終章 天条の世界(放任こそ主義)

「せ、先生を呼んでくるからちょっと待っててねっ!」


 遠ざかる看護婦さんの足音。

 宍戸ステイシアが入院している病室だった。


 約半年ぶりに目を覚ました彼女は真っ白な天井に戸惑いの表情を浮かべる。


「え……、ここ、って……」

「起こすの手伝うよ、ステイシア」


 ステイシアの首の後ろに手を差し込んで向こう側の肩を持ち、体を起こさせる。

 ステイシアは部屋を見回すよりも早く、隣にいた人物を見た。


「こなた……」


 肩まで伸ばした黒髪の女の子。

 ランドセルが脇に置いてあるため小学生だと分かるだろう。


 ステイシアにとっては、顔を見れば正体がすぐに分かる。

 良いも悪いもごちゃ混ぜにした、遠いようで近い思い出が蘇える。


「あ、の」


 先に目を逸らしたのはステイシアだった。

 体が震えているのはまだ完全には克服できていないからか。


 それを感じ取ったのか、それとも衝動的なのか、こなたがステイシアを抱きしめる。


「え――」

「ごめんね、ステイシア……」


「こなた……?」

「許してくれって言いたいわけじゃない。ただ、一言こうして謝りたかったんだ……」


 ずっと。

 ステイシアが眠った約半年間、こなたは自分を責め続けていた。


 そこから抜け出すには、直接、ステイシアに謝るしか方法がなかった。


「どんな言葉も受け入れる。わたしになにをしてもいいよ……覚悟してるから――」


 ステイシアから離れ、こなたがぎゅっと目を瞑った。

 ビンタを想定していたのかもしれない。


 しかし、こなたの覚悟とは反面、ステイシアの反応はいまいちだった。

 こなたが思ったような激昂を見せたりはせず、逆に戸惑っているようだった。


 自分の手の平を見つめ、


「……震えが止まってる」


 こなたの顔をもう一度見る。

 ……裏切られて、意識を失うほどショックだったのに。


 こうして顔を合わせれば、恐怖がなくなれば、怒りも湧いてこなかった。

 表情が緩んでしまうくらいだろうか。

 思わず笑ってしまうほどに。


 こぼれた声を聞いてこなたが目を開ける。


「……なに笑ってるの」


 反省しているとは思えない声の調子だったが、ステイシアは気にせず、


「だって、こなたが謝ることなんか絶対にないって思ってたから」


 自分が悪いと分かっていても認めず、相手にせいにして素早く論点を変える。

 そうしてのらりくらりと責任から逃れてきたのが、こなただ。


「わたしだって、悪いと思う時くらい、ある……」

「ふーん」


「こんな風に入院までしたら、いくら図太いわたしだってね……っ」

「図太いって自覚してるんだね」


 反省してもこなたはこなただった。

 ステイシアは安心したように一息吐いた。


「寂しかったの?」

「う……うるさいな」


 否定するが、意識を失っていた時のこなたの状況をステイシアは知っている。

 だから必死に否定するこなたをにやにやと見つめていた。


「いいのかなあ、そんな風にアタシを雑に扱っても」

「ぐぐ……なんか、ステイシア、この半年間で変わった……?」


 そうだろう。

 こなたが思いつかないことを散々やってきたのだから。


「ねえこなた、目を瞑ってよ」

「はっ――えっ、なんで!?」


「目を瞑るくらい、いいでしょ? さっきは目を瞑ってくれたのに」


「だってあれは……そうだけど。今なにかされるって思うとすごく怖い……さっきはわたしも勢いで突っ走った感じがあるし、ステイシアも戸惑ってたから、なにをされるか予想もついたけど……ねえ、なにをするつもりなの……?」


「それはお楽しみ」


 今度はこなたがびくびくと震えながら目を瞑る。


「開けちゃダメだよ」

「分かってる! うっ、怖っ、なになに普段は聞こえないような音が聞こえるけど!」


 耳が敏感になっているだけだ。

 早く、と急かしてくるこなたに近づくステイシア。


 唇を舌で濡らした。

 こなたもその音を聞いたはずだ。


 びくっ、と肩が跳ねたこなたが意識を唇に集中させていると、


 ぴんっ、と。


「あ痛っ!?」


 不意におでこに痛みが走った。



「あははっ、こなたってば、なにされると思ったの? デコピンしただけなのに」


 ステイシアが指でこなたの頬をつつく。


「だ、だって――」


 口に出そうとして、寸前で止まる。

 顔を真っ赤にさせて手で口を押さえた。


「だって?」

「っっ!!」


「こなたがしたいならしてもいいけどね」


 そのタイミングで看護婦さんが医者を連れ、病室に入ってくる。


「あっ」

「時間切れみたい。ごめんねこなた、続きはまた明日」


「しないよ! したいとも思ってないし!」


 勘違いしたこなたが否定する。


「違うってば。また明日会おうねって」

「あ。そ、そっか――」


「これからはずっと一緒」

「……うん」


「中学生になっても、高校生になっても、大人になっても」

「うん!」


「ずっと、アタシの親友でいてくれる?」

「そんなの――当然でしょ!」


 ステイシアが微笑む。

 でもそれは、言質を取った、という意味の不敵な笑みにも見えた。


「言ったね?」


「もう二度と、アタシを裏切らないでね?」



 こなたが病室を出ると、壁に背を預けているせいはと目が合った。


「なんで、ここに」


 こなたを迎えにきたわけではないようだ。


「ステイシアの顔を見ようと思ったけど、それどころじゃないっぽいし、おれも帰る」

「なんでステイシアと面識あるのか謎なんだけど……?」


 多分、久しぶりだろう。

 こうして兄妹二人きりで歩いて帰るのは。


 病院を出てからしばらく、二人に会話はなかった。

 元々、こなたが塞ぎ込む前から仲が良い二人ではなかった。


「せいは兄さん……今まで、迷惑かけました、ごめんなさい」

「おれは別に気にしてない。それを言うんだったら兄貴にな」

「うん……兄さんが一番、わたしのことを気にしてくれてたから」


 すると、ふと、こなたが気付いた。


「兄貴って、呼ぶことにしたの?」


「ああ。けじめというか形から入るというか。兄ちゃんのままだと、おれはいつまでもあの人の背中を追って、頼っちまうと思った。だから兄貴と呼ぶことで、あの人とは違う道を進もうとしたんだよ。……って言っても、あの人ほど薄情にはなりたくないけど」


「兄さんは、薄情じゃ……ないとは言い切れないけど」


「助ける人と見捨てる人を選んでる。それが一番、助けたい人を救える可能性が高いのは分かるけど……でも、やっぱりおれにはそんな風にはできない。全員を救うことは当然できなくても、目に見えて手が届くなら、頑張って助けたいんだ――」


 そのためにはなにが必要なのか、せいはには見えていない。

 でも、潜在的な直感が自然と答えを導き出している。


「……今はひたすら強くなるしかない。まずはボクシングで、一番を目指すよ」

「ふうん。頑張って」


「まったく興味なさそうだなあ」


「そんなことないよ。ただ、このくらいの距離感がいいでしょ。あんまりとやかく言われたくないだろうし。将来、絶対に可愛くなるわたしやステイシアのことを群がる男たちから守れるくらいには強くなってもらわないとね」


「付きっきり前提じゃねえか。

 そもそもステイシアはともかくお前が可愛くなるのか?」


「ステイシアはともかく?」


 ふうん、と目を細めてこなたが察した。


「なんだよ」

「なーんでも。ま、ステイシアならいっか」


「だから、なんだよ!」

「だから、なーんでもって言ったんだけど?」


 まるで昔に戻ったように。

 二人の言い合いは家に着くまでしばらく続いていた。



 家にはかなたとイリスがいる。

 最近はイリスがかなたに料理を習っているらしい。


「……どう?」

「切った野菜の形は微妙ですけど、味はまあ、及第点ですね」


「良かったぁ……」


 緊張の糸が切れ、その場でぺたんと腰を下ろしたイリスが手に持っていたおたまから熱湯が落ちて、かなたの足の甲に着地する。


「あつう!? っ、ふーくかーいちょーっ!? キッチン前でだらしない格好しないでくださいよ! あと、手に持ってるものは使わないなら置く!!」


「ご、ごめんなさい!?」


 イリスがおたまを置く。

 完成したのは味噌汁だった。


「いい匂いがしてきたけど、できたのか?」


 襖を開いて顔を出したのは『俺』だ。


「はいっ。自信作です! かなたさんのお墨付きももらいましたし!」

「及第点ですからね? 最低限、味噌汁と呼べるだろう料理にはなってます」


「味噌を入れたら大体味噌汁にならないかな?」

「料理を教わりたい人の言葉とは思えないですよ……?」


 細かく指導する気が起きなくなる生徒だ。


「かなたさん、料理は愛情ってよく言うじゃない。

 その点、せんぱいへの愛情はたくさん入ってるからね。きっと美味しいはず!」


「それだけで料理が美味しくなるならレシピはいらないんですよ!!」


 すると、俺がおたまで味噌汁をかき混ぜ、一口分をすくい飲んでみた。


「ど、どうですか?」


 美味しいと豪語したわりには不安そうな表情だった。


「うん、惜しい」

「美味しいのではなくて!?」


「美味しいよ。俺の好みはもうちょっと濃い目だから。そういう些細なことでの惜しい」

「味噌を足しますか? えっと、大さじ、十杯くらい?」


「アイス屋じゃないんだよ」


 舌が焼けそうだ。


「ただいまーっと。あれ? 神酒下? 今日もいるのかよ」

「いたら悪い?」


「そうは言ってないだろ。

 神酒下がいるとたくさん食えるからな、逆にどんどん作ってほしいくらいだ」


 食材はイリスが持ってきてくれている。


 失敗したらした分だけ食べられるせいはにとっては、

 味がどうこうよりも腹を満たせるだけでいいのだろう。


「せいは、邪魔」

「いっ!?」


 こなたがせいはの尻を膝で蹴る。

 バランスを崩して四つん這いになったせいはの背中を踏んで、部屋に入った。


「おかえりこなた」

「兄さん、ステイシアが目を覚ましたよ」


「そうか。じゃあ近い内にケーキでも買って会いにいくか?」

「うん! あ、でも……そんなお金……」


「わたしが買うよ。それとも材料を買って……こなたちゃんも一緒に作る?」


 イリスの提案にこなたも好感触を示した。


「作るのもいいね。あ、イリスは手を出したらダメだから」

「ええ!? なんでよー!?」


「ほとんどの料理が及第点レベルなのに、ケーキなんて作れるわけないじゃん」


 まったくその通りなので、イリスも返す言葉がなかったようだ。


「失敗したら俺が食うから、イリスも作ればいいよ」

「せんぱい……っ」

「兄ちゃん、ケーキなんてあたしも作り方が分からないんだけど……」



 イリスを加えた天条家は、前よりも賑やかになった気がする。

 彼女のおかげだけじゃない、こなたが元に戻ったのが一番大きいだろう。


 食卓に彩りが増える。

 会話が飛び交う。


 言いたいことを遠慮なく言い合うそんな毎日。

 言い合える、世界になった。


「せんぱい、ありがとうございます」


「ん? お礼を言うのはこっちだよ。毎日、食材を買ってきてくれて、惜しいけど、でも美味しいことに変わりない料理を作ってくれてさ。イリスは会ってないけど母さんも喜んでるんだ。

 こんなに彩りのある料理は滅多に食べられないって」


「それなら良かったです。でも、わたしが言ってるのは、助けてくれて、です」



「またこうしてこの世界に戻ってこれて、せんぱいに会えて……良かったです」


「そっか」


 だったら俺も、お前を助けた甲斐があったってものだ。




「一件落着、ってことでいいよな」


 


 世界の裏側まで誰がどこでなにをしているのかがまぶたの裏に映像として貼られているように、考えるだけで見ることができる。

 これがステイシアが見ていた世界――か。


 俺は神になった。


「お。……久しぶりに見た、火柱」


 どうやら、誰かが赤魔人になったようだ。

 元の世の中に戻っても赤魔人は少なからずいるみたいだな。


 まあ、ステイシアが作ったものでもないみたいだし、

 以前の神が作った裏面のルールなのだろう。


「さてと、討伐しにいくか」


 赤魔人の数は少ない。

 だから俺一人でも充分に対応できる。


 対応できなければ遠い順に見捨てていくだけだが……今日は気分が良い。

 場所も近いし、運動不足っぽいし……俺は重い腰を上げる。


 屋上の柵に足をかけたところで――、


「せんぱい?」

 

 声が届いた。

 振り向くと――イリス……?


 いや、イリスがいることはおかしいことじゃない。

 表があれば裏がある。


 ステイシアの世界から元に戻しても変わらない、世界のルールだ。


 おかしいと言うなら、そう、どうしてイリスが俺に話しかけられたのか、だ。

 基本的に表のイリスの真似をする裏のイリスは今頃、俺の家にいるはずだ。


 なんの間違いで、学校の屋上までわざわざ移動してるんだ?


「驚いてるみたいですけど、せんぱいが世界を元に戻したんじゃないですか。表も裏も関係ないって。ステイシアの世界ははっきりと表と裏が分かれていましたけど、今の世界はごちゃごちゃですから。表のわたしが裏にいることもあり得るわけです」


 表の顔と裏の顔。


 自由に使い分けているのが、人間だから。


 二つの世界を頻繁に行き来することもできるって?


「なんだそれ……」


 じゃあ、あの赤魔人も、万一にも放っておくわけにはいかないじゃないかよ。


「やっと会えました……本物のせんぱいに……っ」

「本物ってなあ。表の俺も、あれはあれで別に偽物ってわけじゃ――」


「あんなのせんぱいじゃありません。どこがどうって言うのは言葉では言えませんけど、なんだか、匂いとか雰囲気とか、そういうのがちょっと違うなって」


 イリスが近づき、俺の胸に飛び込んできた。

 すうすう、と匂いを嗅いでいる。


「うん、やっぱり、せんぱいです」

「お前も、俺が取り戻したかったイリスだ」


 表の世界を見ていれば分かったが、こうして会うと実感する。


 もう二度と会えず、見守るだけに徹するつもりだった覚悟が、簡単に乱された。


 ……脆いもんだな。

 こうして会ってしまうと、神になったことを後悔し始めているんだから。



「やっと、あの子と同じ場所に立てました」

「あの子? ……ああ、裏のイリス……じゃなくて、未来のイリスか」

「わたしは未来視でしか見れていませんでしたから」


 ……良いところとは言い難い。

 あの時は尚更、赤魔人の巣窟だったのだ。


「ここが、せんぱいたちが見ていた世界、ですか」

「ああ。そしてこれから見る、俺たちの世界だよ」


 隣で並んで景色を見るイリス。

 彼女の制服姿を見ていると懐かしく感じる。


 魔法少女の格好。

 もう見れないとなると名残惜しいな。


「……神様になったせんぱいは、いつどこで誰がなにをしているのか分かるんですよね?」

「まあな」


 映像がリアルタイムで見れるという機能がついてる。


 ただチャンネルがありすぎて検索性に乏しいのが難点だが。



「じゃあ、女の子の着替えとか覗き放題ですね」



 …………。


 ちがうよ? わざとじゃなかった。


 テレビのチャンネルを変えていたらたまたま見てしまったような感じだった。

 すぐに切り替えたから、じっくりと見たわけじゃない。



「――あっ、赤魔人のこと忘れてた! イリス、あいつの討伐にいってくるな!」


「逃がしませんよせんぱい! あとでじっくりと聞かせてもらいますからねっっ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

リバース魔法少女 渡貫とゐち @josho

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ