じまんになりたい

 らしくもない。いつぶりだろう。

 大会の胸の高鳴りも、身体中を血液が通う感覚も、勝ちたい、いちばんになりたい、って思う気持ちも。きっといつものオレを見ていた人たちは、みーんなびっくりしているだろう。

 もう一回。あと一回。勝っても負けても最終跳躍。


「いっせー、オレ、絶対勝つから。いちばんになるから。オレ以外に負けても許さないから」


「いいや、俺が利久に勝つんだよ。今日の一番は俺」


 一〇センチも下から見上げられても、ちっとも怖くない。……そんなわけあるか。おっそろしいぞ、いっせーは。背中がぞくぞくする。ぎゅっと握っていないと指先もぶるぶる震えてしまいそうだ。なんでもできる、って思ったいっせーほど怖いものなんてない。にんまり笑ったくちびるから鬼の牙でも出てくるんじゃないだろうか。


「やっと利久のこと捕まえたんだよ。あと一本、利久のこと引きずり下ろす。今までの記録も踏んで跳び越えてやる!」


 ははっ、と心の底から面白そうに笑う。あーあ、おっかないこと言うなぁ! そしてとってもわくわくするじゃんか。負けられない。勝ちたい。いっせーに勝ちたい。


「ラスト一本。跳んでくる」


「いってらっしゃい」


 いっせーは後ろ手に手を振って、ゆっくりと助走位置に着く。マーカーを半足下げた。

 ……これは、勝負に出るのか? あの一本より、スピード上げる? なぁ、今から何を見せてくれるんだよ。

 手のひらはぐっしょり。水溜まりが出来そう。水分補給をしたはずなのに、もう喉はからからだし、身体が熱い。のぼせたように、心臓がばくばく動いて、音が周りに漏れ出そう。


「やってくれるなぁ、ほんっとにおもしろい!」


 まだ見た事のない、すっごい一本があるんだろう。これから始まるすてきな、いっせーの最終跳躍。じっと見つめよう。穴が空くほど見つめてやろう。全部全部覚えておこう。


「いきます!!」


 まっすぐに右手を挙げて、勢いよく下ろす。競技開始の旗振りのように、新しい風が吹いた。

 赤いタータンの地面を踏みしめて助走が始まる。

 もっと加速しろ。誰よりも速く走れ。競技場を抜ける夏の風に背中を押してもらえよ。はしれーっ!!


 カン!!


 もっと上がれ、飛べ!! こんなもんじゃないだろ。

 紺色の背中はやっぱりずっと大きくて、遠く向こうまで行った。手を伸ばすのもイヤになる。まぶしくて、とってもまぶしくて。


「いっせーはずっとオレのあこがれなんだ」


「それ、オレに何回言えば気がすむの?」


 はるとと目を合わせてくすくす笑った。呆れられちゃった。まぁ、ぜんぜん良いんだけどさ。何回だって言いたくなるくらい


「いっせーはずっとオレの相棒なんだ。かっこいいでしょ? オレのいちばんのじまん」


 ふふん、と目を細めて口に弧を描く。

 すっかり忘れてたオレのいちばん。がんばらなきゃだよ。本気にならなきゃ、鬼ごっこに勝てない。手を叩いてちょろちょろ走ってたらすぐに捕まっちゃうんだから。


「リクもイッセーの自慢になれるように跳んでこいよ。いいや、こい。あーあ! ほんとコイツらイヤになっちゃう。なんでこうもお互いダイスキなんだろーね!!」


 プンスカしながらげらげら笑うっていう、器用な真似をしながらはるとは言った。

 できることならいっせーの、いちばんのじまんになりたい。じまんになりたいんだ。オレにとってのいっせーのように、お前がいるからもっと跳びたい、遠くに行きたいって思えるように。オレが跳んだらすごいだろ!? って言いたくなっちゃうような、そんなになりたい。


「はると、いってくるね。いっせーによぉく見てて、ってぜったい言ってよ」


 最後の跳躍の前には会わないでおくよ。結果も聞かないで、自分の一本に集中する。

 うんと伸びをして、足踏みをして、軽くジャンプして。真夏の太陽を全身に浴びて、高く遠くに飛ぶ準備をする。

 血液はどくどくと流れている。汗も首筋を流れる。大きく息を吸えば、胸いっぱいに夏の匂い。ちょっとしょっぱくて、ほこり臭くて、そして少しだけ雨上がりの匂い。砂場からの風は雨上がりの、土臭さを届けてくれた。


 晴れやかだな。今日はとってもいい天気。

 鬼ごっこで汗だくだった、夏の日とおんなじだ。


 名前を呼ばれて、助走位置に着く。


 心臓がばくはつしそう。熱くなった身体から湯気が出ているんじゃないだろうか。ぞくぞくの名前、オレは知ってる。わくわくして笑ってしまうこの気持ちを知っている!

 興奮だよ、興奮! 見つけた、オレの目指すもの。

 あの夏のオレより、今日のオレのがうまくいく。楽しくって仕方がない。ぶるぶる震えるのすら心地いい!

 待ってろ、いっせー。もう一回だ! もう、一回なんだ。手は抜かない、本気で飛ぶ。王冠は誰のものだ? オレのだろう!?


「手拍子おねがいしまぁす!」


 頭の上で三回手を叩けば、応援席も待機場所の選手もみーんなオレのことを見る。あはは! そうだよ、この身体の芯からふつふつと湧き上がる感情もバネに。


「いきまあああす!!!」


 右足のつま先で、二回トントン。歩くような速さからそう、そうそう。一歩一歩に音が合って、軽やかに、足が回転していく。会場全体の熱気と溶け合って、それでも背中に一つの刺すような視線だけは誰とも混じり合わない。

 加速スピードが最高潮。手拍子が鳴りやむ。

 カンッ!! と足の裏を電流が走って、地面から離れる。空に放り出される。……いいや、オレも生まれたんだ。


 ばっと世界がひらけた。背中に触れそうな熱を感じた。


 つかまらねーよ。まだ、まだ。


 大きく太陽に手を伸ばして、足を大きく振り上げて、走って、走って、あとちょっと。限界までもがかせろ。


 ずざぁ、っと身体中に熱を感じた。砂の中を転がった。背中に感じた砂の温度、衝撃は、バチンと思い切り叩いて「タッチ」と叫んだよく知る相棒の手のひらと同じだった。


「つかまっちゃった!」


 砂場の真ん中で、膝立ちになりながら笑う。審判に早く退きなさいと注意されて、のろのろと出ていく。


「いっせーはすげぇ。つかまった」


 記録は聞かなくてもわかっている。泥だらけの手のひらで気が付いたら出ていた涙を拭う。


「利久、今回は俺の勝ちな」


「ばぁーか! もう一回、次の大会でリベンジするから。今まで長いこと待たせやがって、ほんとに、ほんとに……!」


 あの夏の日、小学生の自分たちと同じように肩を抱き合った。

 悔しいよ。でも、イヤじゃない。これからの日々にわくわくしている。


「もう一回しよう。なんどでもしよう。……次はいつ会える?」


「来月の記録会、利久、出る?」


「出る。勝つ」


 まん丸タレ目のいっせーの瞳の中。ぐちゃぐちゃの顔のオレ。どこをどう見たら春ヶ丘の若松になるんだや。

 まっすぐいっせーがオレを見ているうちは、このちびっこいおっかねぇ鬼から逃げなきゃなんだな。


「利久、お前も俺の自慢でいてくれよ。誰にも負けんな。相棒なんだからさ!」


「あったりまえだよぉ!」

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大きく踏み切れ、いっせーのーで! 佐藤大翔 @soosoo

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