放課後の花壇で魔法を

沖世みのり

放課後の花壇で魔法を


 会社敷地の花壇に新しい花が咲いている。

 昨日の昼間、業者が植え替えたのだろう。

 普段から花壇に目を向けているが、昨日は残業で帰りは日もとっくに暮れた夜になったので気づかなかった。


 ——バーベナか。


 梅雨の合間の初夏の朝日に、桜にも似た小さな花弁が揺れる。

 普段なら五月頃に植えられるが、今年は作業が遅れてしまったのだろう。

 けれどもせいは、その色とりどりの花を目にして少し楽しい気分になった。


 ——タイミングええな。


 そんなことを思いつつ、社員証をかざして事務所に入る。



     ※



 その花の名前を知ったのは高校生の頃だった。

 母親がガーデニングを趣味にしていたので、実家の庭にも咲いていたとは思うが、そちらにはとんと興味がなかった。

 初めて関心を持って見てみたのは、高校の校舎の傍の花壇でだ。



 高校二年生の五月。あの頃は四月に自転車で通学途中に不注意な車にぶつかられ足を骨折する大けがをしていた。一週間ほどで入院生活からは解放されたものの、せっかくレギュラー入りしていた部活のバスケットボールをしばらく休まざるを得ず、ちょっとふて腐れた気分だった。


「おまえ脳筋やから、この機会に勉強に励んだらええねん」

「はぁ? 俺より成績悪いやつらに言われたないわ!」


 と、悪友たちとは言い合ったが、誠司の全般的な成績もぎりぎり平均点を超えられる程度で特に良いわけではない。

 担任からも苦手教科に力をいれたほうがいいと言われていたこともあって、怪我が治るまでの間は放課後真面目に図書室で自習することにした。


 ふて腐れと勉強疲れと。

 そんなものを抱えながら、事故の時の車の運転手が手配している、通学のためのタクシーが待つ校門へ、松葉杖を突きながらひょこひょこと向かっていたある日のことだ。

 花壇の横にしゃがんで誰かが作業をしていた。

 相手が制服だったことでなんとなく気になった。通りがかりに顔を窺ってみる。


「あれ?」


 顔を確認して誠司の口から間抜けた声が出た。

 誠司の声に気づいて向こうも顔を上げる。そして誠司の顔を見ると笑いかけてきた。


「なんや、多田やん。今帰り?」


 それは同じクラスのささひろだった。


 普段特に会話をしたことはない。

 けれど入院中の誠司に、担任の発案だというクラス全員からの色紙を渡されたとき、そこに書いていた彼の文字に少し心惹かれた。自他共に認める悪筆で、まるでみみずが這ったような字の自分と違い、とても端正な文字だったのだ。書かれていた内容はよくあるような文面だったけれど、その文字は心に残った。

 顔立ちも、両親譲りの平々凡々な誠司とは異なり、彼の書く文字に似合った整ったものだ。確か成績も良かったような気がする。

 別に誠司が特段それを知ろうとした訳ではなく、笹部に気のある女子がきゃいきゃいと話すのが耳に入ってきただけだ。


 それにしても。


「笹部、こんなとこで何やってんの?」


 うちの高校には園芸部はなかったはずだ。それに彼は剣道部だったはずだ。

 誠司の問いかけに、笹部は土の付いた軍手の手で頭を掻いた。見た目に依らずけっこう雑な人間らしい。


「剣道部の指導してくれてはる用務員の山下さんいてはるやん。山下さんとこで不幸がありはったそうで、しばらく休みはんねん」

「へえ、それは大変やん」

「せやろ? でな、花壇に植えはる予定で買うてはった花の苗が悪うなるの気にしてはってな。そんなら剣道部のみんなで植えようかって先生に相談してな、オーケーしてもろたから今日は苗植えることにしたんや。山下さんには俺らいつも世話になってるんやもん、たまにはお返ししたいやん」

「なんや、すごいな」


 自分だったらそんなこと思いつくだろうか。そう思って素直に関心してしまう。

 そんな誠司の感慨に、笹部ははにかむように笑った。


「いや、俺も土いじり嫌いやないから」

「え、家でも庭いじるん? 俺んちもおかんが好きやけど、俺は触らへんで」

「俺んでは両親が庭仕事が好きやから、それ手伝ってるうちになんとなくって感じやな」

「そうかー? うちやったら真夏に草引きさせられるイメージしかないで。暑いし蚊ぁには刺されるし、そんなん逃げたいやん。夏休みもうかうかごろごろしてられへん」


 あははは、と笹部が快活に笑う。

 そんな反応が、もしかして見た目よりも話しやすい人間なのかなと思わせる。

 誠司は松葉杖の先で、今日笹部が植えたばかりらしい苗を指した。

 小さな花がたくさん固まって鞠のようになった塊がいくつもある花だ。


「なあ、これなんちゅう花なん?」


 笹部は笑いをおさめると面白そうに誠司を見てきた。


「君も園芸に興味出たん?」

「そんなんやないって。笹部が植えた花やったら、名前くらい知りたいかなーって」

「嬉しいなあ。この花はバーベナいうねん。ちゃんと管理したら長う楽しめるし、ええ花やで」

「いやだから、俺は手伝わへんし」


「そりゃ残念」と、特に残念そうでもなく肩をすくめると、笹部はバーベナを指さした。


「なあ、バーベナの花言葉って知っとう?」

「いやいやいやいや、待て待て待て。俺は今この花の名前知ったとこや」

「そういやそうやなー」


 思った以上に緩い反応に調子が狂う。むう、と口をへの字にした誠司に気を止めることなく笹部は話を続けた。


「『魔力』とか『魅力』っちゅーのがあんねん」

「へー、そうなんやー」


 調子は狂うけれど、嫌な気分にはならない。

 とりあえず話を合わせることにする。

 適当に相づちを打った誠司の顔を、笹部は下から覗き込んできた。バスケをしている誠司はクラスでも背の順では後ろのほうだ。笹部とは十センチほどの差がある。


「なあ、多田。もしほんまに魔力があるんやったら、君は何をしたい?」

「え? 魔力いうたらゲームで魔法使えるみたいなん? そんならもちろん、回復魔法使うてこの足をさっさと治したいわ!」

「せやなー」


 そう笑うと笹部は植えたばかりの苗から白い花の塊を一つ摘み取った。それを誠司によこしてくる。


「おいおい。ええん?」

「大丈夫やで。丈夫な花やし。ほら多田、これ持って」


 押し切られて渋々その花を受け取る。

 花を眺めて眉根を寄せる誠司に笹部はにっこりと笑った。


「白のバーベナの花言葉は『私のために祈ってください』なんやねん」

「はぁ……」

「せやから、今それを持っとう君のために祈らせてや。君の足が早うようなって、またボール追いかけられますようにってさ」

「……なんで笹部が?」


 同じクラスといっても、今までろくに話したこともない。

 誠司の疑問に、笹部はまた声を出して笑った。


「多田、自覚ないんやな! 身長高うてバスケ部で活躍してる君、むちゃくちゃ目立ってるで! コートにいる君のことは俺でも恰好ええなあって思うもん! それに……」


 今度は悪戯っぽく片目をつむってみせてくる。


「怪我が長引いて、夏休みも部活でけへんのは困るやろ? そうなったら毎日草引きやで」

「あー、それあかんわ! 祈って祈って! 盛大に!」



     ※



 そんな出来事から笹部とは親しく話をするようになった。

 なにかの拍子に一緒に勉強もするようになって、それからは誠司の成績も上がった。

 気づいたら学科は異なれど同じ大学に行って、同じ就職先で。


 ——腐れ縁ってあるもんやな。


 しみじみとそう思う。

 同期入社した会社は全国規模の大企業だ。新入社員で配属された先は異なったが、今年度笹部は誠司のいる場所に異動してきた。

 社内で挨拶はしたけれど、今年は世界的規模の感染症のために飲み会など一切出来なかった。

 ウェブを使ってのやりとりは別場所だった時から頻繁にしている。せっかく近くに来たのに直接会って、二人で話をできないのはつまらなく感じていた。


 大学院を卒業後、入社して五年。


 同期は結婚した奴らも多い。

 誠司も大希も付き合ってきた彼女はいる。けれどお互い長続きせず、いまだ気楽な独身だ。

 今日はやっと飲み会も解禁になる日だった。

 感染症予防のための会社の規則を守るなんて馬鹿正直だな、と思う。でも相手を思うことをないがしろにしたくなかったのだ。


 ——ま、俺達、こういうとこは団結するよな。


 さて、午後五時の定時を迎える。

 今日定時で帰ることができるよう、昨日は残業をしたのだ。さっさとパソコンをログオフし、行き先の札を返す。

 早足で階段を下り、たての入口を目指す。


「誠司、遅いぞ!」


 そこにはもう大希が待っていた。


「おまえが早すぎるんやって!」


 花壇には赤いバーベナが夕刻の風に揺れていた。


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