呼ぶ声が聞こえたりした。一人暮らしをしているアパートの前に来るまで、それは続いた。


 直後、幼馴染から電話がきた。


『ちょっと! あんた何かしたでしょ!?』


 誤魔化せそうになかった。

 正直に現状を打ち明けた。


『馬鹿!』


 電話の向こう側で、幼馴染が先祖代々受け継いでいる退魔刀を持ち出す気配。


『でもこの類は振り返るまで現出しないんだろ。しかも呪い殺すとすぐ消えるって』

『私なら斬れる』

『待てって』

『待てない。もう犠牲者が三人。全員小学生。一人目と二人目は殺されなかったけど、三人目は護符で罠を張ってなければそいつに殺されてた――もう斬るしかない』

『不用意に振り返ったりしないから』

『そういう問題じゃなくて――』

『心配してくれてありがとうな』


 礼だけ言って俺は電話を切った。


      □□□


 アパートの管理人さんは金髪碧眼の素敵なお姉さんでマッドサイエンティストだ。


「おはよー少年」


 と、今日も中庭で何かを解体中の彼女。


「おはようございます」


 挨拶を返すと、いつも通りに聞かれる。


「ねえ、今日は人体改造受けてみない?」

「いえ、今はまだそのときではないので」


 俺はいつも通りに管理人さんのお誘いを回避しつつ「ですが」と、代わりに徹夜で書いた一冊のノートを差し出す。


「俺の考えた最強の人体改造プランです」


 管理人さんはそれを超高速で読み進め、


「ふむふむ。なるほどー」


 と言ったときにはもうすでにノートを最後まで読み終わり、素敵な笑顔で告げる。


「没っ!」

「どこが」

「ぜんぶっ! 動いただけで死ぬっ!」

「なるほど」

「良ければ、帰ってくるまでに修正点をまとめておいてあげるよー」


 お願いします、と言って徒歩圏内の高校へ俺は向かう。例の気配を引き連れて。


      □□□


 俺は所属していた運動部に退部届を出した。「いやちょっと待て」と引き留められたが「一身上の都合で」と断った。

 無事に帰宅部となった俺は、ホームルームが終わるとすぐに校門を出る――のと同時に、背後に例の気配。


 ――ごつっ。


 異音が鳴って、両親が自分の名前を呼ぶ声だったり、妹が「お兄ちゃん寄り道しちゃダメだよ!」と言う声が聞こえたが無視して寄り道する。

 場所は知り合いの家の敷地にある道場。敷地に入ると、例の気配は消えていた。

 扉を開けて中に入ると、あらかじめ連絡してあった知り合いの少女(中学三年生。おかっぱ頭)が、道場の真ん中で一人正座して待っていた。


「あの……おにーさん」


 と、彼女は俺を一目見て言う。


「めっちゃ邪気感じるんですけど……」

「気のせいだ」

「気のせいじゃないと思いますが……」


 無視して本題に入る。


「それで、俺の頼みなんだけど」

「武術を教えて欲しいと」

「うん」

「無理です」

「何で?」

「私の武術って殺人拳法なので」


 ですから、と困った顔で彼女は言う。


「お教えする相手は見極めるよう、代々言い付けられておりまして」

「前はそっちから誘ってきただろう」

「でも貴方は断ったでしょう?」

「うん」

「それなのに、今更どうして? 誰か殺したいとかだったら駄目ですよ?」

「ないない」

「確かにその手の邪念は感じませんが」

「だろう?」

「ですが……」


 と躊躇する彼女に、俺は土下座した。


「頼む――おかっぱ師匠」


 怒られた。


      □□□


 三時間に及ぶ土下座で、向こうが折れた。


『わかりました。今日から私は貴方の師匠です。でもおかっぱ師匠ではないです』


 と、おかっぱ師匠に承諾してもらった。

 帰り道では途端に背後の気配が復活し、


 ――ごつっ。


 と鳴る異音と、妹が「ジュース買ってよー」とねだる声を聞き流していると、


 とんっ、と。


 美少女が目の前に着地した。


 俺の高校の女子の制服姿。ボタンを外したブレザーをはためかせ、チェックのスカートを翻し、長い髪を束ねたポニテが跳ね、ブラウスの胸元を飾るリボンが鮮やかに揺れるが、胸自体は不動。そして携えた退魔刀の柄に手を掛けた戦闘態勢。


 つまりは俺の幼馴染だった。


「動かないで」


 その左目が青い光を帯びていた。悪霊殺しの魔眼が発動している。本気モードだ。


「斬る」

「また電柱とかポストとか置物の人形とか壊すぞ。ちゃんと弁償させるからな」

「いいから。おとなしくしてて」


 そう命じる幼馴染に対し、俺は応じる。


「嫌だ」


 溜め込んだ殺気を幼馴染が解放した。

 その瞬間を狙った。


「頼むから!」


 そう俺は叫んだ。

 解き放たれた殺気の狙いが、逸れた。


 それ以外は何一つ認識できない。抜刀も刃の閃きも納刀も何一つ見えず、一切が無音。殺気の気配だけがただ残って――直後、近くの自動販売機が斜めにずり落ちる。


「――待ってくれ」


 切断された自動販売機の中身が、辺りに転がって散らばっていく中、俺は告げる。

 それに対し、先程と寸分変わらぬ構えのまま、こちらを睨んでいる幼馴染が言う。


「『そいつ』は、もう人間じゃない」

「うん」

「もう人間の違いも認識できてない」

「わかってる」

「そ」


 と言って、幼馴染は瞬き一つで殺気を引っ込め、同時に左目の青い光が消えた。


「……馬鹿」


 たんっ、と。


 悪態一つと地面を蹴る音だけを残して、幼馴染は視界から消えた。

 ため息を吐いて歩き出すと背後でまた、


 ――ごつっ。


 という例の異音が聞こえた。


 ちなみに自動販売機は、後日、幼馴染に責任を持って弁償させた。


      □□□


 高校生活の三年間が過ぎ去った。


 背後に例の気配を感じつつ俺は高校に通い続け、朝は管理人さんの人体改造の申し出を「今は(略)」と断る代わりに「俺の(略)」を提出し続けては没を食らい続け、学校帰りにはおかっぱ師匠からの鍛錬を受けて、幼馴染による幾度もの襲撃を切り抜けつつ壊したものを弁償させた。


 そして、卒業式が近づいた頃。


「免許皆伝です」


 おかっぱ師匠が告げた。


「……長く険しい道だったな」

「幼い頃から鍛錬を受けて身に着けた技を、二年ちょいで会得された私的には複雑ですが……おめでとうございます」

「ありがとう。おかっぱ師匠」

「あの、私もう高二です。髪伸ばしてますし、ヘアスタイルもばっちり今風ですよ」

「俺の中では君はずっとおかっぱ師匠だ」

「それより、少しお聞きしたいんですが」

「何?」

「進学しないって本当ですか?」

「うん」

「就職もしないって聞きました」


 卒業後の進路について俺は「旅に出ます」とだけ学校側に説明していた。「おいちょっと待て」と引き留められたが無視した。


「やりたいことがあって」

「なるほど」

「?」

「……ごめんなさい」

「何が?」

「一つお教えすると……私の武術の奥義は自分を殺すことなのですが」

「え、何それ」


 まだ死ぬわけにはいかないのだが。


「いえ自殺でなく……要は己の心を殺して、一振りの刀になるってことです」

「刀?」

「例えです。武士の戦闘術を元にした武術なので――ですから私の心も死んでます」

「おかっぱ師匠」

「いい加減怒りますよ」


 言ってから、彼女は俯いて顔を赤くし、咳払いをした後で話を続ける。


「……この通り、私も死んでいると言ってもまだ四割くらいです」

「へえ」

「そして貴方は、九割九分死んでます」


 俺は黙り込む。

 貴方は、と彼女は続ける。


「私たちの理想に限りなく近かったんです。まだ刃が付いていない、一振りの刀――ですからお誘いしました。貴方を完璧な刀にしたい。その誘惑に目が眩みました」


 ごめんなさい、と彼女は軽く目を伏せた。


「本当は気づいてました。今の貴方は――もう、振り下ろされているんですよね?」


 俺は答えない。

 おにーさん、と。

 おかっぱ師匠が俺を呼ぶ。


「今の貴方は、完璧な刀です。私がそう鍛えました。貴方の『やりたいこと』が何か存じませんが、師匠としてこれだけは言わせて下さい――」


 膝と両手を揃えて、おかっぱじゃなくなった頭をそっと下げ、彼女は俺に言った。


「――ご武運を」


      □□□


 卒業式の日は寒かった。


 玄関の扉を開けたところで、幼馴染が待ち構えていた。学校指定のコートの上からマフラーを首に巻いて、それでも頬や鼻先を少し赤くしている幼馴染は、呆気に取られている俺の姿をしばし見てから、言った。


「おはよ」

「……おはよう」


 予想はしていた。

 でも幼馴染は退魔刀を携えていなかった。

 戦闘態勢じゃない。魔眼も発動してない。

 つまり、ただの幼馴染がそこにいた。


「卒業式」


 と、ただの幼馴染は話を切り出した。


「出るの?」

「出ない」

「そ」


 ひょい、とただの幼馴染は俺に近づく。


 キスされた。


 元々少し赤くなっていた顔を、もっとずっと赤くして、幼馴染は唇を離した。


「あのさ――」


 幼馴染は、退魔刀を携えていなかった。

 ただの幼馴染で、ただの女の子だった。


「――私と一緒に、卒業してくれない?」


 つまり、ただの女の子の告白だった。

 真っ向勝負だった。

 退魔刀とは違って。

 これはかわせない。

 だから、俺はただの女の子に言った。


「ごめん」

「そっか」


 幼馴染は肩を竦めて、それから笑った。

 随分と久しぶりの幼馴染の笑顔だった。


「物語みたいにはいかないね」


 くるりっ、と。

 幼馴染が身を翻して、ポニテが跳ねる。


 じゃあね、と。

 背中越しに右手を振って、去っていく。


 その背に向かって何か言おうと思った。


「なあ」


 でも、出てきたのはこんな言葉だった。


「これからは、物を壊したらちゃんと責任取って弁償するんだぞ。自分で」

「うん、わかったわかった――」


 右手を背中越しに振り続けて。

 左手の袖で何度も顔を拭いて。


「――ちゃんと弁償するってば」


 振り返らず、幼馴染が去っていく。


      □□□


「おはようございます」

「おはよー」


 俺は管理人さんに数百冊目の「俺の(略)」が書かれたノートを手渡した。


「合格」


 と、管理人さんは言った。


「一度しか全力で動けないけど。しかも早過ぎて常人じゃ動きを制御できないけど」

「ですか」

「それで」


 と、いつも通りに管理人さんは言った。


「ねえ、今日は人体改造受けてみない?」

「お願いします」


 即答した。


「今日がそのときです」

「うん」


 と、管理人さんは頷いて。

 俺が渡したノートを、ぽん、と叩く。


「プランはこの通りに?」

「お願いします」


 それと、と俺は言う。


「一緒に作ってもらいたいものが」

「いいよ。サービスしたげる――で、このプランのコンセプトを聞いてもいい?」


 俺は答えた。


「できるだけ早く、振り返りたいんです」

「そっか」


 理由は聞かれなかった。


「――任せろ。少年」


      ■■■


 先輩は自殺した。理由は不明。


 でも、俺は理由を知っている。


「小学生のとき、通学路でね」


 ある日、先輩は俺に言った。


「私、石を投げたの。子犬に」


 唐突な話に面食らっている俺に構わず、先輩はその話を続けた。


「雑巾みたいに泥まみれの子犬だったの」


 先輩は目を閉じた。

 息を吸って吐いた。


「登校班ってあったよね。小学生のとき」

「……ええ」

「その登校班の、年上の子が最初に子犬を見つけて石を投げて『お前らもやれよ』って言って――他の子も投げた。でも、私は最後まで投げるのが嫌で」


 けれど、と先輩は言った。


「『投げろ』って。みんなに。怖かった」


 だから、と先輩は言った。


「私は投げた」


 ――ごつっ。


 震える手で投げた石は、そんな音を立てて子犬の額に当たったらしい。


「雑巾みたいに泥まみれの子犬だったの」


 先輩はそう繰り返した。


「毛布で包んで連れ帰って、お風呂で泥を落として、ミルクを飲ませてあげて、『もう大丈夫だよ』って頭を撫でてあげればよかったのに――でも、私は石を投げたの」

「先輩」


 そこで、ようやく俺は口を挟めた。


「俺は、普段は気の弱い生徒からカツアゲしている不良が、雨の日に捨てられた子猫を助けたからって善人扱いされるのはおかしい、と思う派の人間です」


 先輩は微笑んだ。

 あの、酷く儚げな微笑み。


「君は優しいね」


 俺は先輩が自殺した理由を知りたがっていた人々に、この話を伝えた。

 こう言われた。


「そんな理由で自殺するわけないだろ」


 普通はそうだ。

 でも俺には理解できる。少しだけ。


 俺が先輩に手紙を書いたのは、その話を聞いたその夜のことだった。


      ■■■


 ――ごつっ。


 例の異音と一緒に、妹の声が聞こえる。


「お兄ちゃんっ!」


 死んだ妹だ。

 旅行先で両親と一緒に。交通事故で。

 その日、俺には幼馴染と一緒に遊びに行く約束をしていた。それと被ってしまったので、別の日にしようか、と両親は言ったのだ。

 でも俺は「大丈夫だよ」と言った。妹の頭を撫で「楽しんでこいよな」と言った。


 言ってしまった。


 俺が死んだのは、たぶんそのときだ。

 幼馴染と卒業してやれなかったのも。

 手紙を書いたのもきっとそんな理由。


 通学路の途中の、周囲が無人の空き地。


 背後には例の気配。


 振り返ったら死ぬ系のアレの気配で。

 昔の自分自身を呪い殺そうと願った。

 かつては先輩だった化け物の気配だ。


 振り返ったら呪い殺されて死ぬ。

 だから。

 呪い殺されるより早く振り返る。


 全力で準備した。


 おかっぱ師匠の弟子になって。

 告白してきた幼馴染を振って。

 管理人さんに人体改造されて。

 そして手紙を二行にまとめた。


 今、俺の手にあるプラカード――実際は管理人さん謹製の超合金製――には、その二行が彫り込まれている。


 かちり、と。

 俺はスイッチを押す。

 場所は由緒正しい奥歯の内側。


 ぼごり、と。

 全身の服を突き破り。

 無数の推進装置が展開し始め。


 ぶるり、と。

 起動するエンジンが。

 今は無い心臓の代わりに唸り。


 俺は振り返る。


 エンジンが大量の燃料を食って咆哮する。

 推進装置の炎が一方向に一斉に噴き出す。

 空気が壁になって、直後、炎に変わった。


 凶悪な摩擦熱で膨張した空気が爆発して、振り返ろうとする俺の全身へと襲い掛かる――耐熱コーティングの膜が高熱に焼かれて蒸発していき、装甲が一層二層三層四層と衝撃で砕け散る中、


 遥か後ろに音を置き去りにしながら、

 ただ振り返ることすら困難な速度を、

 おかっぱ師匠譲りの武術で制御して、

 両手に溶接したプラカードを掲げて、


『良ければ俺とお付き合いして下さい』


 振り返った瞬間だけ現れ、すぐ消えてしまう相手に、二行の言葉を届けるために。


『地獄の果てまで、ご一緒しますから』


 俺は振り返る。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

振り返ったら死ぬ系のアレに取り憑かれたが、全力で振り返ってくる。 高橋てるひと @teruhitosyosetu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ