姉と彼と妹

osa

前編






 俺が中学を卒業する日。幼少からの想い人が高校を卒業するその日。


「す、好きだ、早紀姉ぇ!俺と付き合ってくれ!」


 俺は人生で三度目になる告白をした。


「えぇー、ん~……」


 ふんわりと整えられた茶髪のセミロングを揺らし、困り顔で首を傾げる俺の想い人――早紀姉ぇ。


 早紀姉ぇのブレザーの胸元には、学校から配られたであろう赤い造花が付けられている。


 改めて、本当に卒業なんだなぁ、と思う。


 俺は中学の三年間、必死に勉強して早紀姉ぇと同じ高校に合格したけれど、三学年上の早紀姉ぇとでは一緒に高校へと通える筈もなく、この制服姿も今日で見納めだろう。


 濃紺のブレザーにベージュカーディガン、グレンチェックのスクールスカートと、そこから伸びるスラリとした脚の先にはネイビーのソックスに黒い光沢を放つローファー。


 同じ格好をした女子生徒が他にもたくさんいるからこそ際立ち、改めて実感する。早紀姉ぇの容姿は、一般のレベルから更に頭一つ二つ飛び抜けて優れている。


 モデルのように均等の取れた体つきに、幾何学的に左右対称の美しい顔の造形、健康的な髪や肌の色艶と、どれを取っても一級品。すごく綺麗だ。


 それを考えると、自分のような中学を卒業したてのガキが告白をするなんて身の程知らずも良いところだと思う。


 元々勝算や自信があった訳じゃないけれど、更に自信がなくなり落ち込んでくる。


「ん~、そんなに私が好きなの?」


「う、だっ、大好きだ!」


 折れそうな心に鞭打って、間髪入れずにはっきりと答える。


 なんせ一回目の告白はどもりまくって笑われ、二回目の告白は男らしさが足りないと断られた。


 過去の失敗を活かし、男らしい口調を意識しつつ簡潔に言い切る作戦だ。


「ふ~ん」


 早紀姉ぇが近付いて来て、挑発的かつ意地の悪い笑みを浮かべて俺を見上げる。


 ふわりと香る甘い匂いと、告白の緊張、そして何より早紀姉ぇの顔が近くて――……もうどうにかなりそう。顔が熱い。


「じゃあ、どうしてもって言うなら、付き合ってあげても良いかな」


 くすくすと笑いながら囁くように言われ、本当に脳みそが蕩けてしまうんじゃないかと思ったが、言葉の意味を理解した俺は一も二もなく飛び付いた。


「どうっ、どうしても!どうしても早紀姉ぇと付き合いたい!俺と付き合ってくれ!!」


 早紀姉ぇは、仕方ないなぁ~、とわざとらしく首を振った後、余裕たっぷりにこう言った。


「それじゃあ、手ぇ繋いであげる。一緒に帰ろうか、彼氏クン?」


 感動だった。俺が早紀姉ぇと付き合えるなんて。幼少からの想いが成就した瞬間だ。


 嬉しくて嬉しくて、思わず叫びたくなるけれど、早紀姉ぇの前でそんなガキっぽいことできる訳がない。


 でもきっと傍から見たら、今の俺は喜びを隠しきれない子供そのもので、もの凄くだらしない顔をしているんだと思う。だって、口元や頬が自然と吊り上がって全然締まらない。


 今にも爆発しそうな喜びを必死で噛み殺していると、俺は早紀姉ぇに重要なことを伝え忘れていたのを思い出した。


「早紀姉ぇ、卒業おめでとう!」


 早紀姉ぇは、苦しゅうない、と頷くと、いきなりこちらに腕を伸ばして来て俺の頭に手を置いた。


「アンタもここ受かるなんて頑張ったじゃん。それに、そっちも卒業おめでとう」


 頭を軽くポンポンしてくれた。


 嬉しさが込み上げてくる。今日で卒業の早紀姉ぇとは一緒に高校に通うことはできないけれど、これだけでも受験を頑張った甲斐があったというもの。


「早紀姉ぇ、好きだ!」


 感極まった俺は早紀姉ぇを抱き締めようとしたが、早紀姉ぇは柔らかそうな髪をひるがえしてスルリと避けた。


「あ、それ、良いかも」


 何が良いのだろうか?


 早紀姉ぇのしなやかな人差し指が、色艶の良いぷっくりした唇に当てられている。


「ちょっとさ、帰るまでの間、色んな言葉で告ってみてよ」


「はぁ!?」


「何?ヤなの?」


「うぃ!?いっ、嫌じゃない!」


 そうして俺は、俺達の家の近所に着くまでの間中、ひたすらに恥をかかされまくった。


 本当に死ぬほど恥ずかしかったけど、早紀姉ぇがころころ笑いながらわざと遠回りする帰り道を選ぶのが少しだけ嬉しかった。


 この時の俺は、志望校に受かり、中学を卒業し、念願の想い人との交際、まさに幸せの絶頂だった。


 幸せな時間は高校に入ってからも続いた。


 大学生で時間に自由の利く早紀姉ぇと、高校生で朝から夕方まで授業があり、放課後はデート代捻出のためにバイトもしていた俺とでは、なかなか予定も合わなかったけれど、それでもなんとか時間を作ってするデートは楽しかった。


 デートができない日も、家が近所だったから少しの時間だけでも早紀姉ぇに会いに行った。寝る前には叩き出されたけど、なんだかんだ付き合ってくれる早紀姉ぇは優しかった。


 俺は早紀姉ぇと居るだけで嬉しくて楽しくて幸せだったけど、同時に金も時間も経験もない自分がもどかしかった。


 毎回のデートの度に、大学生になってからますます綺麗になって行く早紀姉ぇに、地元のファミレスやファーストフード店で食事をさせるのを内心で申し訳なく思っていた。


 偶然会った早紀姉ぇの大学の友達に、俺のことで早紀姉ぇがからかわれているのを見て、俺の存在が恥をかかせていると思うと胸が痛んだ。


 そんな劣等感や焦りにも背中を押され、俺は少しでも早紀姉ぇに格好良いところをみせたい、釣り合う男になりたい、と勉強に運動にバイトにと、とにかくがむしゃらに頑張った。


 その甲斐あって、成績は上がり、長身だがヒョロかった身体も逞しくなって、高校生にしてはバイト代も稼げていた。


 しかし、どんなに頑張ろうとも、年齢の差、自由になる時間の差、経済力の差は如何ともし難い部分が多かった。


 だから、こんな結末になったのも仕方がないのかもしれない。


 高校二年の春。早紀姉ぇと付き合い始めてから一年が経った。


 その日、予定よりも早くバイトを上げてもらった俺は、早紀姉ぇの通う大学がある駅まで、サークルの飲み会帰りの早紀姉ぇを迎えに来ていた。


「どうしても今日迎えに来てほしいとか、早紀姉ぇも可愛いところあるよなぁ」


 思えば、罰ゲームやからかわれて何かを命令されることはあったけど、こんな風に早紀姉ぇが俺に何かを頼むのは、付き合ってから初めてのことじゃないだろうか。


 俺は彼女に頼られているようで少しだけ誇らしい気持ちになった。


 それに、最近は早紀姉ぇの方が忙しくて全然デートもできていなかったし、夜も眠いからって家には来ないようにも言われていたから、会うのも結構久しぶりですごく楽しみだ。


 俺は早紀姉ぇを探すべく、多くの人が行き交う駅前の雑踏に目を向けると、直ぐに早紀姉ぇの姿を見付けることができた。


「あ、早紀姉っ――え……?」


 早紀姉ぇは来た。最近は会えていなかったけれど、いつもと変わらずおしゃれで綺麗な俺の知ってる早紀姉ぇだ。


 でも、早紀姉ぇは、俺の見知らぬ男と腕を組んで寄り添いながら、こちらにやって来た。


「あ、れ? 早紀姉ぇ……その人……」


 自分の声が、情けなく震えているのが分かる。


 酔っていたから掴まってただけ――なんてオチは期待できない程に、早紀姉ぇと男の距離は近かった。


「えっと、ごめん。こういうことだから、別れて?」


 そう言って、早紀姉ぇが男の腕を強く抱き締める。


「それじゃあね――」


 早紀姉ぇは俺の返事や反応など待たずに、男と連れ立って駅の裏側、ラブホテルなどが並ぶ一画の方へと消えて行った。


 容赦のない明確な意思表示は、ある意味早紀姉ぇらしかった。


 ショックが大き過ぎて、まだ怒りも悲しみも湧いてこない。ただ心臓だけが異常な速度でバクバクと脈打っている。


 それからの記憶は疎らだ。


 断片的な風景から、恐らくは繁華街をフラフラして、そのまま電車に乗らず地元の駅まで一晩掛けて歩いたのだと思う。


 気が付いた時には、俺は家の近くの公園にいた。


 狭い敷地の中に、塗装の禿げた滑り台や座板が朽ちたブランコ、錆びだらけの鉄棒が並んでいる。


 昔はよくここで遊んだっけ、というか、つい一~二年前の中学の時だって、ここで友達と集まって夜まで駄弁っていた記憶がある。


 早紀姉ぇと付き合いだしてからは、ここには一度も足を向けていなかった。


 なんだか、それが酷い不義理のような気がして、申し訳ない気持ちになる。


 俺は公園の隅のボロいベンチに腰を落ち着けると――、


「あ、れ……っ」


 急に視界が揺らぎ、喉元が痛い程に苦しくなって、自分が泣いていることに気が付いた。


「ぐっ……っ……っ」


 嗚咽を漏らさぬよう、必死に歯を食い縛って噛み殺す。


 そうして、もはや夜が明け、空が白み始めた早朝の公園の片隅で、一人孤独に涙していると――。


「あの、大丈夫ですか?」


 少し鼻に掛かった甘い声。幼い頃からよく聞いた、それは幼馴染にして元恋人の声だった。


「ッ――!?」


 俺は弾かれたように顔を上げた。


 するとそこには、髪の色は少し違えど、地元の中学校の制服を着た中学時代の早紀姉ぇが、心配そうにこちらを覗き込んでいた。


「さっ……早紀姉ぇええっ!!!」


「うわっ!?ちょっ――!!?」


 心身共に参っていた俺は、その幼き早紀姉ぇに縋りついた。





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