第2話 temptation in the twilight
このところ、よく眠れていない。
夕焼けに燃える、秋のプラットホーム。立っていることもできないくらい眠くなってしまったわたしは、ぼんやりとベンチに腰かけていた。眠いけど、さすがに肌寒くなりつつあるここで寝落ちるわけにはいかないし、どうせ家に帰れば眠れるから、我慢我慢……。
突然目の前に、誰かが現れた。
「あれ、お説教のお姉さん、お久しぶりですね」
「
夕陽を背負って影になった顔で微笑んでいるのは、紛れもなくあの日出会った自撮り少女。そして、わたしがこのところ眠れなくなった原因だった。
水沢さんは、わたしの隣に座ってこれ見よがしに脚を組んだ。色白の、ほどよい肉付きと若々しいハリとが共存した脚が眩しくて、思わず唾を飲み込んでしまう。
電車が行ったばかりの静けさが、憎らしい。
他のことに意識を逸らすことが許されないのが、苦しかった。
「……ん、どうかしましたか、お姉さん?」
「ど、どうもしないよ?」
「本当に?」
「あの、さ……」
沈黙と、見透かしたような視線に耐えきれなくて、わたしはビジネスバッグからあの日拾った学生証を取り出す。
「ありがと、お姉さん」
ニッコリと笑う水沢さんの無邪気な顔が夕陽と同じ眩しさで突き刺さる。だからこそ――夕陽と同じなのは、それだけではないことも、思い知らずにいられない。
夕日の影には、暗い夜が忍び寄っている。
「う、ん……」
「あれ、どうかしたんですか?」
暗い夜が、そっと手を伸ばしてくる――絡め取るように、縛り付けるように、撫で回すように。その手を掴んでいいのかわからなくて、わたしはただ戸惑うことしかできなくて。
そんなことじゃ、迫る夜には抗えないことなんてわかりきっているのに。
「もしかして、見ちゃいました?」
「…………、」
彼女が残していたのは、学生証だけではなかった。学生証と一緒に挟まれていた、SNSのユーザーID……いけないと思いながらもそこを覗いてしまったせいで、わたしは歪んだ。
彼女のSNSアカウントでは、あの日撮影していたスカートの中身の他にも似たような、ううん、もっと際どい自撮り写真がたくさん載せられていた。案の定、その投稿に寄せられたコメントはあからさまに下心剥き出しなものばかりで、それに対して水沢さん自身も、そういう人たちを煽るような返事をしていて。
「ねぇ……、ずっとあんなことしてるの?」
いつからそんなことを?
気になって遡ろうとした分のメディア投稿欄は、すべてが彼女の肌や露出の多い服を着たような自撮り写真で。
たまにある顔も載っている写真は、そのすべてが見ている人たちの心を駆り立てるような表情のカメラ目線だった。まるで同じ空間、同じ時間をふたりきりで過ごしているような錯覚を覚えてしまうほど。胸が苦しくて、身体が熱くて。
…………、そういう妄想すらしてしまいたくなるほどに、綺麗だった。
「お姉さん?」
「ひゃっ!?」
隣に座っていた彼女の柔らかな身体が、わたしにぴたっとくっ付く。ふにゅ、と当たる柔らかな弾力が、胸のなかに奇妙な熱を呼び起こす。
「どうでしたか、あたしの写真?」
「……ぇ、ちょ、やっ、」
「感想聞いてるだけなんだからそんなに嫌がらないでくださいよ? 綺麗に撮れてました? 可愛く撮れてました?」
彼女の声が、絡まってくる。
逃げられなくて、頷くしかないわたしに追い討ちをかけるように、彼女は尋ねてくる――1番訊かれたくなかったことを。
「あたしを見て、えっちな想像しちゃいました?」
「…………っ、」
言い逃れなんてできなかった――何も言えずに黙って顔を赤くすることしかできなくて。そんな反応、イエスと何が違ったんだろう?
「よかった」
ねっとりと、まとわりつくような声で。
水沢さんが心から喜んでいるのが、わかった。
「お姉さんが昔どんな目に遭ったのか、お姉さんの顔を見たらなんとなくわかります。それで、たぶんあたしも、もう……」
強く掴まれた袖に伝わる力が、震えていて。
時々SNSにも載せられていた自暴自棄っぽい投稿をも思い出して、胸が痛くなる――なのに、どうして?
いま胸に灯っているのは、彼女の写真投稿を遡っていたときと同じ熱で、それは……
「お姉さんの言ってたこと、なんとなくわかったんですよね、いろいろあったから」
「……そう、なんだ……」
「あたし、お姉さんのことちょっと気になるんですよ」
耳に絡み付いてくるような、声。
駄目だ、この子とわたしの間には、何もない。だから無闇に触れたりなんかしちゃいけない、
「ねぇ、お姉さんは……?」
宵闇が迫る空の下。
夜を詰め込んだような暗い瞳に、わたしは捕らえられた。
枕木を踏みしめて、百合は花開く 遊月奈喩多 @vAN1-SHing
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