アニキ
入寮の日、草壁は寮まで送ってくれた。
小さな段ボール2つが、オレの全財産だった。
草壁が1つとオレが1つ、段ボールを抱えて、通された部屋は広くはないが机とベッド、小さなクローゼットが置かれた個室だった。
草壁は段ボールをベッドの上に置くと、紙袋を差し出した。
「パジャマと下着。君のは随分とくたびれてたから。寮ではプライバシーなんてあってないようなもんだから」
「すみません、色々気を遣ってもらって」
「それから…」と、胸ポケットから数枚の用紙を取り出した。
「これは住み込みで働けるバイト先の一覧だ。夏休みとか冬休みに利用するといい」
ぺらぺらめくって見ていると、最後の1枚は戸籍の写しだった。
「素直に現状が把握できるだろ」
戸籍に見入って孤独を噛みしめているオレに、草壁は言った。
「でもな… 俺はそれと同じ形の戸籍を残してほしくてね」
顔を上げて草壁を見ると、頬をゆがめて遠い目をしている。
「俺は名前変えたくなくて、同じ戸籍に入りたくないって言ったら、父親が激怒してね。母からも恩知らずと泣いて罵倒されて、仕方なく同意した。誰だってそう簡単に名前なんか変えたくねーよな… まあ、視点を変えれば、『孤独』も『気楽で自由』に変わるってことだ」
草壁の砕けた口調が、妙に暖かく胸に響いて笑みがこぼれた。
「何ていう名前だったの?」
「佐藤さん。日本で一番多い苗字な」
「草壁のほうが格好いい。似合ってるし」
「アホか、似合う似合わないの問題じゃねーわ」
草壁が珍しく声を出して笑う。
「君も綾野のほうが白井より格好いいぞ」
「うん、絶対変えない。オレ、綾野健って名前は気に入ってるし」
草壁が、真顔に戻って笑っているオレの肩に手を置いた。
「お母さんのことバケモノって言ってたよね。大概の人間は、バケモノを心のうちに秘めている。それをどれだけ外に出すかどうかだ。これから先、どんなバケモノに出会っても驚くことはないし、深く傷つくこともないよ」
オレの目が少し泳いだ。
草壁に何を言われても、母は母である。
これから先、母と会える日が来るのだろうか…
そんな思いがかすかによぎる。
草壁は見透かしたように苦笑した。
「君のお母さんが、次に君の前に現れる時があるとしたら、それは…」
「…それは… 何?」
オレはすがるように、草壁を見つめていたのかもしれない。
望む言葉を掛けて欲しくて。
そんなオレを見て「いや、やめておくよ」と、草壁が首を横に振る。
「先のことはわからない。軽々に言うべきじゃない。とにかく何か困ったことがあったら、遠慮なく連絡してくれ。飛んでくるから」
「草壁さん、仕事熱心だね」
「アホか」と、オレの頭を軽く小突いた。
「確かに社長から面倒見てくれと言われた時は仕事だったが、もうとっくにその
言葉に窮していると、草壁はニヤリと笑う。
「まあ、もう弟の世話をしてる気分だから、とにかく遠慮なく連絡してくれ」
「弟」という言葉がオレの琴線に触れ、涙が滲む。
「おいおい、何泣いてんだよ。そんな風に潤んだ目で切ない顔してると、ホントお母さんそっくりだな」
一瞬のうちに涙が引く。
オレが、母にそっくり……なわけがない。
「オレの顔、母を捨てた男にそっくりだって母が… だからオレは母に嫌われて…」
「君の親父さんのことは知らないけど、俺が見る限り、君は母親によく似てハンサムだよ。君のお母さんが、目を潤ませて社長を見上げる仕草は、美しく妖艶で可愛い。男なら一発で落ちるレベル」
「何なんだよ… あの男にそっくりって… わけわかんねぇ」
「わけわかんねぇ生き物なんだよ。女なんて、大なり小なりバケモノみたいなもんだから。粗を探すように、捨てられた男に似たところを探してたんだろう」
草壁の軽い口調が、もう囚われるなと言っていた。
どこまで考えても、わけのわからない生き物なのだ。確かなことは、オレが疎まれているということだけ。
『君のお母さんが次に君の前に現れる時があるとしたら、それは…』
それは、やっぱりバケモノ全開の姿なのだろう。
その時オレは母を拒否できるのだろうか。
「生まれたもん負け」
草壁が呟いた。
「子供は生まれた時点で、母親には負けてるんだよ」
草壁が諦めたように笑った。
「お話し中悪いね」
しゃがれた声とともに、ひょいと顔を見せた寮母は人懐っこい笑顔だった。
「入寮式が始まるから、そろそろ食堂に来てね」
「ハイハイ、今行きますよ。サネカズさん」
草壁がそう言うと、寮母の顔から笑みが消えた。
「アンタ、新入生に変なこと教えるんじゃないよ」
寮母はぷいっと背を向けると、「全くもう…」と呟きながら行ってしまった。
とても初対面とは思えないぞんざいな話しぶりに、状況が呑み込めず呆然と草壁を見ていた。
オレの視線に気づいて、草壁は頬をゆがめる。
「ああ、ここ俺の母校な。寮がある高校、一から調べるより、内情わかり切ってる所に放り込んだほうが手っ取り早いから」
草壁がニヤリと笑ってオレを一瞥すると、「さあ、行くぞ」と背中を押した。
終わり
最後まで読んでいただきありがとうございました。
心から感謝いたします。
ママはバケモノ ひろり @Hirori-T
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます