3時間目:これが起きるとは思いませんけども
「バイクの取り回しについてですが、何しろ重たいので、腰に添わせて動かします」
「分かりました《出来るとは言ってない》」
必死に言われたことを覚えようとする早見の前で、教官はおもむろにバイクを横倒しに静置する。そして一言。
「それじゃ、これを起こしてみて」
「はい《出来るとは言ってない》」
《ああー、来たわ。キタコレ。どうしよう》
目の前に、おニューの教習車が横たわっている。排気量745cc、表示ランプがゴテゴテについた軽く200kgオーバーの巨体ですよ、お嬢さん。その贅肉しかついてない四肢ではあまりに頼りない。
……と思ったが、意外や意外、早見にも起こせた。
《確かに、苦労しましたのよ、ええ。でも、火事場の馬鹿力って言うんですの?淑女と言えども、必要に迫られればそのくらいは、ねぇ?
ああ、一点申し上げておきますわね。自分では起こせないかも……と思って起こすより、向こう側に倒すつもりで起こしたほうが良いですのよ。先人からのアドバイスですわ。ただし、本当に向こう側へ倒さないで頂戴ね?》
おっと失礼、別人格の早見が出たようである。お嬢様早見の言ったことは冗談。そんな意気込みだけでは流石にバイクは起き上がらない。コツは、正しい場所を持って、適度に屈みこんで踏ん張ること。誤解無きよう、念の為。
とはいえ《こんなの起きるわけない……(絶望)》と思うよりも《見とけ、絶対起こす!(憤怒)》と思って踏ん張る方が動く可能性が高い。彼女の教習車は真新しいHonda CN750なので、勢い余って向こう側に倒すのは褒められたものではないが。
バイクが起き上がった時の達成感ときたら、素晴らしいものである。そこの早見をみてごらん、バイクを起こすと同時に顔がパアッと明るくなり、目を輝かせている。
踏ん張る時には腹の底から唸り声が漏れそうになっているし、バイクが僅かでも垂直を通り越してよろめいた時には冷や汗が滲んでいるようだが。しかも息が上がっている。100m走でもしてきたのか。
無様な起こし方はさておき、なんとか起こして見せた。まずはそれを褒めよう。教官も、想定外に早見が力強くバイクを起こしたのを見て、驚きを隠さなかったようであるし。
この日、家に帰った早見は右腕にそこそこ大きな
何処にぶつけた記憶もないのに、などと本気で思っていたようだが、少し考えれば分かることである。バイクのせいだ。右腕の肘から先の内側、滅多なことではぶつけたりしない場所に浮かんだ大きな青あざ。
昼間にバイクを起こした時、ここに車体が押し付けられていたぞ。覚えてないのか、早見。あの鉄の馬を、骨と脂肪と皮膚の三層で支えたんだ。
《マジなの……?》
原因を突き止めた彼女は、痣ができたことに対する驚きと共にバイクの重量とその威力を改めて痛感する。別にぶつけた訳ではない。なんなら自ら車体に押し付けただけなのに、こんな痕が残るとは。早見が体力も筋肉もろくに持ち合わせないせいで生じた現象かもしれない。しかしどれだけ望んでいなくても、バイクで事故に巻き込まれれば生身のライダーなんて瞬殺である。それを実感してしまった。ちょっと怖くなってきた。
先が思いやられる。早見は大きなため息をついた。
大型新人日記 南野サイカ @SaikaMinamino
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