作風がとても私の好みです。淡々と進む物語は読み手の介在を許さない雰囲気すらあるのですが、主人公である女性はずっと喋り続けます。この語りかける相手が集落の信仰対象である巨像で、賛否ありそうというか、たとえばエンタメ小説方向に振るのであれば違う方向性にすべきだったとは思うのですが、この話の私が一番高評価したい部分は「巨像だけは最初から最後まで不変である」という部分です。
女性は巨像とコミュニケーションをとっている、一方的に話し掛けるという行為を常日頃行っており、幕切れでも巨像とともにいます。逃げも隠れもせずに信仰対象である巨像の前に居続ける、殉教のひとつととりました。しかしこの従順な態度は一切実らないわけです。
それが非常に良かった……。何故かと言えば、何もなくなるからです。ちょっとおかしな言い方ですが、この作品を読み終わって抱くものって多分大多数が虚無だと思うんですよ。でも無味無臭ではなく、巨像に対する聖職者の一方的な会話があり、人々の生活があり、攻め入ってくる敵国がいる。でも何も残らない。だからこそ、読み手の胸には空しさが去来する。
応えないものをそれでも信じた上での殉教、幕切れのあとに訪れる虚無、いいですね本当に好みの雰囲気でした。他の作品も読みたいのでたくさん書いて欲しいです!!
全然関係ないんですがお名前がマイルドな味わいでいらっしゃるのに読み味が全然マイルドじゃないことはちょっと笑ってしまいました、いいお名前です。
すみません。いきなり厳しい言い方になりますが先ず世界観の設定がとにかく甘い。巨象や神官、または魔法といったワードに対する説明がボヤッとしていて、逆に暈すにしては元々これらの言葉が独自に持っている意味が効き過ぎる。巨象は登場時「神にも似た」と形容されながら、(これは後々の流れから読めますが)その間に何も説明ないまま次の場面で「友人」と表現されている。かと思えば「大地の神」と明確に神そのものとして断言される。呼び方自体が変化することは悪いことではないです。読んでいけばそう呼ばれるための理由もある程度書かれています。しかしここは雑にならず理由を先に置いた方がよかったと思います。でないと作者は全体像を掴んでいますが読者(特に僕のような目敏い厄介者)は超然的視点からくる先走りだと感じブレと見えてしまう。せっかくモチーフがいいのに少しもったいないなと感じてしまいました。
ここからは良いところを。「言葉を持たない者への一方的なコミュニケーション」ここの着目は素晴らしいと思う。理解といったあやふやなものを越えて自己の中で作り上げた意味をどんどん相手に付与していく。これはディスコミュニケーションでありながら否定が入らないので交流にもなり得てしまう。そんな関係性を深く切り込んでいけばそれだけで物語を成立できるくらい素晴らしい着眼点だと思います。おこがましいことを言えば、もっと相関をコンパクトにして巨象とエイラの関係を中心に描くとより面白くなるのではないかと思いました。ついついウエメセな言い方になってしまいましたがいち書き手として応援したくなる一作なのは間違いないです。マイルドな味わいさんにはどんどん書いてほしいと思います。