通学路の赤いシミ

無月弟(無月蒼)

通学路の赤いシミ

 太陽がかたむきかけている、秋の日の夕方。ボクは重い足取りで、小学校の校門を出て行った。


 とぼとぼと歩いていると、ついつい出てくるため息。

 だって今の今、同級生のイジワルな男の子たちに、イジメられたばかりなんだもん。

 みんなひどいよ。よってたかって悪口を言ってきて、つきとばして。転んだ時にすりむいたキズが、ジンジンいたい。


 だけど、そんなキズなんかよりも、心の中はもっといたい。だってアイツら、ボクの大切な物をとっていっちゃったんだもの。


 胸のおくが、とてもイヤな気持ちでいっぱいになって、気を抜いたらなみだがこぼれそう。

 ボクはそれをぐっとこらえながら、明日先生にそうだんしようかな、なんて考えていたら。


「ねえー、キミー!」


 不意に大きな、元気のいい女の子の声が聞こえてきた。

 けど、ボクには関係ないか。


「待って。ねぇキミってばー、待ってよー!」


 女の子の声は、だんだんと大きくなっていく。

 誰だか知らないけど、呼ばれている相手は冷たいなあ。こんなに大声で呼んでいるんだから、待ってあげてもいいのに。

 だけどそう思って周りを見たら……あれ、おかしいな。近くには誰もいないぞ。

 すると急に、誰かがボクの肩をつかんできた。


「わっ!?」


 いきなり後ろに引っぱられて、転びそうになる。

 だけどそんなよろけるボクを、引っぱってきた誰かが支えてくれた。


「あ、ごめん。ビックリさせちゃった?」

「だ、だいじょうぶ……って、山本さん?」


 ふりかえるとそこにいたのは、最近ボクのクラスに転校してきた女の子、山本さんだった。

 ポニーテールを風になびかせながら、ボクが転ばなかったことにホッとしているけど、すぐに不機嫌そうにほほをふくらませてくる。


「もう、ひどいよ。さっきから呼んでるのに、ムシするんだもの」

「え、ひょっとしてさけんでたのって、山本さんだったの? ごめん、ボクが呼ばれてるなんて思わなくて」

「そうだったの? しまったー、名前を呼んどけばよかったー。ええと、名前名前……」

「宗太だよ。木原宗太」


 困ったように考えこむ山本さんに、助け船を出してあげる。

 同じクラスっていっても、話したのはこれが初めてだし。転校生なんだから、ボクの名前を知らなくても仕方がないよね。

 けど不思議。今まで話したことがなかったのに、どうして声をかけてきたの?


 すると山本さんは、ズボンのポケットから何かを取り出してくる……ああーっ!


「はいこれ、宗太くんのだよね」


 差し出してきたのは、さっきイジメっ子達にとられた、ボクの大切な物。肌身はなさず持っていた、長いヒモのついた御守り袋だった。


「ボクの御守り。けど、どうして山本さんが?」

「さっき学校の中庭で、男子たちに取られてたでしょ。たまたま校舎の中から様子を見てたから、取り返してきたの」

「そうだったんだ。けど、よく返してもらえたね。イジワルされなかった?」

「だいじょうぶ、全部やっつけてきたから」


 得意気に力こぶを作ってくる。けどやっつけたって、イジメっ子は5人くらいいたんだけど。山本さんって強いんだなあ。


「ありがとう。でも、どうしてわざわざ取り返してくれたの?」


 今まで、話したこともなかったのに。すると山本さんは、不思議そうに目をパチクリ。


「なんで? 困ってるのを助けるのに、理由なんているの?」

「それは……いらないかも。ありがとう、これ、おばあちゃんの形見なんだ」


 今年の春に病気で亡くなった、大好きだったおばあちゃん。この御守りはそんなおばあちゃんが、いつも大事に持っていたもの。

 たしか昔旅行で、どこかの有名なお寺だか神社に行った時に、買ったものだって言ってたかな。

 おばあちゃんが亡くなった後、ボクがもらったんだけど、イジメっ子にとられた時は本当に悲しかった。けど、取り返してくれてありがとう。


 ボクはもう一度お礼を言って、御守りを受け取ると、首にかける。


「ねえ、宗太くんは家こっちなの? だったら、とちゅうまでいっしょに帰ろう」

「うん!」


 さっきとは一転。ボクはホカホカした気持ちで、山本さんといっしょに帰っていくのだった。



◇◆◇◆



 ボクの家は、この道をずーっと行った先にある。

 だけどボクは自分でルールを作っていて、登下校時にはまっすぐに進まずに、いつも決まって回り道をすることにしていた。

 だってまっすぐ行った先には、アレがあるから……。


「あれ、宗太くんの家ってそっちなの? じゃあ、ここでお別れだね」


 いっしょに帰っていたボクたちだったけど、回り道をする四つ角の所で、山本さんがそう言ってくる。

 だけど、ちょっと待って。


「もしかして山本さん、その道を通って帰るの?」

「うん、アタシの家こっちだもん」

「止めといた方がいいよ。ボクの家も、本当はそっちなんだけど。その道には、オバケが出るってウワサがあるんだ」

「オバケー?」


 ビックリして、あんぐりと大きく口を開いてる。

 山本さんは転校してきたばかりだから知らないだろうけど、ボクたちの学校では有名な怪談話があるんだ。


 この道を進んだ先には、ボロボロになった空家があって、その家の塀には、赤茶色の大きなシミがある。人の形をした、大人くらいの大きさのシミが。


 ウワサではそのシミの前を通ると、シミが塀から抜け出して、通行人を食べてしまうとか。

 本当かどうかは分からないけど、この話はみんな知っていて、気味悪がって誰も近くを通ろうとはしない。ボクが毎日わざわざ遠回りをしているのだって、これが理由だ。

 さすがにこの道を通ったことが無いわけじゃ無いけど、その時見たウワサのシミはとても不気味で、さけて通るには十分な怖さがあった。


 だけど話を聞いた山本さんは、おかしそうに笑いだす。


「あはは、オバケなんて、そんなのいるわけないじゃない。宗太くんって怖がりだねえ」

「こ、怖がりなんかじゃないよ。けど昔から言うじゃない、『君子危うきに近寄らず』って。本当かどうかは分からないけど、用心はしておいた方がいいよ」


 怖がりなんて言われてちょっとムッとしたけど、山本さんは相変わらずケラケラ笑っている。


「『くんし』ってなに? まあいいや、帰ろう。アタシはそのウワサのシミを見たいから、こっちを通って帰るけど、宗太くんはどうする?」 

「わざわざシミを見に行くの? だったら、ボクも行くよ」


 山本さんはまるで信じてないけど、もしも本当に何かあったら大変だ。

 怖いけど、一人で帰すなんてできないよ。


「宗太くん、ふるえてるけど平気? でもだいじょうぶ、本当にオバケが出てきても、アタシがやっつけてあげるから。行こう行こうー」

「あ、待ってよー」


 ポニーテールをゆらしながらかけて行く山本さんを、ボクはあわてて追いかける。


 はあ、どうしてこんな事になっちゃったんだろう。オバケが出るかもしれないって言ってるのにわざわざ見に行くなんて、山本さんって変わってるなあ。


 そんな事を考えているうちに、空家の前にたどり着く。

 ここに来るのは久しぶりだけど、塀には昔見たのと同じ、人の形をした不気味なシミが、今もくっきりと残っていた。


 やっぱり気味が悪いや。早くここから立ち去ろう。

 だけど山本さんはボクとはちがって興味深そうに、まじまじとシミをながめている。


「これがウワサのシミかあ。毎日ここ通ってるのに、今まで気づかなかったよ。ねえ、これってなんのシミなの?」

「知らないよ。ウワサでは、ここで交通事故にあったひとの血だとか、家にすんでいた人が死んでシミになったとか言われてるけど、本当のことは分からない。さあ、もう行こう」

「待って。少し調べてみるから」

「ええっ、ちょっ、ちょっと!?」


 ボクが止めるのも聞かずに、山本さんはベタベタとシミをさわりだす。そんなことして、呪われたらどうするの!?


「平気平気。やっぱりこれ、ただのシミだよ。それにアタシ、毎日ここ通っているけど、オバケに会ったことなんてないもん。ねえ、宗太くんもさわってみる?」

「ボクはいいってば。わかったからもう帰ろう」


 シミをさわり続ける山本さんを必死に説得して、なんとか離れさせる。


「そんなに怖がることないのに。何にもなかったんだから、宗太くんも明日から、この道を通るといいよ」


 人の気もしらないで、のんきに笑う山本さん。オバケじゃなくても、不気味なことにかわりはないから、やっぱり通りたくないんだけどなあ。

 そんな事を考えながら、二人して歩き出したその時。


「きゃっ!?」


 不意に驚いたような声がしたかと思うと、となりにいた山本さんが後ろに引っぱられるように、視界から消えた。

 え、いったいどうしたの?


 あわててふりかえって、息をのんだ。何……何あれ?

 目に飛び込んできたのは、あせった様子の山本さん。そしてあの塀のシミから、まるで飛び出す絵本のように血に染まったような真っ赤な手がのびていて。山本さんの両肩をがっしりとつかんでいたんだ。


 何? 何々? いったい何がどうなってるの?

 目の前で起きている事が分からなくて、頭の中が真っ白になっていく。


 だけどそんなボクを、山本さんの悲鳴が現実へと引き戻した。


「助けてぇっ!」


 ハッと山本さんを見ると、その顔は恐怖でこおりついていた。

 そしてそんな山本さんの体は、引っぱられるようにずるずると後退していく。肩をつかんでいる赤い手が、山本さんをシミへと引きずり込んでいるんだ。


「や、山本さん、早く逃げて!」

「む、ムリ! 手が放してくれない!」


 弱々しい声をあげながら、泣きそうな顔で首を横にふって。そうしている間にも、山本さんはシミへと引きよせられていく。


 た、助けなきゃ。でも怖い。

 情けない話だけど、ボクは足がガクガクふるえていて、腰をぬかしていないのが不思議なくらい。

 助けたいけど、あんなのに近づきたくない。今すぐ背をむけてにげ出して、早く家に帰りたい。

 そんな気持ちがわきあがってくる。だけど……。


 ボクは首から下げていた御守り袋を、ぎゅっとにぎりしめた。

 山本さんは、この御守りを取り返してくれた。話したこともなかった、ボクのために。だから今度は、ボクが山本さんを助ける番だ!


「うあぁぁぁぁーーっ!」


 怖くないわけじゃなかったけど、山本さんを見捨てて逃げるのはもっとイヤだ。

 ボクは無我夢中で、山本さんの肩をつかんでいた手を引きはがしにかかる。


「この、この! 山本さんを放せ!」


 手を強く引っぱったり、なぐったりもした。だけどつかむ力はいっこうに弱まらなくて、山本さんはどんどんシミに引きずり込まれていく。そしてついに。


「ああっ!?」


 塀のすぐ前まで引っぱられてきた山本さんの右肩が、シミの中に吸い込まれた!

 まるで底無し沼かブラックホールみたいに、シミは山本さんの体をのみ込んでいく。


「ヤダ! イヤだイヤだイヤだー!」


 さけびもむなしく、シミは山本さんを容赦なくのみ込んでいって、もう体の半分近くが塀の中に消えている。

 どうすればいい。どうすれば……熱っ!?


 あせる中、ふと胸に熱を感じて。見るとそこには、さっき山本さんが取り返してくれた御守りがぶら下がっていた。

 おばあちゃんが生前、どこかの有名なお寺だか神社だかで買ってきた、厄よけの御守り。今までこんな風に、熱くなったことなんてなかったのに……まてよ!



 シミからのびている手を、山本さんから引きはがすのをやめて、御守りをぎゅっとにぎりしめる。

 この御守りに、本当に厄よけの効果があるなら……。お願いおばあちゃん、力を貸して!


「ええーいっ!」


 急いで御守りを首から外すと、シミに向かって投げつけた。すると――


 ギイイイイィィィィィィィィッ!


 まるでガラスを引っかいたような鋭い音が、辺りにひびいた。

 なんだこれ、頭が割れそう。だけどその瞬間、シミの中から出ていた手が、山本さんの肩からはなれたのを、ボクは見のがさなかった。

 今だ、今しかない!


「山本さん!」

「宗太くん!」


 伸ばしてきた山本さんの手を取って、後は力いっぱい引っぱった。

 ボクは背中から地面にひっくり返って、山本さんはそんなボクにおおいかぶさるように倒れてくる。


「いたたた。宗太くん、だいじょうぶ?」

「平気。それよりシミは? あの手はどうなったの?」


 二人してあわてて塀を見たけど、赤い手は影も形もなくなっていて。何事もなかったみたいに、赤いシミがあるだけだった。


 山本さんがさわっていた時と何も変わらなくて、さっきまでの事が夢みたい。だけどキツネにつままれたような気分でいると、塀のそばに落ちている、御守り袋に気がついた。


 ボクも山本さんも立ち上がって、御守りを手に取ってみたけど。それはまるで火をつけたみたいに、ボロボロに焼けただれていた。

 ボクはその御守りを手に取って、山本さんと顔を見合わせる。


「どうしてこんな事に? やっぱり、さっきのあれは夢じゃなかったってことかなあ」


 ボクが不思議に思っていると、山本さんはさっき肩をつかまれていた時よりもさらに青い顔をして、目に涙をためながら、勢いよく頭を下げてきた。


「ゴメン! アタシがオバケなんていないって言って、言うことを聞かなかったから。宗太くんの大事な御守りを、ダメにしちゃって」


 やっぱり、山本さんを助けたから、御守りはこわれちゃったのかな。理屈なんて分からないし、そもそもさっきボクは、どうして咄嗟に御守りを投げつけようなんて考えられたのか。無我夢中過ぎて、その理由も今となってはよく分からない。

 ただひとつ言えるのは。


「顔を上げて。山本さんが助かったんだから、もういいんだ」


 そうでしょ、おばあちゃん。きっとよくやったって、ほめてくれるよね。

 ボクはニッコリと笑いながら。山本さんの頭を、そっとなでた。


◇◆◇◆


 あのそうどうから一日がたって。結局、あのシミが何だったのかは分からないまま。

 山本さんは何とか助かることができたけど、シミ自体はまだあの壁に残っているんだ。もしかしたらまた、近くを通るだれかを引きずり込もうと、チャンスをうかがっているかもしれない。

 やっぱり今後も、あの道を通るのは止めよう。そう決心しながら、ボクはひとり、学校から家へと帰って行く。すると……。


「宗太くーん!」


 この声は。

 ふりかえるとポニーテールをゆらして、手をふりながらこっちにかけてくる、山本さんの姿があった。


「宗太くん、今日もいっしょに帰ろう!」

「うん!」


 今まで生きてきた中で、一番恐い体験をしたその日から。ボクには素敵な友達ができました。




 おしまい



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通学路の赤いシミ 無月弟(無月蒼) @mutukitukuyomi

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