後編






 長年の想い人にして初めての彼女に手酷く振られてから、半年の時が経った。


 始めの一ヶ月は、それはもうこれ以上ない程に落ち込んで、全世界の不幸を一身に背負った悲劇のヒロインの如く悲哀に満ちたオーラを撒き散らしていた。


 周囲の人々は、さぞウザったかったことだろう。


 正直、こんなことなら早紀姉ぇに告白なんてしなければ良かった――なんてことも思ったし、もう二度と恋なんかしない俺は生涯孤独に生きて行く――なんてことも考えた。


 しかし、どんなにドラマチックな感傷であろうとも、時間の経過と共に風化して、そして、古い恋は新しい恋には勝てないものだ。


 俺は、俺の腕に抱き付いて隣を歩く、愛らしい美少女へと目を向けた。


「ん、なぁに?」


 セミロングの黒髪を揺らし、くりくりとした大きな瞳で見詰め返してくる彼女こそ、付き合い始めたばかりの俺の新しい恋人――美希ちゃん。


 早紀姉ぇから振られたその後も、この美希ちゃんが何かと気遣って傍にいてくれたからこそ、俺は早々に立ち直ることができたんだ。


 だから今では、結末は酷い物だったけれど、早紀姉ぇへの告白が成功したことは嬉しかったし、早紀姉ぇと付き合っていた時間は楽しかった――素直にそう思えるようになった。


 早紀姉ぇに釣り合う男になろうと頑張った、勉強や運動やバイトだって、今も継続してちゃんと身になっている。


 感謝する――とまでは行かないけれど、恨んだりする気持ちはなくなった。


 こんな風に前向きに考えられるようになったのも、全ては美希ちゃんのお導きがあってこそだ。


 そして、そんな俺の導き手たる美希ちゃんは、今日も俺の腕に抱き付いて隣を歩いてる。


 俺は、美希ちゃんに実効支配されていない方の片手を伸ばし、深い感謝の念を込めて彼女の頭を一撫で、そのまま艶やかな黒髪に沿って首元までスルリと手を滑らせた。


「んふ、なんだよぉ~」


 首筋に触れた瞬間に、美希ちゃんがくすぐったそうに首をすくめた。


「最近、ポニーテールにしてないんだ?」


 俺と早紀姉ぇとの最後の話し合いの後、またしてもみっともなく泣き崩れた俺を慰めてくれたその時から、美希ちゃんはポニーテールだった髪を解いたままだ。


「うん、こっちの方が好みかなって」


 誰の好みか、なんて野暮なことは聞かない。だから俺は、正直な希望を言うことにした。


「なら、色んな髪型の美希ちゃんが見てみたい」


 なんだか、ちょっと変態臭い物言いになってしまったけれど、これは美希ちゃんにしか言えないこと。早紀姉ぇには、付き合っていた時にだってこんなこと言えやしなかった。


 思えば、早紀姉ぇと付き合っていた時は、とにかく自分を強く大きく見せようと必死に背伸びをしていた気がする。付き合うこと自体にも一杯一杯で、彼女に甘えたり、何かを頼んだりすることなんて考えもしなかった。


 きっとそれは、早紀姉ぇも同じで、一人で必死扱いているガキの俺に対して、甘えたり頼ったりなんてできなかっただろうし、実際にしてこなかった。


 俺は自分の独り善がりと至らなさに、顔を覆いたくなった。


 落ち着いて顧みると、自分がすごくダサかったことに気が付いてしまったのだ。


 そして、いよいよ顔が熱くなってきた俺は、受け入れがたい羞恥の念から逃れるように、生ける心の安定剤――美希ちゃんを視界に据える。


 美希ちゃんは、俺のお願いを受け、仕方ないな~、と屈託なく笑っていた。


「癒される……」


「え?」


「いや、美希ちゃんと付き合えて良かったな~って」


 早紀姉ぇとの関係があったからこそ、今の美希ちゃんとの関係がある――そう考えると、あのこっ酷く振られた出来事も、必要なことに思えて来てしまうのだから現金なものだ。


 俺の隣では、美希ちゃんが、え~いきなりなにぃ~?と笑いながらも怪訝そうな声を上げている。もしかしたら、また何かいやらしいお願いでもしてくるとでも思われたのかもしれない。


 いやらしいお願いはするけれど、誤解だ。


 すると、いやらしくて変態臭い俺に対し、美希ちゃんも美希ちゃんでとんでもないことを聞いて来た。


「じゃあさ、あの時にあの公園で、私に拾われて良かった?」


「ぇえっ――いや、拾われたって……」


 思わず、苦笑いが浮かぶ。


「ねぇ、良かった?」


 こちらに前のめりの美希ちゃんが、期待するように瞳を輝かせている。


 俺の答えなんて分かりきっているだろうに、それでも言わせるんだろうなぁ。


 答えなんか、決まっている。


「そりゃあ――」


 俺が答えると、美希ちゃんが満面の笑みで抱きついて来た――。









 わたしは自分の部屋で荷造りをしながら、なんか夜逃げみたいだな、なんて思った。


 まぁ、今の地元での自分の評判とか考えると、当たらずとも遠からずか……?


 わたしは、荷造りを手伝うという名目でわたしの服やアクセサリーを物色する妹の背中に、思わず愚痴をこぼした。


「っていうかさ、わざわざ周りにまでわたしが浮気してアイツを捨てたとか広める必要なくない?」


 おかげで、地元の知り合いほぼ全員にブロックと着拒され、中高時代の同窓会や飲み会の誘いも来なくなり、前から予定していた高校時代の先輩の結婚パーティーも出席は遠慮してほしいとか言われる始末……。


「え~、でも言っとかないとさ、私の彼氏が悪く言われるかもしれないじゃん? そんなの嫌だし、何より私の彼氏がかわいそう!」


 いや、わたしが言えた義理じゃないけど、付き合った途端に“彼氏”を強調してくるな、コイツ……。


「そもそもお姉ちゃん、実際に社会人のおじさんと浮気してたじゃん」


「おじさん言うな、まだ20代だから」


 というわたしのツッコミに、妹の美希が、え~、と不満気な声を上げ、からかうようにくすくす笑う。


「それにさ、お姉ちゃんはもう家出て一人暮らしするんだし、ここでの評判とかどうでも良いよ」


 何が良いっていうのか、完全に他人事なわたしの妹は続けて無邪気に言い放つ。


「というか、お父さんやお母さんには、お姉ちゃんの相手が社会人のおじさんだって秘密にしてあげてるんだよ? むしろ感謝してくれなくちゃ!」


 コイツ質悪いな……。


 でも、美希の言う通り、わたしはもう直ぐこの実家を出る。大学も二年生に上がると、遠方の他県にある校舎の方に通わなければならないから。


 身勝手なのは分かってるけど、正直なところ、それもあって高校生のアイツとの今後の付き合いを考え始めた。


 アイツが私のために色々頑張ってたことは知ってるし、それはすごくかわいくてかっこいいと思う。


 でも実際に付き合ってみて、結局は私の中で、弟を見ているような、親戚の子を見ているような、そんな感覚はずっと変わらなかった。


「きっと、最初から付き合うべきじゃなかったんだよね……」


 過去に二回も告白を断ってる負い目と、アイツがわたしを追って高校受験を頑張ったことにちょっと感動してしまったこと、こっちが冗談で済まそうとしても必死で告白してくるあの姿に絆されてしまったのが良くなかった。


 長い付き合いだし、生半可な別れ方じゃアイツは絶対諦めないっていうのは過去の告白からも分かってたのもあったし、あの時は早く別れなきゃって思うあまり、最後はあんな酷い別れ方をしてしまった。


「はぁ……やっぱ酷いことしたよね、わたし……」


 今更そんな権利は無いけれど、後悔と罪悪感は日に日に増して行く。


「まぁ、私の彼氏にとってはね。でも、私にとってはそのお陰で結果的に彼氏ゲットに繋がったわけだし良かったよ、ありがとね」


 いや、彼氏ゲットって、毎月のように誰かから告られてるんだからいつでもゲットできるじゃん、嫌味か――とも思ったけれど、美希の満面の笑みを見るに本気で感謝してるみたい。コイツ、メンタル強いな。


「まぁ、美希が居ればアイツも大丈夫か」


 心配する資格なんてないけれど、この妹が傍にいるなら少し安心だ。


「そそ、私の彼氏のことは私に任せて、お姉ちゃんはとにかく不用意に帰ってこないでね?」


「あ、はい」


コイツ、本当に強いな……。









 私の初めての彼氏は、年上の幼馴染でお姉ちゃんの元カレ。


 数ヶ月前に、近所の公園の隅っこでめそめそしているところを拾った。


 最初に見つけた時は、めんどくさそうだしスルーしようかとも思ったんだけど、具合とか悪いんだったら困ると思ったし、一応声を掛けた。


 正直、私は彼のことをあまり良く思っていなかった。小さい頃に遊んだ記憶は朧気で何の感慨もなく、彼がお姉ちゃんに会うために毎晩のように我が家へとやって来ることにも辟易としていたから。


 しかも、公園で声を掛けた時には、いきなり抱き付かれるし……。


 でもその時に、自分よりも年上の大きな男の人が、めそめそヒックヒック、しゃくりあげて泣くなんてところを初めて見た私は、彼の弱々しいその姿に胸の奥が甘く締め付けられるような感じを覚えた。


 つまり、ぐっと来てしまった。


 これまで、学校とかで告白してくれる男の子はいたけれど、私の中で好きとか嫌いとか今いちピンと来なくって、そんな状態で付き合うのもなんだから、私には彼氏ができたことがなかった。


 きっと私は、生涯未経験の独身で終わるか、自分がピンと来た人に自分から告白するタイプなんだろう、なんて思ってた。


 それが今回、ピンと来てしまった形だ。


 だから、そこからは自分でも驚く程の現金さで彼に取り入って、お姉ちゃんとの事後処理をスムーズに行わせ、傷心の彼をこれでもかと構って構って甘やかし――結果、恋人となった。


 だからこれは、彼の告白が成功しなければなかった、お姉ちゃんと彼が恋人同士にならなければなかった、お姉ちゃんが浮気をして酷い振り方をしなければなかった、私が公園で彼を見つけて彼の泣くところを見なければなかった、でもその全てがあった――私と彼との、馴れ初めの話。


 お姉ちゃんが捨てて、私が拾った。


 お姉ちゃんと、彼と、私にまつわる、そんな話――。





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姉と彼と妹 osa @osanobe

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