真夜中のコサックダンスと、銃
もと はじめ
真夜中のコサックダンスと、銃
その理由についてはあまり口に出したくはない。
それについて、ありのまま起こったことを、つらつらと話すことができたのなら何と気楽なものだろう。しかしそれを話そうとすると、僕の個人的な感情や、独善的に選ばれた言葉によって、それはきっといびつに歪められてしまう。それは正確ではないし、何より不本意だ。
今までもそういった誤解は沢山あった。それは極々たまに、僕に幸運をもたらしたが、九割九分が僕を精神的に、肉体的に傷つけた。今回の件も、そういった僕の傾向が招いたことであり、当然として受け入れるべきことだと思う。
僕が与える誤解。それを解決する術をいつも僕は探していた。誤解を与え続けても、それは川の下流に転がる小石のように角が取れ、いずれ誰にでもありのままを伝えられるようになるのではないかと思っていた。しかし時が経つとともに僕の言葉はますますその乱雑さが際立つばかりで、反感を強めるばかりだった。より角は尖って、石は暴力性を増したのだ。だから、今回はその誤解の最たるものが、こういった状況を作り出したのだ。
正確さを損なわないようにするは僕にとってとても難しいことだ。しかし僕は僕なりに努力しようと思う。申し訳ないが、そうとしか今は言えない。
ある日、あることをきっかけに僕の身柄は拘束され、夜の河川敷に連れてこられた。月の光があたりを照らしていて、川の流れの緩やかさや、風に揺れる草木の揺れ、そこに隠れて鳴いている鈴虫の声が、見渡せる光景によって的確に把握できた。その夜に曖昧さはなかった。
「おい、歩けこら」
背後から男が言った。僕は両手を後ろで縛られて、男の言う通りに前を歩いた。すぐに走り出して逃げてしまいたかったが、男の手に持たれた拳銃が僕の背中をしょっちゅう突いていたので、僕はあきらめるしかなかった。先ほど初めて見た拳銃は想像よりずっと大きくて、重量感があった。テレビや映画と違い、実にリアリティがある。
それをみてから僕は男の言いなりだった。
「よし、ここでいい」
ちょうど上に線路が走っている橋の下で男は立ち止まった。背中から拳銃が離れると、僕は急に一人ぼっちになった気分になった。周囲は漆黒の闇が広がっていて、橋の向こう側の光がずいぶん遠くにあった。
それをぼうっと眺めていたら、男が僕の視界を遮るように前に立った。この真夜中に黒いコートに黒い靴、つばの長い黒い帽子までかぶっていた。男の背からは向こう側の光が漏れていて、その黒ずくめの姿は、綺麗なシルエットとなっていた。
切り絵がうまい人が作る作品のようだった。
ドン!
ふいに僕は男に突き飛ばされた。仰向けに倒れてしまい、後ろで結ばれていた僕の両手が背中の下敷きになり、痛みが走った。地面のコンクリートで擦り傷ができた気がする。その時に変に体をねじってしまったので腰の筋もなんだかおかしな痛みを発していた。その拍子にかけていた眼鏡もどこかへ飛んで行ってしまった。僕は結構な近視なので、眼鏡がない状態、特に夜だとまるで状況がわからなくなってしまう。向こう側の光もぼやけて、遠めに見る小さな印象派の絵画のように見えた。汗が流れ、右目に入った。全身が痛みに支配されていた。
「俺はお前の命をいただく。いいな?」
僕は黙ってうなずいた。いっそのこと早くしてほしいと僕は思っていた。地面は冷え切っていて居心地は悪かったし、水たまりがあるのか、ズボンの尻のあたりに水が染み込んでいて、冷たく気持ち悪い感触が広がっていた。転んだ拍子に靴の片方もどこかへいってしまったようだ。靴下越しに夜風を感じた。
「しかし、こんなにズタボロなお前の命を、一方的に頂くのはフェアじゃない……」
男は急に歩き出した。向こう側の光の先へ。コツコツと足音が遠のいていった。僕は仰向けに横たわったままだった。橋の裏側を眺めているはずだが、暗すぎるのと眼鏡が無いのとで、目がちゃんと開いていることだって自信が持てなかった。さっきの汗で目が見えなくなっているんじゃないかとも思ったが、考えてみれば、汗が入ったのは右目であり、左目は十分機能しているはずだ。おまけに右目も涙で潤されていたので痛みは先ほどよりも和らいでいた。
ちゃんと両目は見えている。ただ、圧倒的に光が足りないだけだった。
男が戻ってきたようだ。戻るなり僕の胸倉をつかみ、僕をその場に立たせた。とても力があった。そのまま川に投げ入れられるかと思った。しかしそんなことはなく僕はふらつく足元を何とか落ち着かせた。両手が縛られていると、こんなに不安定になるのかと初めて知った。
僕は深く息を吸い込み、吐いた。目の前が暗い。立ち眩みなのか、暗すぎるのか、どちらかわからなかった。男の顔を見る。もう暗すぎてそこに男がちゃんといるかさえ、わからなかった。
「これからお前と勝負する。俺が勝ったらお前を殺す。お前が勝ったら俺を殺せばいい」
何を言っているのかよくわからなかった。僕としては今、この立ったままの姿勢を維持するだけでも精いっぱいで、男の話を聞くどころではなかった。僕は言葉を発せずにいた。ただ、男の顔を見ていた。
「今、俺が優位にある。だからお前はこれを受け入れるほかはない。……いいか? この先に銃を置いてきた。セーフティは解除されているから、あとは引き金を引くだけで銃は発射される。きちんと弾も入っている。銃を先に取った方が勝ちだ。後は相手に撃てばいい。シンプルだろう?」
シンプルとは何か? 僕はそれについて考えた。この状況で一番シンプルなのはさっさと僕に銃を撃ち込み、川やらそのあたりの茂みに僕を放ってしまうことに思えた。僕としては、そんなまどろっこしいことをするのがとても煩わしく思えた。全然シンプルではない。男が今、優位に立っているのは間違いない。だから、こんなことに付き合わず、そのままいう通りにしない方が、この状況を早く終わらせる方法だと僕は思った。
僕はその場にしゃがみこむ。
「おい腐るなよ。条件を付けてやる。お前は眼鏡もないし、手も縛られている。こんな夜だ。おそらくまともに前も見えまい。だからハンデをつけてやる。俺はここから『コサックダンス』であそこに向かう」
『コサックダンス』? 僕は聞き間違いかと思い、男の顔を見た。すると男の顔には暗がりにも関わらず、にやりとした口元と、綺麗に並んだ白い歯が見えた。
「そう、『コサックダンス』だ。俺はこう見えて『コサックダンス』がうまいんだ。下手な奴よりずっとな。『コサックダンス』で俺は進む。少しずつ、確実に。俺が銃にたどり着く前にお前は走って拳銃を取れ。いいか、逃げようなんてするなよ。そうなったら仕切り直して何度でも始めるぞ。どっちが先か勝負だ!」
男は姿勢を低くし、両腕を胸元の前で水平に上げ『コサックダンス』を始めた。
男の靴音がリズミカルに橋の下で鳴り響く。確かに男の『コサックダンス』はうまかった。僕は『コサックダンス』なんてじっくり見たことがなく、うまい下手の判断基準は十分に備わっていなかいのだが、男のそれは実に切れがよく、動きは大胆で、それでいて繊細な表現力が伺えた。芸術的でスポーティ、迸るパッションを感じた。
「……ボーっとしてていいのかい? 俺は着実に前に進んでいるぜ」
確かに男は動きの大きさに比べて少しだが、徐々に前へと進んでいた。体力があるのか、その動きにちっとも疲れは見れれない。男の汗のしずくが僕の顔に少し飛んだ。
僕はそれを見ながら思った。僕はいったい何をしているんだ? 夜の河川敷、手を縛られた状態で僕は男の『コサックダンス』と競争をするのだ。命を懸けて。僕はとても悩んだ。この馬鹿馬鹿しい状況を終わらせるには、結果はどうあれ、この男の提案に乗るしかないのだ。不幸にもこの状況を終わらせてくれる第三者の気配はない。朝が来るまで抵抗する? いや、だめだ。もう事は始まっているのだ。
僕は走り出した。うっすら見える向こう側の光へ向けて。するとすぐに顔を壁に打った。まっすぐ走っているつもりが、バランスが取れていなかったのだ。鼻先に強い痛みが走った。おそらく鼻血が出ているだろう。鼻からの呼吸ができなくなった。
「いいぞその調子だ。がんばれ」
男の声が前からか横からか後ろからか、どこから来ているのかわからなかった。僕は目の前がさらにあいまいになったのを感じた。光が点滅するかのように見え、近づいてるのか遠のいているのかさえ分からなくなる。僕の精神は極限に達して、本能の赴くまま、光を目指した。とても長い道のりに思えた。
壁に何度もぶつかり、転び、水たまりに何度もはまり、僕は全身がぐちゃぐちゃになった。片方の足には木の枝なのか、とげなのか、何かが刺さっている感触があり、歩を進めるたびに痛みが走った。打ち付けられた手足は鈍く痛み、唇は切れて焼けるような痛みを発していた。それにより覚醒する意識と焦燥と疲弊によって、何が何だか分からなくなる。天地が一体どっちなのかわからなくなった。
先に出たのは僕だった。ぜえぜえと息を切らして倒れこむ。僕は向こう側の光に到達したのだ。その場は妙に明るく感じた。頭上に大きな明かりが見える。ぼんやりとしているが、おそらく街灯だろう。あたりを見回す。しかし、僕は眼鏡をかけていないので、どこに銃があるかわからなかった。すぐに僕は芋虫のように横たわり地面ギリギリに顔を寄せ探す。なかなか見つからない。
そうしていると、橋の暗がりの方からリズミカルな音が近づいてきた。先ほどよりテンポが速くなっていて、その音量は大きくなっている。男はあのまま近づいてきたのだ。さらに勢いを増して。
僕も焦っているが、男も焦っている。急がなくてはいけない。
しかし、僕はあることに気付いた。もし男が嘘をついていたら、と。
そもそも銃は男が持ったままで、僕をだましているのではないか、と思った。そもそもフェアじゃないから、と自分の命を危険にさらすのは行動として間違っている。これは茶番で、男は僕があたふたしているのをただ楽しんでいるだけではないだろうか。
だとすると僕は途方もない無力感に襲われる。僕は何のためにこんなにボロボロになったのか。男の気が変わるまで抵抗してみて、そのまま銃で撃たれて終わらせた方がずっとマシだったんじゃないか。少なくともこんな無駄はなかった。もっとすんなりこの酷い状況を終わらせることができたはずだ。
僕は力が抜け横たわったまま動けなくなる。
しかし……。その姿勢のまま目を開ける。視線の先、暗がりから出て来る影を見つける。
男だった。
男は『コサックダンス』を続けていた。多少息が上がっているのか、呼吸の、ちょっとした乱れが聞こえる。よりテンポが上がり、地面をこする足の音は雑味を帯びていた。おそらく男は途中休むことなく、そのまま『コサックダンス』を続けていたのだ。違いない。証拠はないが、その姿がそれを確かなものだと訴えていた。
その男を見て思う。
間違いなく銃は置いてある。
ここまで真剣に行うということは、ルールがまだ機能しているということだ。
僕は顔を上げ、再び銃を探す。『コサックダンス』の音はさらに大きく鳴る——。
……まて、まてよ。銃を先に見つけたとして、僕はそれをどうやってあの男に向ける? 僕は手を縛られたままじゃないか! この姿勢から肩をぐるっと回せるほど僕は軟体ではなかった。僕の体から汗が噴き出るのを感じた。しかし、とにかく先に銃を見つけなければ。相手はともかく、僕が銃で撃たれなくなるかもしれない。しかし、男もきっと奪いに来るだろう。そうなった場合、手を縛られたまま抵抗できるだろうか。いや、そんなことはどうでもいい。早く銃を見つけるんだ。
そう思った瞬間、僕の目の前にどす黒い塊があるのに気が付いた。
銃だ。すぐ近くにそれはあったのだ。
僕は力を振り絞った。手足の筋肉が伸びに伸び、悲鳴を上げていた。動くたびに地面に顎があたり、僕の脳が揺さぶられた。それでも銃から目を離さなかった。僕はそれに覆いかぶさった。
男の『コサックダンス』が止まった。
「どうやら俺の負けらしい」
男はそう言うと、僕に近づいた。僕は体をこわばらせた。必死にわが子を守る動物みたいだった。しかし男はいとも簡単に僕を銃からはがした。両肩を掴まれ、一気に立たされた。男は力持ちのようだ。息も少ししか上がっていない。最初からかなう相手ではなかったのだ。僕はこのまま殺されてしまうのだろうか。男は銃を拾い上げた。
「どれどれ」
男は僕に銃を持たせた。僕の指を引き金に這わせ、グリップを握らせる。男の誘いはやさしかった。
おかげでしっかりとホールドできた。
「これで撃てるだろう。お前は向こうを向いて立ってろ。俺が撃たれる位置に立つ。後は引き金を引けばいい」
僕は言われた通り前に出た。銃口は背後に向かっている。
「……この位置だな。よし、いつでも撃て。躊躇するな。念のため3発撃つんだ。俺がちゃんと死ぬようにな」
僕は今の状況が理解できなかった。僕は勝負に勝った。しかし、それで命を差し出すあの男は何を考えている?
「もし3発撃った後、俺が声を上げたら後は撃ち尽くせ」
男はもうしゃべらなかった。背後からは物音ひとつしない。
バン! 乾いた音。
手に衝撃が走った。引き金を誤って引いてしまったのだ。僕は驚いて手を放しそうになったが、しっかりホールドしていたおかげで落とすことはなかった。突然のことに僕は首筋にひんやりした何かを感じた。
「……よし、いいぞ……後2発だ」
どうやら男に当たったらしい。苦しそうに男は言った。そしてさらに弾丸を求めた。
僕は銃を撃つ。
バン!バン!
連続して銃を放った。先ほどよりしっかりと握りしめていたので、もう驚かない。ドサッと倒れる音が聞こえた。それ以降、男から物音はしなくなった。
僕は呼吸を落ち着かせた。周囲の音に耳を澄ました。川のせせらぎと虫の声が聞こえる。風はない。僕は手に握られていた拳銃を離す。さっきとは違い、力を抜いた瞬間、簡単に地面に落ちた。ズシン。
そして僕は歩きだした。手を縛られ、ほとんど視界もぼやけていたが、振り返ることはせず、ただ、前を向いて。
真夜中のコサックダンスと、銃 もと はじめ @iiisss
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