空の向こう

雨世界

1 もう、私のこと忘れないでね。

 空の向こう


 登場人物


 日高空 中学生 十五歳


 川島優 中学生 十五歳


 プロローグ


 もう、私のこと忘れないでね。


 ……たとえあなたが私のことを、もう、覚えていなかったとしても。

 私はそれでも構わない。

 勇気を持って、私はあなたに会いに行く。

 あなたにもう一度、この広い世界の中で出会うために。

 成長した私を、君にちゃんと見てもらうために。

 ……今度こそ、私のことを忘れずに、ずっと君に覚えていてもらうために。


 本編


 あったかいね。すっごく、幸せだね。


 黄緑色をした大地の上には、気持ちのいい春の暖かな風が吹いていた。

 その風の中を泳ぐようにして、日高空は緩やかな丘の上にある土色をした坂道を、ゆっくりとした足取りで一人、美しい周囲の風景を眺めながら歩いている。


 本当に綺麗な場所。

 こんな静かで、すごく綺麗な場所に君は一人で一年間、暮らしているんだね。(すごく君らしいね)

 と、そんなことを空は思ってにっこりと優しい風の中で笑った。

 空の着ている黄色いワンピースの長いスカートと、その腰まである美しい黒髪が高い山々を超えて吹いてくる穏やかな風の中で揺れている。


 幾つかの電車を乗り継いでやってきた遠い場所。

 見慣れない自然の風景。

 ……ずっと前に、いなくなってしまった君のことを、空想する。もうずいぶんと昔のことのような気がする。……まだ、たった一年前の話だというのに。変だよね。


 君が私の前からいなくなった日。

 君が私に、悲しい目をして『さようなら。……今まで、本当にありがとう』と言った日。

 ……私が一日中泣き続けた日。


 あの日は、雨が降っていた。

 悲しい雨。

 冷たい雨。

 ……土砂降りの、いつまでも降り止まない、とても強い雨が、私たちの周囲にはずっと降っていたね。


 だけど、今日の天気は快晴。

 気持ちのいい青色の空が永遠に広がっている。

 雨がやんだのは君のおかげなのかな?

 それとも、もしかして、私があの日から少しくらいは、ちゃんと大人になったからなのかな?

 君のせい? それとも私? ねえ、どっちかな?

 どっちのせいで雨は降り止んだのだと思う?

 ふふっととても嬉しそうな顔で笑いながら、空は緩やかな丘の上にある土色の坂道を登り切った。


 するとそこには小さな白い(名前のわからない)花がたくさん咲いてる風景が広がっていた。その花の中には、一軒の古い木で作られた家が建っていた。

 庭には洗濯物が干してあって、春の風にその真っ白な洗濯物が気持ちよさそうに揺れていた。

 その洗濯物の先には白い椅子が置いてあって、その白い椅子には一人の少年が座ってなにかの本を読んでいた。


 その少年は、ちょうど空に背中を向けるようにして白い椅子に座っていた。そんな少年のいつもの無防備な背中を見て、空はくすくすと笑うと、急にいたずら心が湧いてきて、空は本を読むことに夢中になっている少年に気がつかれないようにして、少年のすぐ真後ろまで、足音を立てないようにして、移動をした。


 少年にわ! と声をかける前から、空には少年の驚く顔がありありと目に浮かぶように見えていた。

 そしてこの数秒後に、その空の空想した通りの顔をして、その少年、川津優は空の前でとても驚いた顔をして、白い椅子から転げ落ちた。

 そんな一年ぶりに会う、あのころと全然変わっていない優を見て、空はその大きな二つの目に、少しの涙を浮かべながら、とても幸せそうな、まるで太陽のような明るい顔で、にっこりと優の前で笑った。


「ごめんなさい。驚いた?」そう言って、空は優に手を伸ばす。

 その空の手を優は、(不思議そうな顔をして、しばらくの間じっと見つめて、それから少し迷ってから)しっかりと握って、大地の上に自分の二つの足を使って、ゆっくりと立ち上がった。


「あの、すみません。あなたは誰ですか?」きょとんとした顔で優は言う。

 そんな優に向かって空は「『初めまして』。私は、空。日高空って言います」とにっこりと笑って、優の手を握ったまま、ちゃんと一年前から今日の日のために、ずっと用意してきた悲しい言葉を空は言った。


(その瞬間、空の目から一つの涙が、……大地の上に、こぼれ落ちた)

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