後編

「下校時刻になりました。皆さん気を付けて帰りましょう」


西日が校舎を照らす中、下校のアナウンスと共に、ドヴォルザークの名曲「家路」が流れる。


この国では100年以上も前から下校時にこの曲を流すガッコウが多く、伝統の一つとなっているのだとか。


1人、2人、3人……。

次々とクラスメート達は帰っていく。


気づけば僕だけが教室に取り残されていた。



卒業が近いせいだろうか?


最近は夕日を見ながら「家路」を聴いていると、

なんともいえない寂しい気持ちになってしまう。


卒業か……。

もっとみんなと勉強したかったも。


いや、いけない、いけない。


感傷に浸ってる暇なんか無いのだ。

今週中には『将来の職業』を決めて、

サクラセンセイに報告しなければいけないのだから。


「食器修理士」と「昆虫味覚士」のどちらを選ぶか?


それだけを考え決断すればいい。


僕は最後にもう一度だけ考えてみることにした。


下駄箱で靴に履きかえ外に出ると、

もう校庭には誰もいなかった。


しめた!

これなら静かに考えられるぞ。


僕は校庭の隅のベンチに腰掛けると、長らくお世話になった校舎をボンヤリと眺めながら考えることにした。


「食器修理士」と「昆虫味覚士」。


どちらを選ぶのが自分にとっての幸せなのか?


食器の修理。


特に好きでも嫌いでもないんだよな。

そもそも普段使う食器なんて気にかけた事もないし。


昔は食器を作る土がそこらじゅうで取れたみたいだけど、

今は地球中の土が汚染されてしまってとてもじゃないけど使えないものばかり。

だからこそ今ある食器の修理が大切なんだってさ。


昆虫の味。


100年前の人間は、今とは違い食べるものが沢山あったらしく、とても贅沢だったみたい。

昆虫を食べるなんてほとんど無かったようだ。

まぁ、そのせいで資源の使い過ぎが大気や海を汚し、食べられるものが激減してしまったのだけどね。


だからこそ僕ら現代人は資源を大切にしなくちゃならないし、

昆虫を美味しく食べることは人類にとって、とても大切なことなのだ。


うーん、どうしたものか。


僕は途方に暮れ、西に沈む夕日をぼんやり眺めるほかなかった。


と、その時である。

一人僕がうんうんと悩んでいると、どこからともなく奇妙な音がしてきたのだ。


「ん? 何の音だ」


僕は耳を澄ました。

よく聴くと、どうやら楽器の音のようだ。


さらに耳をすましてみる。


ん?これはハーモニカの音のようだぞ。


ただ、これだけは分かった。


素人の僕が聴いてもとんでもなくヘタクソであることだけは……。


「誰だよ。人が真剣に悩んでいるのにこんな雑音流すのは」


みんな下校して、この校庭にはもう僕一人だけだと思っていたのに。


僕はイラッとし、文句の一つでも言ってやろうと音の鳴る方へ行ってみることにした。


見ると犯人は一人ブランコに座り、黙々とハーモニカを吹いていた。


ああ、なんだよ。


まさかというかやっぱりというか……。

そう、それはプリオだった。


プリオは僕には気づいておらず、ブランコに揺られながら気持ちよさそうに繰り返し繰り返しハーモニカを吹き続けている。


「よう、プリオ! ハーモニカなんて吹いてどうした? 随分とヘタクソだな」


僕の憎まれ口に反応したプリオは一瞬こちらを見たものの、ヘタクソと言われたことなど気にも留めず、再びハーモニカを吹きだした。


スピー、スピーと空気が洩れる音が滑稽でおかしい。


僕がプリオに近づこうとすると、今度はプリオの方から声をかけてきた。


「この曲知ってるか?」


プリオは何やら曲らしい音を奏でてくれた。


ピリャリャ〜〜。


何とも間の抜けた曲だな。残念ながら僕には分からなかった。

プリオの質問に僕が戸惑っていると、


「20世紀の偉大な詩人、ボブディランの『風に吹かれて』って名曲だ。知っとけよな……」


ボブディラン?


聞いたことがなかった。

ドヴォルザークよりも古い人だろうか?


というか、そんな古臭い曲のどこが良いんだろう?

いや、そもそもプリオのヘタクソな腕じゃ、

元の曲を正しく吹けているかどうかもあやしいけど。

僕はこれ以上、プリオのペースに合わせるのは面倒くさいことになりそうだったので、進路の話に無理やりもっていくことにした。

「ところでプリオはもう進路は決めた? 僕は『食器修理士』か『昆虫味覚士』のどっちか悩んでいるんだよね」

「ふーん」

プリオは全くもって興味なさそうに答えた。


相槌を打つという言葉は彼の辞書には無いらしい。


ただここで僕が意地を張ってもプリオレベルに下がるだけ。


僕は平然を装い話を続けた。


「プリオは確か『履き尽くした靴下の匂い診断士』か『期限切れの納豆判定士』のどちらかだったよね? どっちを選ぶの?」


僕がたずねると、プリオはハーモニカをそっと口から離した。


するとプリオは驚くことを口にした。


「いや。俺はどっちも選ばない」


「へ?」


僕は一瞬プリオが何を言っているのか分からなかった。


プリオはサクラセンセイの言ったことを忘れてしまったのだろうか?


困惑してる僕をよそにプリオは


「俺はハーモニカが好きだ。だからハーモニカで生きていく。これさえあればロックもブルースも奏でられる」


僕は唖然としてしまった。


「それ、本気で言ってんの?」

「ああ」

「プリオ。そのこと、サクラセンセイに言った?」

「ああ、言ったよ」

「何て言われた?」


プリオは僕の方を見ずに、夕日をじっと見つめこう言った。


「遺伝情報と、これまでの生活を考えても、プリオ君がプロミュージシャンとして活躍できる可能性は0.3%。食べるのにも事欠く生活を送ることになるでしょう、だってさ」


僕は呆れてしまった。

サクラセンセイからそんな『死刑宣告』を受けたにも関わらず、

「それ」を目指そうとしているなんて。


「サクラセンセイの言うとおりにしないと将来、食えなくなるんだよ? それでもいいの?」


「ああ。俺はハーモニカとロックとブルースが好きだ。ただそれだけでいい」


その言葉を聞き、僕は一瞬ドキッとしてしまった。


「好き、ただそれだけでいい」


僕は陸上についてプリオくらいの強い気持ちをもっていたのだろうか?


普段周りから「バカ」扱いされているプリオ。


夕日に照らされているせいもあったのか、

あんなにバカなプリオが何とも格好良く見えてしまった。


「好き、ただそれだけでいい、か……」

「ああ」

「分かった、プリオ。僕、先に帰るわ。プリオもあんま遅くなるなよ」


プリオは右手を軽く上げて挨拶すると、

僕の方には目もくれず再びハーモニカを吹き始めた。

校門近くにきても、

ヘタクソなプリオのハーモニカ音は聴こえ、いつまでも校庭に鳴り響いていた。

でもプリオの言った

「好き、ただそれだけでいい」という言葉。


下校中もこの言葉がずっと僕の頭の中でリフレインしていた。


「好き、ただそれだけでいい、か……」



その夜のこと。

僕は家に帰ると、父さんと母さんにこう告げた。


「僕、サクラセンセイが言った、食器修理士でもなく、昆虫味覚士でもない、陸上短距離の選手を目指そうと思うんだけど」


僕がそう言った途端、父さんも母さんも今までに見たことのないようなうろたえを曝け出すことになった。


普段は威厳のある父さんが、泣きじゃくりながら「やめてちくりー」と喚き、

普段は物静かで優しい母さんが「こん外道。おどりゃ何考えとんのじゃぁ」と、見事な広島弁を使いこなすほどに怒り狂ったのだ。


父さん母さん達にしてみれば、AIの示した道を選ばないということは、

それほど「ありえないこと」だったのだ。


それでも曲げない僕に対し2人の深夜から朝までにわたる長いお説教がはじまった。


「AIは何より正しい。逆らって何になる?」

「ワレ、人生を棒に振るんか?」

「親子の縁もこれまでだ。今生の別れとなるが本当によいのか?」

「私たちはお前を愛しているんだ」


脅し、泣き落としとあの手この手の父さんと母さんの説得が続いた。

そしてついに僕は。


僕は……。


そう。

僕は陸上選手を諦め「昆虫味覚士」を選ぶことにしたのだった。

父さんも母さんも涙を流して喜んでくれたし、その姿を見て僕も内心ホッとしていた。


結局「それでも陸上選手を選ぶ」という熱い情熱は僕には無かったのだ。

これでよかったんだ。

そう、これで……。



あれから3年が過ぎた。



僕が選んだ「昆虫味覚士」の仕事は奥が深く、

中々やりがいがあるものだった。


バッタの種類、繁殖方法、育て方、覚えることはゴマンとあり毎日が大変だ。


仕事だから当然、辛い事の方が多いけど、人生、そんなものだろう。


陸上?オリンピック?


もちろん、とうの昔に諦めたし、時々仲間と町や県の大会に出るくらいかな。


サクラセンセイが言ってたように県大会で8位だった時は思わず笑ってしまったけど。



そんな毎日を過ごすある日のこと。

仕事からの帰り道だった。


夕方、僕は路上でプリオを見かけたのだった。


薄汚れたTシャツとジーンズ姿のプリオは、仲間らしい奴らと道端でバンド演奏をしていた。

プリオのハーモニカの腕は以前よりは多少マシになったけれども、それでもヘタクソであることには変わりはなかった。


「やっぱり才能が無いのだろうな」


僕はそう思いながらプリオとその仲間達を眺めていると、

にわかに人が集まってきた。

どうやらプリオ達の演奏を目当てに集まって来たお客さんらしい。


「えっ? 何でこんなヘタクソなのに?」


決して沢山とは言えない人たちだったけれど、

その顔は心の底からプリオ達を応援しているようだった。


ボーカルも兼ねたプリオの歌声。

よく聴いてみると、確かに上手くは無かったけど、

何だろうか、心の中にグッと突き刺さる「何か」があった。


まるでその演奏は、その時その時の一瞬をとても大切にしているようで、

ヘタクソだけど、何だか、かけがえのないようなものに感じられた。


しばらく、僕はプリオの演奏に魅入っていたものの、

ふと明日も仕事が早いのを思い出した。


「おっと。いけない、いけない」


僕は、お客を前に生き生きと演奏しているプリオたちの姿を目に焼き付けると、


「がんばれよ、プリオ」


と心の中で呟き、明日得意先に説明するバッタの調理法を考えながら家に帰るのだった。





〈了〉


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僕とプリオと校庭で ヨシダケイ @yoshidakei

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