消えない執着
オレは白井が契約したアパートで、一人暮らしを始めた。
時々、白井の秘書の
進学の際の三者面談も「社長が多忙なため私が」と言って同席した。
驚いたことに、何度かオレの部屋に来ただけで大体の成績を把握し、教師に対して寮のある私立高校を提示し、合格の可能性を分析して意見を求めるので、教師もたじろいでいた。
高校に合格し、アパートを引き払うことになると、いつもスーツで決めている草壁が、ラフな格好で手伝いに来てくれた。
「寮には机もベッドもあるから、身の回りのものだけ段ボールに詰めて、あとは会社のトランクルームに預かるようにするよ」
「すみません」
「そうだな…」と草壁が部屋を見回す。
「君が選んだ机とベッド以外は全部処分していいんじゃないか? どうしても保管しておきたいものある?」
このアパートに入る時に新しく購入したものは机とベッドで、他は母と暮らしたマンションから、使える家具や日用品を持ち出して使用していた。
部屋の中を見回して、何を保管しておくか物色していると、草壁が「全部処分したほうがいいよ」と言った。
「次に君が新生活を始める場所では、何もかも新しくして、過去のしがらみから解き放ったほうがいい」
「過去のしがらみ…」
「そう、例えば親。子供はいずれ親とは別れる。それが早いか遅いかでそれほど違いはない。ただ、とっとと捨てたほうが、自分の人生を自分のためだけに始められる」
オレは多分、未練たらしい顔をしていたのだろう。
心のどこかで、いつか母の新しい家族の中に迎えられる日が来るのではないかと、淡い期待を抱いていたのだろうか。
草壁が、メモに何か書いて、オレの前に差し出した。
「社長の家の電話番号だ… かけてみたら」
オレは受話器を取り、その番号にかけた。
呼び出し音の後、すぐに女性の声がした。
「白井でございます」
久しぶりに聞く母の声は、少し上品ぶった高めの声だった。
「…あの… ママ」
しばらく沈黙した後、「何よ?」とオレを罵倒した時と同じ低音に戻っていた。
「オレ、中学卒業して今度、高校に行くから… その… 今まで…」
母の大きなため息が、オレの言葉をさえぎった。
「一体、誰のおかげでそんな暮らしができると思ってんの。自分独りで大きくなったとでも思ってるの?」
「そんなこと思ってないよ」
「だったら、もう二度と電話かけてこないで。私の生活を邪魔しないでください!」
電話は一方的に切れた。
草壁は、呆然と立ち尽くすオレの手から受話器を取って、元に戻した。
オレはうなだれたまま「バケモノ…」とつぶやいた。
「バケモノ? 自分の幸せを追求する普通の人間だよ。リスタートのためなら、自身の子供の排除もやむを得ない。そう考えるヤツは昔も今も、男女関係なく普通に存在するよ。自分を不幸だと思わないほうがいい。むしろ、まとわりつかれる親が居なくてラッキーだったと思うほうが…」
「勝手なこと言うなよ!」
オレは初めて草壁に逆らった。
「オレの気も知らないくせに…」
完全な八つ当たりだとわかっていたが、言わずにはいられなかった。
「気持ちはわかるさ。私も母子家庭で母親が再婚したから」
草壁は片方の口角を上げて苦笑する。
「私の母は、再婚相手の顔色ばかりうかがう女でね、それを私にも強いた。新しい父親には理不尽なことでよく殴られたよ。弟と妹ができたけど、彼にしたら私だけ異分子だったんだろうね。母は一度もかばってはくれなかった。ようやく独立できたと思ったら、あいつは脳梗塞で倒れやがった。そしたら『長男だろ』『誰のお蔭で大きくなったと思ってる』と… 全く煩わしい」
草壁は、白い歯を見せてオレを見た。
「幸、不幸は自分で決められる。ならラッキーだと思ったほうがいい… まあ、不幸だと思いたければ思えばいいけどね」
「すみません… 生意気なこと言って」
草壁の落ち着いた口調に、オレは素直に頭を下げた。
草壁は首を横にふると、軽く息を吐いた。
「さて、どうする。どれをトランクルームに入れる?」
「全部捨ててください。机もベッドも全部」
オレは、今まで目の前にかかっていた
「そうだな、それがいいよ」
草壁が安心したように目を細めて笑った。
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