こんな場面で。
夕焼けで空が完全にオレンジ色をしている時刻。部活動生は最近流行りのとあるウイルスの影響によってゼロ。
因みにだが、今日の卒業式は卒業生と一部来賓のみで行われたという異例の措置が取られたこれから先には二度とないであろう特別な卒業式。
こんな特別クソ喰らえと思うのは俺だけではない。今日この学校を卒業していった多数の卒業生がそう感じたはずだ。
だからこそ、この日を選んだ。絶対に誰もいなくてここの高校生でいられる最後の日。完全下校時刻は完全に過ぎ去っているがそんなものはお構いなしだ。
俺が居たいから、俺はまだ用事が有るからここに残っているだけ。
だからこそ、今日は最高の特別にして終わらせたい。
夕焼け染まる自転車置き場で俺はサドルに跨ってとある人物が通るのを待った。
自転車を空転させながら空を見上げる。
「めっちゃ綺麗やな。」
何気にない空がこんなにも美しく、心に染みてくるなんて今までには無かった経験だった。閑散としたテニスコートがオレンジ色のプールのように見える。
轟轟吹いていた春風はまるで、誰かが扇風機をスイッチを切ったかのようにピタッと止んだ。
その時、背後遠くからうるさい注意が降りかかって来た。
「おーい。そこの生徒、早く帰りなよーー!」
凛とした女性の声。
「なんすかー?俺まだ用事あるんで残ってるんすけどー?」
俺は傍から見ればダルそうに振り返る生徒を熱演した。外面とは全く別のキモチを携えて。
「なーに屁理屈を言って…………って、大河じゃんかー!」
そういって嬉しそうに駆け寄ってくる女性。パンツスーツ姿のヒールを履いた如何にも仕事帰りのような服装。カツカツとヒール特有の音を鳴らしながら俺の方へ駆け寄って来た。
「っておいおい大河じゃんか! 久しぶりやね‼」
「———亜弓ちゃん。お久しぶりっす。」
「こらっ!私は先生なんやからちゃんと呼びなさい。」
「ごめんごめん鈴代センセー。いつも通り呼んだだけっすよ。」
「ちょーっと誤解生まれる言い方するな。」
「はいはーい。」
鈴代亜弓先生。三十二歳の日本史教師。ちなみに独身。
俺の二年時の担任でお世話になり、三年では日本史を隅から隅まで教えてもらった。すっごくフレンドリーだけど、相当注意してくるウザい教師というのが一般的な印象。
いっつもグレーのパンツスーツスタイル。最近黒髪ショートボブにしたらしい。
「というかほんと久々やねー。あ!そういや進路はどうなったの?」
先生の質問一つが俺の胸の鼓動を加速させる。あまりにも近い距離で話してくる先生に緊張しながらも、いつも接するように平静を保ちながら口を開いた。
「えーっと、大都大学の教育学部に受かったっす。」
「うおおおおお!マジか!やったやんか。」
「そこまで驚くことっすか? 大都大なんて私立の中堅っすよ。」
「いやいや、あのヤンキーなお前がちゃんと受験して合格してるんやで?」
「そ、そっすね。そう言われたら確かに。」
「やけどほんとよかったなぁ。 まあ、こんな時期じゃなかったら焼肉でも連れて行ったろかって思うくらいよ。」
「えー連れて行ってくれんのすかー?」
「教え子と二人ってのは流石に無理無理!」
俺の目の前で咲く満面な笑み。相も変わらず明るく振る舞う。先生はどんな奴に対しても態度を変えず、それでいて真摯に向き合ってくれる俺の知る限りはいない唯一無二の先生。
サドルから腰を下ろし、先生と対峙する。背は俺の方が十センチほど大きい。けど、存在感は圧倒的に先生の方が何倍も大きい。この存在感に何度圧倒されてきたことか、もう数えきれない。
そう思うごとに思い浮かんでくる数々の思い出。
「そういや、よく先生のとこ行きましたよね俺。」
「そうやな。じゃないとこんな馴れ馴れしく会話せんやろ。」
「あれで日本史がめっちゃ得意になって、センターは満点やったんすよ。」
「やるやんかー。満点は凄いでほんと。私ですら九割やったからな。」
「じゃあ、俺の勝ちっすね。」
「今は絶対私の方が知識ありますー!」
心がポカポカするという感覚はこの先生でしか味わったことがない。他のどれだけ親しい奴でもこんな気持ちにさせられたことはない。元カノにだっていなかった。
気が付くと、茜色に染まっていた空に黒い影が見えだしてきていた。
刻々と進んでいく時が今だけは止まって欲しいなんて思った。
けれど、終わりはやってくる。
先生は後ろにそびえ立つ学校の古い時計をチラ見した。
「お、そろそろ帰らないとやばいぞ大河。私まで怒られる。」
「あ…………そっすか。」
「———いつもの大河なら『一緒に怒られましょー』なんていいそうなのに。どした、なんか悩みでもあるのか?」
先生は変な所で勘が鋭かった。俺が熱出してる時も周りは誰一人として気が付かなかったのに、先生だけが気付いた。
姉貴と思いっきり喧嘩して怪我させた時も「何かあったやろ?」って言われた。
そんな俺の弱ってる時、モヤモヤしてる時を支えてくれたことが好意の原因の一つ。
「まあ悩みというか。その…………」
「ま、話しにくいことならええわ。そういうこともあるから。」
「そっすか。」
「やけど、代わりに私から話しておくことがある。」
強く発音された語尾。今から大事なことを教えてくれる時の先生の癖。
けれど、今のは日常で聞く強さじゃない。
なんというか…………いつもよりも覇気があった。
それでいて、何かを覚悟した気迫が俺の肌を伝ってきた。
鈴代先生は真っ直ぐな瞳を俺の視線に被せ、射貫いてきた。
先生は口を開け、声を少し震わせながら言った。
「私な、もうすぐ死ぬんよ。」
「えっ。」
言葉が聞こえ、理解した瞬間に目尻から涙が溢れた。ほとんど無意識状態。
今から告白しようと強く望んでここにやってきた…………のに。
大型トラックに撥ねられたような衝撃が俺を襲った。
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