枕木を踏みしめて、百合は花開く

遊月奈喩多

第1話 encounter in the twilight

「あぁ、死にたい」

 そう思うのにもそろそろ慣れてきて、もうただの口癖みたいになっていたのは、わたしが社会人として立派に順応できている証なのだろうか?

 同期たちのセクハラじみた『今晩1発どう?』をのらりくらりとかわすのにもまぁ疲れたし……ていうかなんだ、1発どう、って。お前のはタバコか何かなのかっつーの。鼻の下伸ばして気持ち悪いったらない。

 あとしきりに繰り出される『若いんだから』攻撃も、そろそろいい加減にしてほしい。20歳なんて遠い昔の思い出、今じゃ30に手が届きそうなわたしに、その言い方はしんどい。あぁ……帰って寝たら会社かぁ、行きたくないな。


 雲間からこちらを覗いてくる夕陽に焼かれる町並みをぼんやり眺めながら溜息をついていたとき、その姿が目に焼き付いた。

 ベンチの横で、どう見ても本物ではなさそうなフリフリの学生服に身を包んだ女の子が、自撮りをしていた――片脚をM字みたく持ち上げて、それでまくれたスカートの中にカメラを向けながら。


「えっ、ちょっ!?」

 何してんの!? 思わずさっきまで死にたかったことも忘れて声をあげてしまった。すぐに恥ずかしくなってやめたけど、もう隣の子には気付かれてしまったらしい。

 ジロリとわたしを睨みながら、アイドルみたいな声で言った。

「……見たんですか?」

「わぁ、声かわ……じゃなくて、あの、うん、」

 漏れた本音はなんとか引っ込めて頷いたけど、そりゃ見るよ。こんな公共の場で、かなり可愛い子が片脚開いてスカートの中を自撮りしてるんだよ? 見ようとしなくたって見えちゃうでしょ、そんなの!? 現に、近くで見てしまったらしい小学生くらいの男の子が何度も彼女の方をチラチラ見ている。

「わっ、こっち見てる。あんな子でも、男の人なんですよね、もう……」

 彼女はというと、そんな男の子を観ながら遠い目をしていた。まぁわからんでもないわ、ああいう年頃からでも男って変なところでそういう、、、、面持ってるっていうか、ちょっと子ども心に怖く感じたことあったっけなぁ……じゃなくて!!


「いや、それよりもさ! あの、あ、な、何してるの? そんな恰好で写真撮ったりして、っていうかそんな写真撮ったりしてさ?」

「……知りたいですか?」

「知りたいっていうか、なんかさ……」


 思い、出していた。

 そういえばいたな、って。

 この子くらいの年齢の頃、ネットで知り合った相手から可愛い可愛いって言われて気をよくし過ぎて、お互いにこの子みたいな感じの写真を送り合ったりしてた子が、いた。

 その子はそれからもどんどんエスカレートする要求を聞き続けて、ちょっと怖いなって思った頃にはもうなかったことになんてできないところまで見せてしまっていて。


 誰にも相談なんてできずに、いいように遊ばれて――そんな子が、いたんだ。


「あ、あのさ……、」

 夕暮れのプラットホームで、嗄れそうな喉をどうにか動かす。じゃないと、何かに押し潰されてしまいそうだったから。

「そういうの、やめない?」

「は?」

「誰かに見せるための、でしょ、それ? そういうのってさ、行き過ぎるともうどうしようもなくなるし、あの、…………」

「お姉さん、手震えてる」

 そっと握られた手の柔らかさに、気持ちを持っていかれそうになりながら。それでも、その手を握り返して、わたしはもう一度、伝えた。

「やめた方がいいよ、ほんとに。その相手がどんな人なのかわかんないなら、何されるかわかんないから」

「……知らない子にお説教する人も、相当ヤバいと思いますけどね」


 腕を振り払われて、向けられた眼差しは冷たくて。二の句を継げずにいるわたしの目の前で、電車が停まる。

「じゃ、あたし行きますね。乗らないんだったらそのままどうぞ」

 ベンチからサッと立ち上がって電車に乗っていく彼女の背中を追いかけることがどうしてもできなくて、電車の窓から向けられた眼差しにも、答えることができなかった。

 だって、だってあんなの、あの頃のままじゃないか……!


 風が吹き荒ぶプラットホームで、届かせられなかった声を悔やむしかなくて……。

 だから、足下に落ちていた学生証を見たとき。


 わたしの中で何かが、歪んだ。

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