証拠は飛んで行った
小石原淳
証拠は飛んで行った
見た目も性格もおとなしく、異性にがっつくこともない、いわゆる草食系男子に分類されるんだろうけど。
何故かあいつには勝てない。勉学やスポーツではよくて引き分け、俺が好きになった女はたいてい岸上になびく。
岸上には天才肌っぽいところがあるからかもしれない。本の大まかな内容なら一度読めば覚えるし、詳しい内容でも三度読めば充分。初めて来た町でも地図が頭の中にインプットされているのか、近道や抜け道を簡単に割り出す。何かの飲み会の余興で、みんなが苦戦していたマッチ棒パズルを、あとからやってきた岸上があっさりと解いちまったこともあった。
唯一、勝てそうなのは、電化製品に関して詳しいかどうかぐらいか。それとて岸上は使えないのではなく、必要性を感じないと使わないタイプというだけらしい。初めて触れる音楽プレーヤーや録画機器でも、説明書をちらと見ただけで、一通り使いこなす。変わっているのは、パソコンは小さな子供の頃から使っていたのに、携帯端末となると未だにガラケーすら持っていない。奴の中ではデメリットの方が大きいと判断されたようだ。
まあ、そんな奴だから頭がよくて、試験やレポートではだいぶ助けてもらった。俺としちゃあ、うまく利用しているつもりでいた。
ところがあるときを境に、俺の内には岸上への殺意が芽生えた。それには訳がある。所属するサークルに入ってきた一年生を、俺はいいなと感じたんだが、いつものように岸上になびくんだろうなと思っていたら、案の定だった。その一年生は積極的にアプローチし、岸上とのデートを取り付けたようだった。珍しいことなので驚いたし、岸上を冷やかしもした。手応えはなかったが。
だが、岸上の奴、デートの約束をすっぽかしやがった。何か趣味でやっている研究に没頭して、完全に忘れていたんだ。ファミレスで一人、お茶をしているときにいいアイディアが閃いたらしく、夢中になってしまったという。ファミレスにいたおかげで、一年生の方から岸上へは連絡が取れず、岸上は岸上で完全に失念していたから、一年生に連絡を取ろうなんて思いもしない。
それだけならまだましだ。問題は、すっぽかされた方の一年生が夜、帰宅する途中に暴漢に襲われて性的被害に遭った末に、亡くなったことだ。犯人逮捕が早かったことがせめてもの慰めだが、殺人での立証は難しく、傷害致死になるのではないかという噂だ。
岸上は常識を持ち合わせているから一年生の葬儀には出たし、遺族へ謝罪もした。だが、金銭的にも道義的にも責任を取ろうとまではしなかった。
自ら責任を取ろうとしない輩には、何十倍もの責任を負ってもらう。岸上の場合、それは死だ。
俺の判定は厳しすぎるという向きもあるに違いない。一方で、それくらいは当然だという考えの人も必ずいると信じている。
岸上の住居は、川がすぐそばを流れる眺望のよい六階建てマンションの五階にあった。
近くにある大学へ通う者にとって立地条件は最高によいのだが、設備が少々古く、防犯カメラは一階エントランスホールを映す一台しかないという古くささ。
だが、このおかげで、俺は非常階段を通れば防犯カメラに写ることなく、岸上の部屋に出入りできるのだ。
俺の立てた計画は、特に凝ったトリックを弄する訳ではない。いたってシンプルに、見咎められないように岸上の部屋を訪ね、奴を自殺に見せかけて殺害、その後速やかに立ち去る。決行日は、あの一年生が被害に遭った日からちょうど三ヶ月後とする。
可能であれば、遺書を用意したい。もちろん偽造だが、本人に書かせる。といっても、長い文章は無理だろう。「ごめん」とか「すまない」の一言でいい。それが書き遺してあれば、あとは一年生の月命日に死んだという事実と結び付けて、警察は勝手に、「岸上東は後悔から自殺を選んだ」と解釈してくれるだろう。
繰り返すが、遺書は絶対条件ではない。月命日に死ぬ、これこそが肝心だ。
当日は雨が降り、風もそれなりに強かった。天誅を下すのにふさわしい荒れ模様と言えなくもない。
サークルに顔を出さなくなった岸上を心配してやって来た、という体で俺は奴の部屋を訪問した。これまでに何度か訪れているので、別に不自然な行動ではない。
「よう。大丈夫か」
手土産にたこ焼きを買ってきた俺を、岸上はすんなり迎え入れてくれた。上がり込んだらこっちのもの。あとは可能な限り手早く、後ろから首にロープを回して地蔵背負いで奴の身体を担ぎ上げ、一気に絞殺。その後、部屋のドアノブにロープを結わえて自殺したように装うのが段取りだ。部屋の構造上、梁がないので、こうするしかない。
しかし。
岸上の見た目から、俺はこいつの実力をつい軽く見積もってしまっていた。首にロープを掛け、背中合わせになるまでは思惑通りだったが、次に奴を背負おうとした途端、手応えがなくなった。岸上は自ら跳ぶことで、俺の頭越しに床に着地し、しかもロープからの脱出にまで成功した。
「何のつもりだい」
どこか余裕を感じさせるその言い種に、俺はちょっとかっとなった。と同時に、すでに自殺に見せ掛けるのはあきらめるしかないなとも思った。
幸い、このマンションは防音がほぼ完璧で、ちょっとやそっとドタバタ乱闘しても、よそに聞こえる心配はない。だから俺は用意し、また練習もしておいた予備の凶器、ナイフ二本を取り出し、相手めがけて投げつけた。一本は右の肩口、もう一本は右の太ももに命中。特に太ももの方は、ナイフが深く突き刺さっている。岸上は膝をつき、動きが止まった。
「やはり、
動けない岸上は、時間稼ぎをするためか、一年生の名を口にした。
「僕には分かっていたよ。烏丸さんがサークルの部屋に入ってきた当初から、君が彼女に心を奪われたことを」
それがどうした。
「あの日――ちょうど三ヶ月前に、デートをすっぽかしたのは、君の気持ちを台無しにしてしまうことを避けたかったから。こう言ったら信じてくれるだろうか?」
……。俺は首を横に振った。信じられるかよ。
「ではどうしても僕を痛めつけ、命を奪ってあの世に送ると?」
「そうなるな」
俺は返事と同時に動き出した。ナイフを抜いたり、拾ったりして武器に使われると面倒だ。一気に片を付けるべく、距離を詰め、第三の刃物――出刃包丁で奴の腹を狙った。
手応え、あった。
岸上はどうっ、と床に倒れた。うつ伏せの姿勢で、うう、と呻き声を上げている。
俺はとどめに喉を掻き切ってやろうと、岸上の首根っこを押さえ、こちらに向かせようとした。
そのとき――目の前がまぶしくなった。
何も見えない状態になったが、直前にかしゃっという機械音を聞いた。これはまさか。
「岸上、貴様。携帯端末を買ったのか?」
俺の問い掛けに答は返って来ず、岸上のいる方向からは窓を開ける音が聞こえた。
ようやくフラッシュの光によるダメージを脱し、俺は窓の方を見た。
岸上は右足を引きずりつつ、広くはないベランダにまさに出ようというタイミングであった。
と、岸上が振り返って、苦しげな声で俺に告げる。
「これでも後悔したんだ。僕がこんな物を使い始めようと決心したのは、烏丸さんのことがあったから。もう二度とあんなことは起こさないと決めた。それがまさかこんな形で役立とうとは。ダイイングメッセージを」
まずい。電話を掛けられてもまずいし、外に向かって叫ばれるだけでも、どの程度聞こえるのかまでは調べていない。焦りを覚えた反面、雨足が強まっており、雫が地面や川面を叩く音も当然大きい。これはまだ運がある。外のこの騒がしさが、岸上の騒ぎ立てる声をかき消してくれるに違いない。電話に関しても、岸上の奴、まだ使い慣れていないせいか、掛けるのに手間取っているようだ。
俺は今度こそ終わりにしようと、ベランダに奴を追った。
「観念しろ」
低い声で言い放った。だが、岸上もあきらめない。
奴は俺の顔に、購入して間がないらしい携帯端末を向けた。
「君、まさか気付いていないのか。僕は君の姿を写真に撮ったんだぜ。殺人犯がまさに殺人をやろうという瞬間の形相をな!」
言うが早いか、岸上は携帯端末を持った腕を振りかぶった。
こいつ、外に放る気だ! ますますまずいぞ。
地面に落ちれば何とか見つけ出せるかもしれないが、川まで届いて水没したら、この水の濁り具合からして発見は無理だ。だが、警察なら見つけるだろう。どの程度水にやられたデータが壊れるのか知らないが、たとえ壊れても復元させる技術は国内最高水準のはず。
絶対に投げさせてはいけない。そう判断したときには、岸上の指先から携帯端末が離れる瞬間だった。
「させるかよっ」
俺は岸上の身体を押しのけ、携帯端末に飛びついた。
それから――落ちた。
五階のベランダから、地面へ、真っ逆さま……。
* *
岸上の携帯端末に飛びついた挙げ句、死んでしまった犯人であったが、そもそも岸上の携帯端末を手中に収めても無駄なんだと、早々に悟ってしかるべきであった。
何故なら岸上東は写真に収めた犯人の顔を、手早くメールで知り合いに送り、インターネット上にもできる限り貼り付けていたのだから。彼にとって初めての家電でも説明書を一読さえすれば、楽に使いこなせる。
そんな岸上東が、命を取り留めたかどうかは……話の本筋ではないので、別の機会がきたとき綴るとしよう。
終わり
証拠は飛んで行った 小石原淳 @koIshiara-Jun
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