こんな好きじゃなかったら。

 余命で死ぬという大事がこんなにも身近で起きるとは思いもよらなかった。


 しかも前から日程を決めてここに立ってるっていうのに…………嘘やろ。


 体から魂がスーッと抜けていく感覚に襲われた。浮遊感と倦怠感がミックスされて襲ってきた感じがした。


 硝子の心の中で悲しみと哀しみが混ぜ繰り返される。

 

 先生は話を続けた。俺は視線を先生の黒いヒールにまで落とす。


 「本当は…………言ったらダメなんやけどね。先生らにも生徒に混乱を招くかもしれないから絶対に言うなってさ。ま、どうせもうすぐ離任するし。」

 

 先生は大きく深呼吸した。バッグを無造作に置き、腕を横に大きく広げ空を見上げる。夕刻から夜へと変化していく空を。


 深呼吸後の先生の目はシリアスになっていた。それは毎日のように眺めていた先生の本気で授業するときの目だ。


 「ただね、一つ言わせてよ。」


 「……………………な、なんす、か。」


 俺は溢れてどうしようもない小粒の湖を何個も落としていく。声も上ずり、本当なら女性の前で号泣とか恥ずかしくて死にそうなくらいなのに…………今は違う。


 涙を流し続ける俺を横目に先生は横髪をかき上げる。そっと目を閉じ、すっと瞼を開く。少し赤らむ頬と愛らしい表情が俺の視界を奪う。


 「私は大河のことが好きやけんね。」


 「……………………うえっ⁉」


 涙がピタッと止まり、違った衝撃が心を揺さぶる。


 先生はあまりにも驚いた表情を見せる俺の顔を見ながら微笑した。


 今ならイチゴよりも顔が赤い自信がある。


 一通り笑い終わった先生は優しい口調で語りだした。

 

 「愛が足りないって顔してるから…………私はちゃんと好きやからって伝えたかったんよ。まあ、あんたはよくモテるから愛は豊富なはずなんだけどねー?」


 二人だけの補習中に時折見せる意地悪小僧のような無邪気顔。


 半分はからかい…………半分は嫉妬も含まれてそうだ。


 俺はどう返答して良いかわからずたじろいだ。本来の目的は先生に告白するつもりだったのに…………気が付けば逆告白を受けていたのだから。


 追撃するかのように先生から極めつけの一言を添えられる。

 

 「いっておくけどね…………男として好きよ?」


 時が止まった。今一瞬、この言葉が発された時。


 「あのヤンキー大河が私の目の前で脇目も振らずに一生懸命に勉強してるんだよ?人が変わったかのように、先生の所によく質問に行くしさ。」


 見てくれていた、その事実だけで今までの頑張りが報われた。


 「他の先生からの評価も良くなっていくだけ。成績も右肩上がり…………まあ、元が酷過ぎるんだけどな。」


 ハハハと白い歯を見せて笑う先生。陽が落ちる寸前の光が先生を照らす。


 本当にもうすぐ死ぬ人間なのかと疑ってしまう。


 暗闇が空を覆い始め、俺たちの時間も終焉が近づいていく。


 「とまあ、私の遺言は以上だ。暗いからさっさと帰れよ。」


 最後はあっさりと去って行こうとする先生。あれだけいろいろな表情を見せつけて俺の心を揺さぶった挙句、そんなあっさりと終わらそうとするのが少しムカついた。


 だから、俺からも最後の別れの言葉を全力で放つ。


 「待てよ。亜弓ちゃん。」


 去り際の手を引き留める。力強く引っ張り、再びこちらへ視線を引き戻させた。


 そして、今までの言葉がどれだけ重たかったかを知ることになる。


 「あ、亜弓ちゃん…………泣いてんじゃん。」


 ぐしゃぐしゃになった先生の顔。決して生徒の目の前では気が緩むこともなく、涙の一つも見せなかった先生の顔がこんなにも崩れるなんて。


 「だ…………だって、さ。わ、私…………死んじゃうんだよ?」


 「それは。」


 「あんたは…………強く生きなよ。私みたいな貧弱な…………」


 「貧弱なんて言うんじゃねえええええええ!!」


 突然の大声が誰一人としていない校舎に響き渡る。強い怒りと悔しさ混じりの声で、真摯な眼差しで目の前にいる女の子に向けて言い放った。


 「あんたのおかげで俺は勉強しようって思えたんだッッ‼

  あんたのおかげで俺は努力をしようと思えたんだッッ‼

  …………あんたが居なかったら、俺は今もただのワルだったよ。」


 先生の胸倉を掴み、顔と顔の距離が一気に狭まる。吐息がまるでイヤホンをしているかのように細かく聞こえる。


 互いの顔がそれはもう酷かった。それと引き換えにこの瞬間だけは対等な男女の関係になっていた。


 俺は想いの丈を述べずにはいられなかった。


 「あんたが俺に馴れ馴れしく絡んでこなければ、あんなカッコいい姿を見せてこなければこんな気持ち抱えることにはならなかったんだッ‼ だから、あんたの仕草一つ一つが脳裏に焼き付くくらい目ん玉ひんむりがえして見てきた…………そして、惚れたんだよ。」


 「……………………う、嘘…………。」


 「嘘じゃねぇッッ‼ だからあんたに憧れて日本史教員を目指そうと思えたんだよッ‼ あんたのように生徒により添えられる教員になりたくて、あんたを超える日本史授業をしたくて…………あんたの隣に立てるような一人前の男になって。」


 「そんな素振り…………見せなかったじゃない。」


 「恥ずかしくて見せられねぇよそんなの。 だから内に思いを秘めてきた。」


 胸倉からゆっくりと手を離し、一歩後退る。視界が水中のように変化する。


 「大河…………そうだった、のか。」


 「ああ。だ、だから…………あんたが死ぬなんて考えられねぇよ。」


 「(グスッ)私だって、死にたくないよッッ‼ けど、これが宿命なのよ。」


 「そんな宿命、覆す方法だって探したら…………」


 「 大河あああああああッッ‼ 」


 先生は今まで聞いたことのない喉が張り裂けそうな声量で俺を呼んだ。


 そして強く、願うように俺へ叫んだ。


 「大河が頑張ってるとこ見てるから。 大河が授業してる姿も、陰で必死に努力する姿も見てるから…………だから、あなたは強く生きなさい。」


 「先生…………」


 「あなたの熱量に生徒はちゃんと応えてくれる。 あなたが私の熱量以上に応えてくれたみたいにね。だから、気張りなさいよッ!」


 膝から崩れ落ち、コンクリートの地面にひれ伏す。今までに無いほど泣きじゃくり、心の底から【悔しい】と強く俺の人生に刻まれた瞬間だった。


 先生はそんな俺に手を差し伸べようとはしなかった。屈んで、ただ俺の不格好な姿を眺めるだけ。何度目かの涙を流しながら。


 陽は落ち、天から欠けのない丸い月が俺たちを包み込むように照らす。鈴代先生と俺が繰り広げた二人だけの舞台はクライマックスを迎え、遂に幕を閉じた。


 俺達が激しい愛の告白をし合った場所で滲みのない白いユリが硬いコンクリートを打ち破って力強く美しく咲いたという話をここに赴任してきたときに当時この学校に勤めていた先生から聞いた。


 ユリは「スズシロユリ」と名付けられたのだそう。


 

  

 

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こんな好きじゃなかったら。 街宮聖羅 @Speed-zero26

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