第15話後編五
部屋にいる全員、大家さん、民生委員さん、おまわりさん、本埜さんとその御家族と、おかしな女さんとその親代わりの仮名ABCDさんの目が俺に集中している。それこそガマの油状態であり、正座したお尻がむずむずとする。いたたまれなった俺の足の痺れは最早限界まで達し、メルトダウン寸前である。俺は、藁をもすかがる心持で横に座っている、あのおかしな女に否定するようにと目で訴えた。が、もちろん女はいつもの、よくわからん小首を傾げた微笑を俺に返すだけであった。いやまぁ、この女にまともな対応を期待する俺が悪いには違いないのだが……。その場に居る全員の目が、それ見たことか、このドスケベェが、という
こうして、小心者なれど、小心者なりに正直に生きてきた俺の二十五年あまりの人生において、心の中心で頑張ってきてくれた、俺の唯一の心の
そんな俺の絶望した顔を目ざとく見つけて、本埜さんの赤ちゃんは俺に向けキャッキャ、キャッキャとはしゃいだ。これで俺は、総勢二十四の瞳に見詰められることとあいなったのであったった。
「それみたことかい、あんたがうちに越してきて以来、あたしゃ親代わりみたいなもんなんだからね。何でもお見通しなんだよ!」
溺れた犬は棒でたたけ、
俺は反論の一つも出来ない自分が、悔しくて情けなくて喉が詰まり呼吸もできない状況にまで追い詰められている。
大家さんは言う。
「こんな小心者の、健康だけが取り得で、何を考えているのかもわかんない頼りない若者だけどさ、正直者であることだけは、大家のあたしが保障するよ。お嬢さんも見る目があるねぇ。この男はひろいもんだよ!」
俺は大家さんの、壮絶なる包囲殲滅戦からの一転突破を誘う完璧な作戦にまんまとのった。のってしまうしかなかった。張り詰めた緊張が一気にほぐれ、大家さんの作った逃げ道に殺到し、俺は不覚にも二十四の衆目全員の面前で号泣していた。こうなったら
こうして
――しかし、これは全て夢なのである。現実には、俺はしがないアルバイターであり、大家さんのご好意にすがって雨露を凌ぎ、コンビニの棚ずれした賞味期限切れの食品で食いつないでいる、健康だけが取り得のモテない男なのである。こんな、人様を恨みもしなければ努力もしない駄目人間の俺に、もしこの世に神様などと言う存在が居たとしても、救いの手など差し伸べる筈などないのである。第一、俺はたぶん仏教徒だった筈だし。洗礼だって受けていないのだ。
しかし、いいじゃないか。俺の夢の中の話なんだし。全てが丸く収まるならば。
喉の渇きを感じ目を覚ます。窓の外はまだ薄暗闇で、朝日が街を照らすまでには少し時間があるようだ。時計を確認する。今は五時すぎ。窓から見える電柱の外灯はまだ煌々と光を放っている。光に眩んだ目で部屋を見渡す。相変わらず俺の部屋は散らかっている。たしか冷蔵庫に〇ル〇ックが一本あったはず。
起き上がり、足元に気を付けながらキッチンに向かうと、ふとトイレの照明が点いているのに気が付いた。小心者で真面目だけが取り得の俺はトイレの照明を消そうと蓄光スイッチ(大家さんは、ああ見えて細かいところに気が付く親切な人なのだ)に手を伸ばしたその時、開いたトイレのドアが、俺のあまり丹精とは言えない顔面をしこたま叩いた。
「ごめん。大丈夫?」
痛みで五感がぶっ飛んで、脳が機能停止している俺は、怒りのあまり声の主を睨む。
そこにはダブダブな、俺のお古のティーシャツをまだ着ている、あの頭がおかしくて何考えているのかもよくわからん、可哀想だけれど逞しく生きている、千鳥杏という名の、あの女が立っていた。
俺は湧きあがる感情を堪えきれず、怒りに震えている両腕で、いつもとかわらぬ微笑を浮かべる女のからだを強く抱きしめた。
〈ひろいもの 後編 了〉
ひろいもの 宮埼 亀雄 @miyazaki3
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