最終話 エピローグ

「なるほど……つまり枢さんは非処女なのですね」

「長々と聞いて出た感想がそれかよ。ちげえよ、枢は処女だよ」


「あなたがなぜそれを知っているのかは後でじっくりと聞きますが――、

 とりあえず、私を抜きにそんな事を話さないでください」


 頬を赤らめた枢さんは、膝に乗せた迷探偵のこめかみをぐりぐりと、折り畳んだ指の関節で押していた。

 地味なお仕置きだった。

 あれ、割と痛いのだと知っている。


 もう鳩ちゃんとは呼ばないのだろうか……。

 期待の眼差しで見ると、キッと睨まれた。

 言及はしない方がいいらしい。


 まあ、そこまで踏み込まれたら嫌だろう、当然だ。

 私は依頼者であって、メンバーではないのだから。


 現在の世界では、枢さんは非処女ではない。

 無事に、強姦される前に救えた結果の世界という事になるのだろう。


 ――そこが気になった。

 同い年くらいで非処女だとしたら、私が惨めだ。


 仕事ばかりで、男の気配なんてまったくないのだから。


 私は長い長い昔話を聞いて(とは言え最近の話らしいが)ちょっと疲れてしまったので一休みを入れる。

 ティーブレイク。

 破壊するわけではなく。


 飲もうとしたら既に飲み干してしまっていた。

 手に汗握る展開で、喉がからからだったらしい。

 無意識に飲んでいた。


 気づかなかったのは驚きだ。

 それだけ、語り部が魅力的だったというべきなのか。


 女子二名の性格の悪さが引き立ってしまっていたが。

 あれだけ内面を晒け出しておきながら、一人の彼女は再びヘッドフォンを被って私に背を向けてしまっていた。

 中々、ギャップが強い子だ。


 ゆかぽんちゃんは基準にされてしまっていて分かりにくいが、純粋に性格が悪いよね。

 敵に回したくないタイプだ。

 味方にいても、扱い切れない事は目に見えているが。


 それはこのメンバー全員が、それに当てはまってしまう。

 厄介な事務所だ……。

 唯一まともなのが欲望に忠実なハイスライムだけというのが皮肉だ。


 スライムには皮も肉もないのに、だ。


「……そういえば、話に出てきたハイスライムは? 一人だけメンバーからあぶれちゃった?」


 まあ、神獣の加護がない町の外へ出すのが普通であって、この場に留まらせる理由はないのだが。


 しかし、予想通りにハイスライムはこの事務所にいた。

 ゆかぽんちゃんが座るソファの背もたれのところにあるクッション。

 話を聞いた今だからこそ色で分かってしまうが、あれがスライムだ。


 完全に道具扱いされてる……。

 顔は見えていないけど、喜んでいるのが分かっちゃう。


 分かっていながら使うゆかぽんちゃんも、中々の精神力だ。

 ボディの感触を堪能されているわけだが――ああ、そっか。

 ゆかぽんちゃんも相応に異常者だし、あえて堪能させている節もあるだろう。


 そうとしか思えない。

 体勢を変えるには大げさな動きばっかりだったし。

 何度も何度もクッションを痛めつけているような行動が見えた。

 さっきから気になっていたが、そういう理由があったのか。


 やってる事はただのいじめなんだけど、合意だったら問題はないはず。

 スライムからしたら、ご褒美なんじゃないだろうか……。

 今更だけどこの事務所、やばいよ。

 まともな人がまったくいない。


 ロリコンでショタコンで、ファザコンで年増好きで女好きの変態……大問題だ。


 迷探偵の言葉が心に染みる。

 まともな奴なんて誰一人としていなかった。


 死神の方がまともって、どういうことなの……。


 なんだか、この事務所に長居してしまうと、私もなにかしらのタガが外れそうなので、早く退散したいと切実に願う。

 そのためには用件を済ませてしまおう。

 幸いにも、私の依頼達成は私が行動する事で終わるものらしい。

 迷探偵がしてくれるのは、情報を渡してくれるだけ。


 じゃあ、電話でもいいじゃん、とは思うが。

 来てから知ったのだから、どうせならここで解決してしまおう。

 そうすれば、異常事態になっても助けを求める事ができる。


 まともでなくとも死神に関してはスペシャリスト。

 妥協はしないだろう。

 根拠である物語を、これまで聞いてきたのだから。


「ふぅ、ゆかぽんちゃん、アールグレイを一つ」


「初対面のはずですけど、結構ぐいぐい来ますね。

 あれだけ話を聞いて私の事を本名で呼びますか」


 あ、そっか。

 そういえば本名で呼ばれる事を嫌ってるんだっけ? 

 けどもういいじゃん。

 もう慣れたでしょ。


 だってそんなに怒ってないし。

 怒らなきゃいけないって自意識があるんじゃないの。

 そんな意地、捨て去ってしまえ。


 慣れなきゃ慣れるまで言い続けるだけだ――連呼連呼。


「あなたもじゅうぶんクレイジーですよ……条件は満たしているんじゃないですか……?」


 なんの? と聞くと、ゆかぽんちゃんは、さあ? と。

 接客業も雑になってきたな。

 そろそろ限界かもしれない。


「あ、アールグレイもうないですね。さっきので終わりです」

「死ね」


「そこまで言われる事ですか!?」


 申し訳ない、口が滑りました。

 でもまあ、手が滑るよりはいいでしょう?


「刃物でも持ってるんですか……」


 常備はしていませんが。

 護身用の武器の一つや二つ、鞄に忍ばせてありますよ。

 咄嗟に出せないから、意味はないんですけど。


「アールグレイはないので、ダージリンでがまんしてください」


 ええー。

 仕方ないなあ。

 ……なんかむすっとされたが、無視して用件を果たす。


 あっちもあっちで、私を厄介者だとでも思っているのかもしれない。

 うんざりした顔がさっきから目立つよ。


「死神の付き合い方は分かりました。

 とは言っても、あの子に戦闘能力があるとは思えないですけど……」


 私の死神――、

 名はなく、というか会話が成立した事がなく、だからなにも分からないままの未知。


 私の子供と言われても……ちょっと大きいか。

 しかし、あり得ないわけでもない。

 私の子供と言ったら信じる人が中にはいるかもしれない。

 生まれた瞬間に私を見て、親と認識したように、ずっと追いかけてくるあの子。


 退治はせず、距離を置くでもなく、結局――距離を縮めるしか方法はないらしい。


 消すにしても、傍に置くにしても。

 しかし物語の中で語られた方法は、私の場合だと、そこまで持っていくのにも問題がある。

 事務所のメンバーの死神は、みんなコミュニケーション能力が高いのだ。


 なんだかんだと意思疎通ができている。

 私の場合は、それができないから先に進まない。


 手詰まりだ。

 どうすればいいのよ、先に進めなくちゃ、ゴールなんてできっこないのに。


「死神と考えずに、人間と考えればいいんじゃないですか」


 ゆかぽんちゃんは当たり前でしょ、とでも言いたそうに。

 人間として考える……、だから?


「初対面の人と仲良くなる時、まずはなにをします?」

「とりあえず挨拶をして、共通の話題を見つけたり――」


「その前に、最初にすることがあるんじゃないですか? 

 私にとっては苦痛の時間なんですけどね」


「苦痛……ああ、なるほど」


 それで分かられるのも複雑な気持ちですが、とゆかぽんちゃん。

 それは知らんよ、ヒントにしたのはそっちじゃないか。

 連想しやすいものを選んで、連想されて怒るって……自己中まっしぐら。


 だけど、その通りだ。

 ゆかぽんちゃんの言葉も無視できない。

 仲良くなるためには、まずは自己紹介だ。

 自分の名前も語らず、相手の名前も聞かず、いきなり本題に入るなんて、失礼だ。


 男も女も、大人も子供、死神も人間も関係ない。

 ――それはまず、礼儀だ。


 相手の精神テリトリーに入りますよ、という、宣言だ。


 だから私はソファから立ち上がり、追加されたダージリンを飲み干し、振り向いた。

 扉に身を隠す、私の死神――、

 裸足でぺたぺた、困惑している小さな彼女へ、優しく、語り掛ける。


 ゆっくりと近づいて、目線を合わせてから。

 精いっぱいの、優しい笑みを見せて。



「私の名前は『――――』です。……あなたの、お名前は――」

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死神・ギャンブル・バニースター 渡貫とゐち @josho

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