犬のいる家

目箒

犬のいる家

 連絡網で不審者情報が回って来た。西町の丁字路ていじろ付近で、男性から声を掛けられると言う。たまに回ってくる情報だが、今回の情報は、いつもならしっかり書かれている情報が全くないことに、地元高校二年生の武藤遙花むとうはるかは気付いた。

 「不審者の特徴欄」である。目撃例なし、なのだそうだ。

 声を掛けられたのだから、相手の特徴くらいわかっても良さそうなものだ。まさか、声を掛けられた全員が全員、振り返らずに逃げたわけではないだろう。ロトの妻ですら振り返ったのに。授業で習ったことを思い出した。振り返ったらいけない、と言われているのに、何で振り返っちゃったんだろう。イザナギだって、イザナミに振り返らないでと言われたのに振り返って奥さんが腐っているところを見ちゃった。


 という、神話や言い伝えの話は置いておくとして、「おい」って呼び止められらたら、普通振り返ってしまうものじゃないだろうか。それともなんだろう。私の防犯意識が薄いんだろうか。そんな高圧的に声を掛けられたら、即座にダッシュで逃げた方が良いんだろうか。

「人と一緒だったらあんまり怖くないけど、一人だと怖いよね。ハルちゃん、今日一緒に帰ろうよ」

 渋い顔で同じ情報を見ているのは、クラスの友人である須藤すどうあきらで、高校入学式で親しくなって以来の友人である。茶道部の遙花と美術部の晶は部活の時間もあまり合わず、本好きの晶が図書館に寄ったりする関係で普段は一緒に帰ることはあまりないが、正体どころか外見すら不明の男から声を掛けられた時に一人きりというのは、遙花からしてもぞっとしないものだった。西町の丁字路というのは、遙花も晶も通学路として使っている。とは言え、二人ともその声掛け事案に遭遇そうぐうしたことはなかった。

「昨日わなかったからって、今日も遭わないとは限らないしね」

 想像したら、段々怖くなってきて、遙花は晶の提案を呑んだ。


***


 けれど、丁字路を通り過ぎても、PTAの腕章をした年配の女性にしか会わなかった。彼女は二人を見かけると、

「気を付けて帰ってね」

 安心させるような微笑みで声を掛けた。

「ありがとうございまーす」

 晶はぺこんと頭を下げた。遙花も会釈えしゃく。女性は丁字路の向こうを覗き込んだ。現在地は、丁字の線同士がぶつかる辺りで、遙花たちは一画目の左から来ている。周辺は住宅地で、二画目の両側にも家屋が建ち並んでいた。

「どうしたんですか?」

 遙花は首を傾げた。何かいるのだろうか、と思って、一緒に覗き込む。特に何もなかった。女性は振り返ると、声を低めて、

「ああ、この通りに犬山さんってお宅があるんだけど」

 何でも、この周辺の声掛け事案の情報をまとめると、どうやらその犬山宅を通り過ぎた後に発生しているらしい、という事がわかっているのだそうだ。

「でもね、あそこのお宅、ご夫婦で暮らしてたんだけど、旦那さんが何年か前に亡くなってるんだよね」

「新しい彼氏とかじゃないんですか?」

 晶も声を低めて尋ねる。相手は苦笑しながら首を傾げ、

「どうだろうね。どっちにしろ、犬山さんが知ってる人なら注意してもらえませんかーってお願いできるし、もしかしたら犬山さん狙いかもしれないから、連絡したのよ」

 けれど、犬山さんはまったく心当たりがないと言う。不安そうにしていたが、不審者については既に警察に連絡が行っている。それと、もう一つ彼女には安心材料があると言うのだ。

「最近ね、わんちゃん拾ったんですよ。ちょっと不細工だけどお利口さんでねぇ」

 犬がいるだけで大分違うのではないか、と思っているそうだが、

「犬が吠えたって話はないんだよね……番犬としてはどうなんだろうって思ってるけど……今のところ実害はないし、警察も巡回してくれてるし、PTAも持ち回りで動いているから、皆は安心して良いよ。犬山さんの話はここだけにしといてね」

「わかりましたー」

 二人は頷いた。


***


「その家の人が狙われている可能性もあるんだね」

 声掛け声掛けと言われているから、てっきり通学の生徒を狙ったものだとばかり思っていた。だが、特定の地域に出現するなら、その地域に済んでいる人間を狙っている、と考えた方が自然かもしれない。

「でも、吠えない犬って大人しいんだね。うちのおばあちゃんちで飼ってた犬は、誰が来てもものすごく吠えてたんだけど」

 遙花は祖母の家にいた犬を思い出した。遙花たちが来ても、宅配が来ても吠えていた。番犬と言うよりも、遊んで欲しくて吠えているのだ、と祖母は言っていたが……。

「でも、通学路にある家の犬がそんなに吠えたら通る方はちょっと怖いよね」

 一時いっとき、祖母宅の犬にいつ吠えられるかとびくびくしていたことを思い出した。犬はじゃれているだけだとしても、牙ある生き物から大きな声で吠えかけられるのはとても怖い物だった。その犬も、もう大分高齢で最近は寝てばっかりいるらしい。

「そうんなんだよねー。でも私、ついわんちゃんは見に行っちゃうんだよね」

 晶もゆるゆると頭を振った。


***


 帰宅すると、まだ両親のどちらも帰ってきていなかった。遙花の両親は共働きだが、父親の方が帰りは早い。勤め先が近いのだ。最近は残業を減らして業務効率化、ということもしているらしく、夏は本当に明るい内から帰ってきていた。

 この日も、遙花が制服を脱いでスウェットを着たところで父が帰宅した。スーパーで食材を買い込んだらしく、ぱんぱんになった買い物袋をひいひい言いながら運び込む。

「遅くなってごめんね」

 息も絶え絶えに父は詫びた。遙花はきょとんとして首を傾げる。残業したにしては早い気がする。

「早い方じゃない?」

「ううん、本当はもっと早く帰れたんだけど」

 父は眉を寄せた。

「PTAの人と立ち話しちゃって」

「不審者のこと?」

「そうそう。ハルは? 遭ってない?」

「大丈夫。今日はアキちゃんと帰ってきた」

 手洗いうがいを済ませて、部屋着に着替えた父は、夕飯のために台所に立った。話を聞いて欲しい、と言われて遙花も台所へ入る。

「なんか、犬がいるお宅の前を通ると呼び止められる、らしいんだけどねー」

 父は野菜を洗いながら話を始めた。


 概ね、帰り道にPTAの人から聞いた話と同じだった。犬山家の前を通ると「おい」と声を掛けられる。振り返ってもそれらしき男性は立っていない。ただ、遙花が聞いていない情報が、父の話には含まれていた。

「犬が家に入っていくところだったんだって」

「じゃあ、犬に話しかけてたのかな?」

 外に出てしまった犬を呼び戻す人の声だったんだろうか。

「うーん、でもね、やっぱり人の姿は見えない。道路に出ちゃった犬を、道にいる人から見えないくらい遠くで呼ぶなら、もっと大きな声になると思うけど、そう言う感じでもなかったみたいで。本当に、ちょっとそこの人、くらいの『おい』だったらしいよ。上手く言えないけど……」

 父の言いたいことはなんとなくわかった。犬より遠くにいる声だとは思わなかったのだろう。

 けれど、犬の姿は見えるが男の姿はない。

「その家の息子さんとかかな」

「うーん、息子さんは遠方にいるとかで、他に男の人の出入りとかの心当たりはないらしいんだけどね」

 父は肩を竦めた。


 夕飯が出来た頃に母も帰ってきた。彼女が帰宅早々口にした話題も、やはり犬山家周辺で発生した声掛け事案のことで、この日の食卓は三人分の憶測が飛び交った。


***


 翌日も、遙花と晶は一緒に学校を出た。昨日、PTAや警察が巡回していることを知って、二人とも少し安心している。

「犬山さんちのわんちゃん気にならない?」

 晶は突然そんなことを言った。それは遙花も思っている。どんな犬なんだろう。巡回の事実が、二人の警戒心を少し和らげていた。そして、くだんの犬が吠えないと言うのも良い。吠える犬は怖いが、吠えない犬はそんなに怖くない。

「ちょっとさぁ、見て行かない? 通り掛かるだけ」

「良いよ」

 不細工だけどお利口さんだと言う。犬種はなんだろう。遙花がぱっと思いつくのは、パグとフレンチブルドッグだ。いわゆる「ブサカワ」として有名な犬種である。ちら、とでも見てみたい。

 昨日通り掛かった道ではなく、丁字の二画目から直接行くことにした。犬を見てからまっすぐ進めば、昨日PTAの人と話した分かれ道に出る。

 誰かに声を掛けられることなく、犬山家に辿り付いた。道中ではPTAの腕章を付けた大人とすれ違い、挨拶する。誰も、遙花たちが寄り道しているなんて知らないだろう。

 正面には金属の門が設えられている。その傍には「犬山」と彫られた御影石の表札が掛かっていた。あんまり近づいて覗き込んでも失礼だし、変質者から逃げ遅れても困る。ゆっくり通り過ぎる振りをして、中を覗いた。しかし、犬らしき姿は見えない。

「おうちの中かな?」

 晶は残念そうにしている。遙花も首を傾げ、

「散歩中とか。でも、道路にうっかり出ちゃうから普段はお庭じゃないのかな」

 どう言う飼い方をしているんだろう。

 見られないのは残念だが、不審者騒ぎが落ち着いた頃にまた見に来よう。この周辺を通っていれば、いつか散歩中に会えるかもしれないし。二人は足を早めた。さっさと元のルートに戻ろう。


「──おい」


 不意に、後ろから男の低い声が掛かって、遙花は背中に冷水を浴びせられたような気分になった。晶が息を呑むのも聞こえる。

 PTAも警察も巡回しているのに、犯人はまだ声かけを続けていると言うのか。何て無謀な。しかし、そうとわかっていながらここをえて通った自分たちもかなり無謀であることは間違いない。後悔した。


 叫べば、すぐに誰か来てくれるだろう。それだけが救いだった。だったら、犯人の顔を見て、似顔絵作りにでも役立ててやろう。わざと通って出くわすなんてしてしまったんだから……。晶もそう思ったかどうかは定かではないが、二人は同時に振り返った。しかし、予想していたような男の姿はない


 けれど、「それ」とは目が合った。遙花は思わず晶の手を握ってしまう。晶も強く握り返した。

 不細工だけどお利口さん? 冗談じゃない。犬山さんは何を見ているんだ。これは犬として不細工とかそう言う次元じゃなくて──。


「俺を見に来たんじゃないのかよ」


 人の顔をした犬なんだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

犬のいる家 目箒 @mebouki0907

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画