五分で僕が歪むまで

@Say-

ある日

日曜日の昼過ぎ、都会の街並みをぼうっと歩いていた。

僕の名前は新垣一。今日で二十三歳となったごく普通の社会人の一人だ。


「あれは…………」


ふと、壁に一枚のポスターを見つけた。

最近ヒットしている小説のものだが、なぜだか小説というものを見ると懐かしく、少し暗い、複雑な気分になる。


「才能、か」


思い返すのはもう五年も前の記憶。

高校生の時、自分がまだ文芸部に所属し、自分が作家になれると信じて疑わなかった頃の記憶。


「新垣ー!!」


懐かしい声が響く、あいつは確かこんな声だったか、と。

遠くから近づいてくるような。


「私が作家になったら、あなたに一番に会いにいく、か。どこでいつ会うんだか」


ため息をつく、声が近づく。


「やっぱり新垣だよね?」


違和感を感じ振り返る。


「日…………比野?」


「そうだよ、やっぱり新垣じゃん!」


自分の想像が作り出した声だと思っていた、なんて酷く間抜けな話だ。

振り返ると、五年なのに随分と変わった姿だったが、確かに過去に三年間を共にした旧友の姿がそこにはあった。

明るい茶色の髪、大きく茶色の瞳。そして右目の下のほくろ。間違いない。

目の前にいるのは日比野夏樹。忘れもしない、自分が高校生の頃の親友だ。


「久しぶり、だな」


旧友と再会したのにも関わらず、自分の口から漏れた声は自分でも驚くほどぎこちなく、妙に冷静だった。


「なんか暗いねー。会社馴染めてないの?」


「いや、そんなことはないけど。というかどうやって見つけた」


「んー?新垣の親に電話して、あんたの就職した会社聞いて、適当に歩いてたらたまたま」


相変わらずの破天荒。五年前とまるで変わっていない。

この唐突にやってくる雰囲気も、やろうとしたことを確実に成功させる不思議なところも。

つまり、


「お前は僕に会いにきたんだな」


思っていた言葉をその通りに発音できなかった。

どこかで負い目を感じていたのだろう、まだ捨て切れていないのだ。


「そ、作家になったから会いにきた」


やはりか。

奇妙な確信があった。こいつならやってのけるだろう、と。

自分とは違う、あの頃自分に見せた才能なら。きっとやってのけるだろうと。


「そうか、やっぱりすごいな。お前は」


返事は空っぽの賞賛だった。

一ページしか文章が書けなかったあの時の自分が、今ここに重なっているようだった。へらへらして、自尊心を無理やり繋ぎ止めていた自分を。

こいつの文章はまさに人を動かせるものだった。心を揺らされ、一気に読み切るようなものを、いつも見せつけてきた。何も不思議ではない。


「そうでしょ、というか今日って暇?」


「え?ああ、今日は休日だけど」


「なら久々に一緒に遊ばない?」


遊ぶ、という響きも久々だ。

どういう経緯かこうして僕は一日日比野に付き合う事になった。


「なんか懐かしいね、こうして街を一緒に歩くの」


「確かに卒業式以来だな」


悪い気分ではなかった。

まさか昔隣を歩いた人物が自分が諦めた夢を叶え、再び自分の隣にいるとは。

劣等感抱くはずなのになぜだか気分は明るい。

一時の感情だが、おかしな話だ。


「ねえ、新垣は七年の間に私のこと思い出したりした?」


「ああ、あったぞ。今あいつ何してんだろーなーって」


「うんうん、私もだよ。今新垣何してんだろって。何回か会いに行こうかと思ったんだけど作家になるまでは会いたくないなって、頑張ったんだ」


軽い口調でそう言う日比野に、ようやく僕は劣等感というものを感じた。

努力すればなんとかなる。それが羨ましいと。だが、これもまた何万人の人が感じるありふれた感情なのだろう、と思うと急に冷めた気分になった。


「このショッピングモールにしよう」


二人でショッピングモールに入る。


「服でも買うのか?」


「ん、本屋」


なるほど、自分の本を自慢したいわけだ。

とてもソワソワしながら自分の手を引く日比野の姿はとても可愛らしい。

エスカレーターを登り、寄り道せずに本屋に。

日比野は店頭で立ち止まった。


「これだよ!私の本」


店頭に平積みされた本。

何枚ものテロップを使ってデカデカと宣伝されたそれは、間違いなく日比野が自分とは別の世界の住人なんだと証明しているようだった。


「本当か?これネットでもよく話題になってるやつじゃん」


「でしょでしょ?これ、読んだことある?」


「いや、ないけど」


「じゃあ今読んで感想を聞かせてよ」


「今?」


「今!」


日比野の圧力に押されて、本を手に取ってレジに向かった。

そして、


「あれから色々あったんだよね」


落ち着けるスペースを探しながら、日比野がそうやって語り出した。


「まず高校卒業してさ、大学入ったはいいものの新垣みたいなやつがいなくて」


「僕みたいな人間なんてどこにでもいるだろ」


「ネガティブ思考うざーい。あっ、これも懐かしいかも。とにかく新垣一はあんたしかいないよ」


自分を肯定されてかえって哀れな気持ちになる。

だがその反面嬉しい、と素直に笑っている自分だっている。


「ここ入ろうよ」


そこはファーストフードのチェーン店。

なぜまたこんなところを選んだのか、らしいな。と思って不覚にも笑ってしまった。


「やっぱここだよね、よく一緒に雑談したじゃん」


「懐かしいな、お前が新作のバーガー全種類食べたいって言って数日後に体重増えたって大騒ぎしてたのが懐かしい」


「そんなこと覚えてたの?懐かしいけどなんか恥ずかしい」


こうしてみると、自分の悩みなどちっぽけなものに感じる。

その場の雰囲気に流されて遠のく悩みなど、おそらく自分は幸せ者なんだろう。

その証拠に今の状況だってただの旧友との再会という平坦なものに収まっている。僕はただの作家の友人を持った一般人だ。

憧れとは遠いけど、悪くはないのかもしれないと思ってしまった。

なんとなく、昔よく頼んでいたセットを頼んで、席につく。


「さっきの続きなんだけどさ、あたし大学に入って初めて挫折したんだ。馬鹿みたいな話、それまで天才だったから挫折なんてなかったんだ」


驚いた。いや、挫折は誰もが経験するものだろうが、日比野が挫折することなど想像がつかなかった。


「賞に応募したんだけど、駄目だったんだ。私なりに自信はあったよ、なんでだろうね。自分はきっと特別だってどこかで思ってたんだろうね」


「日比野…………」


かつての自分と同じことを考えていたことにさらに驚く。

かつての僕も「自分は漫画やアニメの主人公のように上手くいく」とどこから湧いてくるのかもわからない自信を持っていた。

だから挫折したときにあっさり諦めたのも、その後で後悔するのも必然だったのかもしれない。


「でもさ、私は頑張った。なんでだと思う?」


答えはわかっていた。

確かにこいつには才能があったんだろう。だが、挫折しても立ち上がった。

僕は非才だが、同じ状況で折れてしまった。

一層強い劣等感と共にある感情を抱く。


「あんたに胸張って会いたかったんだよ」


言葉に微かに込められた恋情に気がつかないような鈍感な人間ではなかった。

だが、果たして日比野は今の自分を知って嫌悪しないだろうか。

それがなぜかとてつもなく不安で、逃げるようにして本を開く。


「感想、聞かせてね」


最初のスタートは一人の男子学生、律と女子生徒、海が出会うところから。

そして、たまたま一緒に吹奏楽部に入部した二人はだんだんと仲を縮めていく。

途中、律の成績が芳しくないのをよそに海がどんどん上達し、置いていかれることに焦りと共に苛立ちを感じたのを原因に海に強く当たってしまい喧嘩に。

だが海が他の男子学生から告白されているところを見て律は複雑な気持ちになり、自分の恋情に気づくと共に…………。


「これは」


「気づいた?」


この内容はかつて僕が書こうとして挫折した物語だ。

そういえばその作品を「私に頂戴」と言っていたのをぼんやりとは覚えているが、まさかこうなるとは。


「僕の書いたあのプロットだ」


「そう、気に入った?」


これは日比野なりのサプライズなのか。

大がかり過ぎるだろう、と思わず笑みが溢れた。


「ああ、すげぇ。自分でもびっくりするくらい嬉しい」


「うん、それでさ。よければなんだけど」


「ああ」


「私と付き合ってくれない?しばらくは様子見でもいいからさ」


否定はしなかった。

だが、素直に。とも僕の心はいかなかった。

これから僕は日比野と付き合うことになったが、喜びを感じるとともに僕は酷く自分を嫌悪した。

今の僕はかつてのように高校生活を共に歩んだように、同志としてではなく「作家」である日比野と付き合うこと、そこに歪んだ満足感を得てしまったのである。

僕は、この劣等感と歪んだ感情を克服できるのだろうか。


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