第8話

 変質した腕が火を噴いた。カルトが立っていた場所が炸裂した。山肌を大きく削り取るほどの威力。だが、いかに威力があろうとも、そんな単純な攻撃に当たるカルトではなかった。


 信明は背後を振り返る。


 瞬間、信明の胸元に赤い直刀が突き刺さっていた。手に伝わる微かな手応え。信明の意識を刈り取るには、十分な手応え。信明は鮮血を吐きだした。それを見たメイの瞳が見開かれた。


「あああアアアァァァァ!」


 メイが絶叫した。ビシビシと音を立て、メイの体が禍津日に浸食されていく。


「ったく」


 赤燐に突き刺さったままの信明を前蹴りで森の中に転がすと、カルトはメイに向き直った。赤燐を一振りし、刀身に付着した血糊を吹き飛ばす。


「仕方ねーか」


 もはやメイに、カルトの言葉を聞き取り、理解できるほどの理性は残っていなかった。信明を刺したことが、メイのトラウマを刺激したことは間違いない。今や、メイの体はその殆どを闇払いに浸食されつつあった。土色に変化した顔には幾つもの筋が走り、右手だけではなく左手も鎌へと変化していた。目は爛々と輝いているのに、口元は弛緩して長い舌を出し、唾液がボタボタと音を立てた流れている。


 カルトはフッと息を吐く。


 言葉にならない叫びを上げながら、メイは両手が変化した闇払いを振り下ろした。


 赤燐の剣を手にしたカルトの上体が、僅かに沈んだ。次の瞬間、手にした赤燐の剣は根元までメイの胸を貫いていた。


 白いブラウスに、赤いシミが広がっていく。メイの龍因子が血液と共に流れ出していく。


 無拍子。ほぼゼロモーションからの攻撃。相手の呼吸、目の動き、意識の流れ。全てを読み取り、あらゆる感覚を超越した刹那の攻撃。外野から見ればカルトの神速の突きだったが、メイにしてみれば、気がついたらカルトが胸元に飛び込んでいるように感じたはずだ。彼女に、人としての意識が残っていればの話だが。


 およそ武術の達人でも辿り着けない境地。それをカルトは類い希な格闘センスと龍因子で補っていた。この様な技術をも持っていたとしても、この後復活するであろう時忘れの龍にどれほど通用するか分からない。


 赤燐に貫かれたメイは、カルトに凭れ掛かってきた。


「なんで、邪魔をする……第三種生命体は……滅ぼすべき存在……キミは、どっちの味方なんだい………?」


 肉体が激しいダメージを負ったことで、禍津日を維持することができなくなったのだろう。メイの意識は戻っていた。


「人の味方だ。ただ、アンタ達と過程が違うだけ。……禍津日なんか使うのを止めて、女性らしく生きたらどうだ? 禍津日を使う姿は、とても見られたものじゃない」


「……女は、とっくに捨てた……」


 グラリと揺れるメイをカルトは支えようとした。だが、カルトの手をメイは払い除けた。後ろへ倒れるメイの腹部から、赤燐の剣が抜かれる。


「……子供を産めなくなって、女を捨てたんだ……」


 赤燐が薙ぎ倒した木に凭れ掛かったメイは、そのまま崩れ落ちた。


 急所は外してある。放って置いても命に別状はないだろう。二人の異変を嗅ぎ取ったタカマガハラが、二人を救助に来るはずだ。


 カルトは山を見上げる。この少し先に、ベカルドがいる。動きを止めたベカルドは、未だに動いた様子がない。


 赤燐をミサンガのように小さくしたカルトは、再び左手首に巻き付けると山を登り始めた。




 山は登るにつれて岩肌が多くなり、急斜面になった。足元は土では無く小石が多くなり、滑りやすくなっている。周囲に背の高い木々は無くなり、代わりに下草が所々に生えていた。

 岩に手を掛けたカルトは、最後に一度だけ振り返った。


 子供を産めなくなって、女を捨てたんだ


 全てを諦めたメイの表情が、頭から離れない。


 どのようにメイが生きて来たか、カルトは知る由もないが、その言葉から彼女の深い無念と怒り、憎しみがヒシヒシと感じられた。


 ハンターになる者には、第三種生命体との何かしらの過去がある。そうでなければ、あえて命を賭ける危険な仕事をする必要が無いだろう。命あっての物種。フリーのハンターになれば、もらえる金額は相当だが、その分危険がます。第三種生命体は強大な相手だ。生まれながらにして簡易結界を持ち、想像を絶する生命力を誇る。膂力も龍因子も、人よりも遙かに高い。だが、彼らの恐ろしさはそんな物ではない。基本的なスペックが人間を上回っているのは、些細な問題なのだ。彼らの最大の特徴は、特殊能力にある。空間を跳躍するものもいれば、未来を見るもの、目を合わせただけで人を殺すものもいる。


 カルト達の相手は、そんな危険な相手なのだ。因縁が無ければ、第三種生命体に関わろうとも思わないだろう。


 想像でしかないが、信明もメイも、第三種生命体に大切な人を、体の一部を奪われたのだろう。それは、カルトも同じだった。


 幼い頃から龍因子がズバ抜けていたカルトは、第三種生命体から命を狙われ続けた。高すぎる龍因子というのは、それだけで第三種生命体を寄せ付ける目印になり、餌になる。父親はカルトの身代わりになって命を失い、巻き添えで大切な友人も殺されてしまった。


 第三種生命体に殺される人達を、身近で何度も見てきた。何もできない自分。逝ってしまうのを、見送ることしかできない自分。


 そんなカルトを救ってくれたのが、セリスだった。セリスはカルトに龍因子の扱い方を伝授し、戦い方を教えてくれた。カルトにマクシミリオンを与えたのも彼女だった。


 カルトはセリスに救われた。命が救われたと言う事もあるが、何よりも大きかったのは心を救われたと言う事だ。



「もしも、誰かを救いたいと願うなら、まずは強くなりなさい。あなたなら、それができるわ」



 心も体も、一からセリスに叩き直された。セリスの訓練は想像を絶した。血反吐を吐き、骨を何度もへし折られ、幾度となく死線を彷徨った。だが、セリスはそれだけでは無かった。彼女はカルトを導いてくれた。厳しい中にも優しさがあり、カルトを光指す方向へ誘ってくれた。


 信明やメイは、どうだったのだろうか。彼女達に救いの手を差し伸べた者はいたのだろうか。二人は第三種生命体への恨みを増長させ、さらに忌み嫌う第三種生命体を禍津日として体に入れた。


 セリスに出会わなければ、カルトも二人と同じようになっていたかも知れない。


 カルトは息をついた。


 頭を振って雑念を追い出す。


 気がつくと、視線よりも僅かに上に大きな月が浮かんでいた。


「もう少しか」


 カルトは頭上を見上げると、音も無く跳躍して十メートル上方にある岩の上に降り立った。


 視界が開けた。眼前に漠々と広がるのは、青白い月明かりの下に佇む森。更にその向こうには、開けた場所があり、水田らしきものがみえる。目を細めると、幾つもの家が建ち並んでいた。


 冷たい風にマントを揺らしたカルトは、足元に目を向けた。切り立った絶壁だ。


 小さな光が見えた。冷たい感じのする緑色の光。自然光でも、人工の光でもない。龍因子を用いた魔法が放つ、特殊な光だ。


「魔方陣か、あそこにベカルドがいる」


 カルトは前方に向けて飛んだ。重力に負けて体が自由落下していく。激しい風が顔に当たる。徐々に強くなる風に、簡易結界が反応した。海の底のような青い地面が迫ってくる。弾丸のようなスピードで落ちたカルトは、地面すれすれで体を回転させると、足から着地した。足元の岩肌が砕け、小さな破片を眼前まで弾き飛ばす。


 顔を上げたカルトは、長い前髪が落ち着くよりも先に駆けだした。

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退魔異聞録  †時忘れの龍巫女† 天生 諷 @amou_fuu

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