中編






 公園で出会った幼き早紀姉ぇは、早紀姉ぇではなかった。


「その、ごめん。美希ちゃん……」


 平謝りする俺の前で、腰に手を当て仁王立ちする早紀姉ぇの妹――美希ちゃん。


 早紀姉ぇ本人かと見紛う程にそっくりな端正な顔立ちと、中学生とは思えない抜群のスタイル、髪は昔から茶髪だった早紀姉ぇと違い、自然で艶やかな黒髪をポニーテールにしている。


「はぁ、ひどいなぁ。っていうか、私の存在自体忘れてたでしょう?」


「そ、そんなことは……」


 あった、忘れていた。というか、意識の外にあった。


 情報として、早紀姉ぇに妹がいること、名前は美希であること、小さい頃に遊んだ記憶が朧気にある、という程度。


 俺は本当に早紀姉ぇのことしか見ていなかったのだなと実感させられる。


 というか、早紀姉ぇに会うために何回も家にお邪魔していたのに、その時にもまったく合わなかったのも原因の一つだろう。


 もしかすると、美希ちゃんには避けられていたのかもしれない。


「まぁ、いいですけど」


 どうでも良さそうに呟いて、美希ちゃんはこう続けた。


「それで、なんでこんなところで泣いてたんですか?」


「それは……別に大したことじゃないんだ」


 そう、彼女に振られたというだけの何処にでもある詰まらない話。


 今更格好付ける訳ではないが、自分の情けなさや至らなさに関する話でもあり、昨日の今日でまだ思い出すのも辛いから出来ればあまり話したくはない。


「こっちはいきなり痴漢されたんだし、聞く権利があると思う……」


 ぼそりと呟かれた言葉は物騒で、そう言われた俺に成す術はない。こういう有無を言わせないところも、早紀姉ぇによく似ている気がする。


 観念した俺はたどたどしく早紀姉ぇとのことを話した。


 美希ちゃんは黙って聞いていた。


 最後まで話した時、俺はまたみっともなく泣いた。


「そっか……」


 美希ちゃんは一言だけそう呟くと、俺の頭を両手で包むようにして、そのまま優しく撫でつけた。


 ああ、情けない。自分を振った元カノの、しかも中学生の妹に慰められるなんて……。


「ごめん、ありがとう」


「大丈夫?」


 情けないところを見せ過ぎた所為か、美希ちゃんはすっかりタメ口で、それどころか小さい子でもあやすような優しい口調で尋ねてくる。


「ああ、うん。おかげ様で」


 そんな風に答えられるだけの余裕は出て来た。


「あれ、そういえば学校は大丈夫なの?」


 ハタと気付き、尋ねる。あんな早朝から制服姿をしていたのだから、部活の朝練でもあったのかもしれない。


「あー、うん。ちょっと用事があって早く家出たんだけど、もうしょうがないかな」


 美希ちゃんは、朝から公園で泣いてる子もいたし、とにんまり笑った。


 俺は言葉が無かった。この短い間に、人に見られたくない恥ずかしいところや弱みを美希ちゃんには一気に見せてしまった気がする。


「心配して声掛けたら、いきなり抱き付かれるし」


「すみません」


 それについてはお詫びのしようもない。早朝の公園で女子中学生に抱き着く男子高校生――完全に事案だ。


「あれ、私のハグ初体験だったのに……あーあ、強引に奪われた、私のハグ処女」


 人聞きが悪いなんてもんじゃない。というか、ハグ処女って何?


 色々と言いたいことはあったが、やらかしてしまったことは事実だし、今の俺に美希ちゃんに逆らう度胸はなかった。


「ご、ごめんって……」


「悪いと思ってる?」


 美希ちゃんが、半目になって探るような視線を向けてくる。


「悪いと思ってるし……その、話聞いてくれてありがとう」


 すると、美希ちゃんが一瞬だけ目を見開いた後に、よろしい、と満面の笑顔を見せてくれた。


「じゃあ、お姉ちゃんとちゃんと話せる?」


「いや、それは……」


 思わず日和って言い淀む。


「聞きたいこととか、言いたいこととか、いっぱいあるんじゃないの?」


 それはもちろんある。あの男は誰なのか、いつから付き合っていたのか、俺のどこが駄目だったのか、もう本当に終わりなのか、今更な未練がましいことばかりだけれど、自分の中で納得するためにも聞きたいことはいくらでもある。


 でも、正直聞くのが怖いとも思う。わざわざ傷を深くせずとも、時間と共に風化していくのを待ったって良いんじゃないかと――。


 すると、美希ちゃんがその細くしなやかな手を俺の手に重ねてこう言った。


「まぁ、今のは私がけしかけたんだし、もし泣いちゃったら、また慰めてあげるから、ね?」


 我ながら本当に情けなく、そして現金なことに、俺は美希ちゃんのその言葉に背中を押され、早紀姉ぇと話をすることを決めた。







 あの後、美希ちゃんはそのまま中学校へ、俺は一度帰って高校へと登校した。


 正直、俺は心身共に疲れ果てていて、今日ばかりは学校を休んで寝ていても良いんじゃないかとサボる方向で考えていた。


 しかし、それを敏感に察知したのか美希ちゃんが、


「これで学校休んだら、お姉ちゃんに負けた感じになる」


 と、俺の思惑は敢え無く却下された。


 しかも美希ちゃんは、眠くて泣いちゃう? 一人で学校まで行ける? 寂しくて無理? とわざとらしい猫撫で声で煽りに煽ってくれるものだから、俺はきちんと登校することにした。


 そして、結果的には登校してよかったと思う。授業中は眠気と戦い、休み時間が来る度に爆睡し、クラスメイト達との絡みも相まって、早紀姉ぇのことはあまり考えないで済んだ。


 放課後になると、俺は学校からまっすぐに美希ちゃんと早紀姉ぇの家に向かった。


 美希ちゃんの情報によると、早紀姉ぇも朝帰りだったらしく、今日は一日家にいるだろうとの事だった。


 朝帰り……。


 俺の脳裏に、昨晩駅で対面した長身のイケメンとそれに寄り添う早紀姉ぇの姿が蘇える。二人はあのままホテル街へと消えて行った。


 生々しい想像が渦巻いて、胸の奥がムカついた。


 早紀姉ぇとちゃんと話し合って終わらせれば、少しでも気持ちが晴れるんだろうか……?


 今も全身に圧し掛かるような気の重さに、それについては懐疑的だった。


 そうして、俺はこの期に及んでも、散々に迷い怯え、それでも区切りは必要だと思い直し、一応早紀姉ぇに連絡を入れるべくスマホを取り出した。


「あれ? 誰だこれ……」


 登録していない番号からのショートメール。



美希です


お姉ちゃんはやっぱり家にいるみたい


私からもきちんと話し合うように言ったら、わかったって


今日は家にお母さんもいないし、チャンスだよ


言いたいこと言っちゃえ!


あと、家に着いたら連絡してね、私が入れてあげる



 受信時間を見ると昼過ぎにはこのメールが届いていたらしい。


 今の今まで早紀姉ぇと話し合うべきかを、うじうじと優柔不断に迷っていたけれど、最初から俺に選択肢はなかった様子。


「というか、美希ちゃん。早紀姉ぇになんて言ったんだろ?」


 俺と美希ちゃんとの接点は幼い頃で途切れている。いや、それ以降も合ったのかもしれないけれど俺の記憶にはない。

 

早紀姉ぇだって、美希ちゃんのことを話題に出したことはなかったし、似たような認識なんだと思う。


 しかし、それがどうだろう。俺と接点のない筈の妹から、昨日振った元カレときちんと話せ、などと言われた早紀姉ぇの心境の程は――。


 すごいよ美希ちゃん……というか、ちょっと怖いよ美希ちゃん……。


 美希ちゃんの行動力が怖かった。


「まさかとは思うけど、男の方は呼び出したりしてないよなぁ?」


 思い出されるのは、早紀姉ぇと共にいた長身のイケメンの姿。


 俺だって175はあるから小さい方じゃないけど、あの男は180以上あった気がする。


「居たらどうしよう、何を話せば良いんだろう」


 自己紹介からか? もし戦いになったら勝てるか? などなど、愚にもつかない考えが頭の中を駆け巡る。


 そうこうしている間に、美希ちゃんと早紀姉ぇの家の前まで着いてしまう。


「あ、来た」


 美希ちゃんが、制服姿にサンダルを引っ掛けて、玄関の前に立っていた。


「もしかして待っててくれた?」


 美希ちゃんは、まぁね、とはにかんだ。


 待たせてしまったことを申し訳なく思いながらも、俺は今一番聞きたいことを尋ねた。


「あのさ、早紀姉ぇの男とかは、呼んでないよねぇ?」


 すると、美希ちゃんは眉間に皺を寄せる。


「うん、ごめんね……お姉ちゃんがどうしても番号教えてくれなくて呼べなかった……」


 面目無いといった様子で、華奢な肩を落として俯く美希ちゃん。


 この子、本当に呼ぼうとしてたよ……。


 もはや、そのアグレッシブさに畏敬の念すら覚えそう。


 そんな美希ちゃんのおかげ?で、僅かに緊張を解された俺は、そのまま早紀姉ぇの部屋まで通された。


 テーブルを挟み、早紀姉ぇと対面する。


 昨晩振りに見る早紀姉ぇは、能面みたいな無表情で俺の知らない人みたいだ。


「アンタ、美希と繋がりあったんだ」


 早紀姉ぇの冷ややかな目が恐ろしい。


 浮気を糾弾する、とまではいかないまでも、俺が責める側であって然るべき場面の筈なのに、俺の方が彼女の妹に手を出した不埒者みたいな空気になっている。


 しかも、俺は俺で多少やましいところがあるため、一瞬自分が何をしに来たのかも忘れ、すみません……と謝りそうになったが、なんとか踏み止まって早紀姉ぇを見据えた。


「早紀姉ぇ、ちゃんと話がしたいんだ」


 意を決して、そう切り出した。


「なに?」


 心底面倒くさそうな早紀姉ぇは、手元のスマホに視線を落とした。


 俺は心折れそうになりながらも早紀姉ぇに尋ねる。


「昨日の男は……?」


「大学のOBで、今はもう社会人の先輩」


「つ、付き合ってるの?」


「昨日のあれ見たら分かるでしょう」


 早紀姉ぇが鼻で笑った。


「俺達、もう終わりかな……?」


 早紀姉ぇからの答えはない。


「俺、どこが駄目だったかな……?」


「はぁ、面倒くさいなぁ……仕方ないじゃん、アンタより良い男に出会って好きになっちゃったんだから」


 早紀姉ぇは苛立ったように髪をかき上げ、


「アンタも見たと思うけど、あの人モデルとかもやってるからスタイル良くて本当にイケメンだし」


 一気にそう捲し立て、


「お金も持ってるから高いプレゼントとかもくれるし、年上だから色々リードしてくれるから楽なの」


 冷めた表情で、だからアンタとはおしまい、とそう言い捨てた。


「男の癖に泣かないでよ、ウザいなぁ」


 そう言われて初めて、自分が泣いていることに気が付いた。


「はぁ、迷惑だから家まで来んなっつの――」


 早紀姉ぇは荒々しい足音を響かせながら自分の部屋から出て行った。


「ハハ、そうだよな……俺がここで、めそめそ始めたら……っ、早紀姉ぇが出て行くしか、ないもんな……っ」


 そういう気の回らないところが駄目だったんだろうか?


 俺は力の入らない足でなんとか立ち上がり、早紀姉ぇの部屋を後にする。


 ドアを開けると、そこには小さな早紀姉ぇ――いや、美希ちゃんがいた。


「ん……」


 美希ちゃんは何も聞かず、結んでいた髪を解いて、俺に向かって両手を広げる。


 俺は崩れるように、美希ちゃんに縋りついた――。





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