背後に霊が浮かんでる

篠騎シオン

振り返るとそこにいる

小学校からの帰り道。

いつもより少し暗い通学路は、私の体を緊張させる。

近くのその通りから不審者が飛び出してくるんじゃないか、お化けにおそわれるんじゃないか。

夕闇は、私の想像をかきたてた。

けれど、手をつなぐ弟は無邪気なものであっちこっちに行って、いろんなものを見ようとする。

いろんなものに興味を持つところは、弟のいいところだ。

けれど、こんな遅い時間に帰るときくらい落ち着いてほしい。


「ソウタ、ほら、行くよ」


もう何度目かわからない。

近くの草むらのタンポポを見ようと立ち止まった弟、ソウタに声をかける。


「えー、お姉ちゃん。もっと見たいよ」


「だーめ、暗くなっちゃうでしょ?」


私は少し強めの力で弟を引っ張った。

まだ小学2年生の弟より、少しだけ私の力が強い。

私に引っ張られるとソウタの興味はふっとタンポポから離れて、しばらくの間また家に帰ることに集中してくれる。


『もっと早く切り上げて帰っていれば、それか送ってもらえばよかった』

ソウタと一緒に歩く中で、私はなんにもならない後悔をする。

うちは、弟をまだ一人で家にはいさせられないと、姉弟で持ってる鍵は私の一本だけ。いつもは部活にも入っていないし、私とソウタは早い時間に家に帰る。

今日は本当に特別だったのだ。

コンテストに出す習字を集中して書きすぎた。

弟にはあらかじめ少し遅くなると校庭で遊んでいてもらったが、まさかここまでとhは思っていなかった。

先生に上手だ、センスがあるとおだてられて気付いたら、予想していた時間や暗さを圧倒的にオーバーしていた。そしてソウタの興奮度も予想していたよりずっと高かった。普段外で遊ばないから、いろんな刺激を受けたのか、落ち着きがない。

先生に送ろうかと聞かれたけど、ソウタがそんな状態だったので、その時は遠慮した。でも、今になって。

『やっぱり断らなければよかったなぁ』

私は心の中でそう一人つぶやいてしまう。夜が、闇が、怖い。

きっとソウタがいなかったら私は恐怖から一人うずくまって動けなくなっていなかっただろう。

私はお姉ちゃんなんだ、その一心で私はなんとか家に向けて歩みを進めていた。

そんな私の心中を知らないソウタがまた急に立ち止まる。

進もうとしていた私は歩みを止めたソウタにぐん、と引っ張られた。


「ねえねえ、おねえちゃん」


「ほら、行くわよ」


いつもの好奇心だと思って、私はソウタの話を聞かず、帰り道を急がせた。

けれど彼は動かない。

今回のソウタはさっきまでとは様子が違って、私たちの背後の道のある一点を見つめて、動かなかった。


「ねえ、お姉ちゃん。後ろをついてくる人がいるよ?」


ソウタのその言葉で私の体中に鳥肌が立った。

不審者? お化け?

いろんな思いが私の中を駆け巡り、私の体を地面に縛り付ける。


駄目、動いて。


私、お姉ちゃんなんだから。


ソウタを守らなきゃ。


私は必死になって体にかかっていた金縛りを解くと、叫ぶ。


「ソウタ、走るよ!」


そして、弟を連れて走り出す。

不審者ならとにかく逃げなきゃ。

私の頭には逃げることしか浮かばない。

とにかく走って安全な家に帰るんだ。

家まで残り10分くらいの道のりを、私はソウタを引っ張りながら走った。


「お姉ちゃん、逃げるのやめよ。あのね、肩が痛そうなおじさん、追いかけてきてる」


ソウタは引っ張られながら後ろをちらちら見ていた。


「そんなのいいから、ほらソウタ走って」


耳にはソウタの言葉は聞こえてるんだけれど、焦る私はその言葉を考える余裕がない。

とにかく家に帰らないと、私の頭の中でぐるぐるとそれが回った。

もう不審者だろうが、お化けだろうがどっちでもいい。

家にさえ辿り着けば!

果てしなく感じる、家への道のりをただ、がむしゃらに走る、走る、走る――


必死に走って、遠くに、自分の家が見えたときは安心した。

電気のついているわが家を見たときは本当にほっとした。

走る足に、力がこもる。

勇気が出てくる。

私のスピードはぐんっと上がった。

もう、安全だ。

早く、家に!!!


その時だった。


世界がスローモーションになる。


時間がぐうんと引き伸ばされて、頭の中でいろんな記憶が流れる。


ゆっくりの世界の中で、私は、横から飛び出してくる車を見た。


このままゆっくりがとけたら、私とソウタはこの車にはねられる、そのことを理解した。


ゆっくりの、時間の中で、私は全力を振り絞って握っていた手を振り、ソウタを遠くへ、車にひかれない前にやり、彼の背中をどんと押す。


ソウタの中では世界はゆっくりになっていないのか、なんの体の反応もない彼は、そのままずっと前のほうに飛んでいった。


その様子を見て、私は安心する。


ソウタを守れた、ちゃんとお姉ちゃんできた。


すべての力を使い果たした私。


さらに世界は動きがのろくなる。



ああ、私、死ぬんだな。



そんなことを、思う。



お父さん、お母さん、ごめん。



でも私、ソウタを守ったよ。



ちゃんとお姉ちゃん、出来たよ……




迫る車の光の中で私は、ゆっくりと目を閉じた。


死ぬのって痛いのかな、苦しいのかな。


ちょっとだけ怖いけれど、夜の恐怖に比べたらなんだかそれはそんなに怖くない気がした。


さよなら———


「駄目だ!」


突然、声が聞こえて私は瞼を開ける。

その瞬間、どんっと私は体を押されて、車の遠くに飛ばされる。

飛ばされる一瞬のうち、普通になった世界の中で、私はある男の人を見た。

血だらけでぼろぼろの制服のような服を着た、男の人。

肩に傷がある。

そして、血なまぐさくて焦げ臭い、焼けたようなにおいを、少しだけ感じた。





「お姉ちゃん、大丈夫?」


「う、うう……」


「アヤメ、起きたのかい?」


声が頭の中に響く。

薬臭いにおいが鼻につんときて、私は目を覚ました。


「アヤメ!」


目の前には、看護服のお母さんと、おばあちゃん、それからソウタがいた。

どうやらお母さんの職場の病院のベッドのようだった。


「ソウタ、おがあさん、ううぅ……」


私は、みんなの姿を見て、急に緊張の糸が解けたようになって、泣いてしまう。


「よしよし、よく頑張ったわね。偉いわね」


お母さんが私を抱きしめてくれる。

お母さんの匂い、そしてちょっぴり薬のにおい。いつもの香りがして私は本当にほっとする。

よしよしっと肩をたたいてしばらく慰めてもらった。

10分くらいそうしていただろうか、私はなんとか泣き止んだ。


「なにが、あったの?」


目覚めたばかりで記憶がはっきりしない私は、みんなに尋ねる。


「家の近くで車に跳ねられかけたんだ。騒ぎを聞いてかけつけたけど、相当危ないところだったようだぞ」


どうやら、家の明かりの主はおばあちゃんだったらしい。

私の問いにおばあちゃんが応えてくれる。


車に……?

その言葉を聞いて急激に私の記憶がよみがえる。


「ねえ、あの人は? 私を突き飛ばしてくれた人!」


私の言葉にお母さんとおばあちゃんは目を見合わせる。


「そんな人はいなかったときいているけれど」


お母さんのその言葉を聞いて、私は焦る。

確かにいた、まさか、車に跳ね飛ばされてぐちゃぐちゃになってしまったんじゃないかと。

命の恩人なのに。

私は、必死にお母さんとおばあちゃんにその人の容姿を説明する。

途中からはソウタもその人のことを一緒に説明してくれた。どうやら、私があの時見た人は、ソウタがずっと追いかけてくると言っていた人のようだった。

ソウタは私よりもずっと長い間、その人のことを見ていたから私よりも詳しく説明できた。


「わるいかんじはしなかったんだよ。ずっとぼくたちのことをおいかけてきてたんだ。それでね、足がなかったんだけどね」


「足がながった?」


「うん」


独特のなまりのおばあちゃんの質問にソウタがうなずく。するとおばあちゃんはうーんとうなってしばらく考えこんだ。


「アヤメ。お前、小さい頃に大きな鏡にぶつかったの覚えてるかい?」


「え、鏡? 覚えてない」


突然の話に私は不意を突かれる。

鏡とあの人がどう関係あるんだろう。

そんなこと今回の話に関係あるのだろうか。


「そうだ鏡だ。粉々になった鏡の真ん中でお前さんは無傷でたってた。その時な、お前、ソウタが言うのと全く同じ見た目の人を見たって言ってたんだよ」


「私が?」


初めて聞く話だったし、そんな記憶全くない。


「そう、アヤメが幼稚園に入ったばかりの頃だ。でな、その話を聞いたじっちゃん……アヤメのひいおじいさんがいってたんだよ。それは、戦争で死んだ自分の弟じゃないかって。つまりアヤメにとってはひいおじさんってとこだな。もしかしたらその人が守ってくれたんじゃないかって」


私はおばあちゃんの言葉に息をのむ。

守ってくれた? 

でも私はその人から逃げてしまって、不注意で車に引かれかけた。

でも確かに、ひかれかけたときにその人がたすけてくれた。


「私は……」


思わず言葉に出そうになってなんとか飲み込む。

私は、なんて勘違いを。

私の心の変化に気付いたのか、おばあちゃんは大きくうなずいた。


「いいかい、アヤメ。世の中にはわからなくて怖いこともいっぱいある。本能で逃げるべきだって思ったら逃げろ? でもただわからないからって闇雲に逃げるのはよくねえ。今回のことで、よおぐわかったな?」


「うん、わかったおばあちゃん」


私は、おばあちゃんの言葉をしっかりと胸に刻む。


もっとちゃんとソウタの話を聞いていれば、落ち着いて確認していれば、こんなことにはならなかった。

お姉ちゃん、失格だ。

私の目から涙がこぼれる。

そんな私の手を握ってくれたのはソウタだった。


「おねえちゃん。ぼくをたすけてくれたのはおねえちゃんだからね。ありがとう」


「ちゃんとお姉ちゃんしようと頑張ってくれたのよね。わかっているわよ」


そう言ってお母さんも抱きしめてくれる。

私は二人の暖かさを感じながら、ゆっくりと目を閉じた。


「よがった、よがった」


その時、声が聞こえた気がして私は目をあける。

でも、そこには誰もいない。

けれど、私の鼻に煙の臭いがかすかに届いた。

私の心に温かいものが広がった。

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