2部 始発列車
第5話 いつか見た面影
雲が遠い青空の下、電車はとある駅に到着した。
ぐるりと辺りを見渡すと、周り一面が山に囲われていることが分かる。駅から伸びる道は、なだらかに先へと続いていた。短めの雑草が脇に並んだその道へと、進み始める。
ふと、後ろを振り返ると、白いペンキが所々剥げた駅舎が、ポツンと建っていた。
まだ、頭がぼんやりしていた。
なだらかな道をしばらく歩く。田んぼ道が続いていた。それがしばらくするとコンクリートの道になり、住宅街へと出た。
レンガ造りの家、煙突のついた家、大きなガラス窓がついた家、庭の緑が映える家、小さなトタン屋根の家、ツタの生えた赤茶色の小屋。
色んな家が並んだ奇妙な道は、コンクリートだったり、砂利道だったり。
それが、歩きにくい土に変わる頃、藍色の瓦屋根が乗った、平屋建ての大きな家に着いた。
道はこの家に続くもの以外無く、仕方なく次の道を探して、広い玄関先から回って家の裏の方へ歩く。
白い土壁は、所々黄色く汚れたり剥げたりしていて、大分年期の入った家だということが分かる。
何個めかの窓を横切った時、家の中から何か、物音がした。
家の裏側、庭に面した縁側。障子の隙間から中を覗き込んだ。薄暗い畳に、人の気配はあまりしなかったので、そっと家の中に入り、様子をうかがった。勿論靴は脱いで。
部屋の中には子どもがが一人、畳の上の布団で眠っていた。ふすまの向こうから物音はせず、どうやら他に家の人は、居ないようだ。
自分の気配に気づいたのか、子どもは目を覚ますと、君は誰?と聞いてきた。
何も答えないでいると、自分が一人だと気づいたのか、涙を浮かべた。もう泣くのはやめなよ、と言ったら目をこすって、そうだね。と笑った。
少しして外からエンジン音が聞こえてくる。どうやらおばあちゃんが帰ってきたみたいだ。
そう言い残すと、子どもは再び眠りにつく。
これまでのことも、いずれ忘れてしまうだろう。
家の裏にはこれまでの来た方向に戻るような、細い砂利道が繋がっていた。
住宅街から少し抜けた、歩道橋近くの細い路地。白い猫を追いかける女の人の影が、路地の向こう側へと消えた。
踏み切りの前に佇む少年の影が、電車が通り過ぎた後、地面に尻餅をついて、泣きそうな顔をして、消えた。
ここに来るかもしれなかった人たちの影が、浮かんでは消えていった。
また、あの駅が見えてくる。
この道は、駅以外どこにも繋がっていない。森の中に進んでみた。少しだけ獣道のようなものが見えた。途中、犬のような足跡が見えた。狼かもしれない。
木の影が減り、少し広い場所に出た。
さらに暗い森の奥を背景にして、
赤い鳥居が、古い小さな
石造りの参道の端を通ると、
カラスの群れが境内にたむろしていた。
中でもひと回り大きなカラスが、こちらを不思議そうな目で見つめた。
「何もない。」
「まだ、何者でもない。」
低い声がカラスの口からこぼれた。
視界の端に、白い、少年の姿を見た。
薄暗い森の中にその姿が特に目を引いた。
だけど、その姿はここからもうすぐ消えてしまいそうで、咄嗟に追いかけた。
木の根に引っ掛かりそうになりながら足を進める。森を抜けると、大きな川の近くに出た。
僕の姿が、まだ向こう岸に居た。
ずっと
思い出した。
ナイフを取り出したり、何処かへ行って、
何度も消えようとしたけれど。
「もう、会えなくなってしまうよ。
なにもできなくなってしまうよ?」
それでも、もういいんだ
だけど、後一歩がどうしても出ない。
楽になることができない。
どうして、
その度に、君は僕の前に現れて、
「それは、まだ君が生きたいと思っているからじゃないのかなぁ。」
どうして、
「僕には、君の心が見えてしまうから。」
「君の心は、まだ生きているから。」
あの少年は、リサトは。
いつの間にか横に居た。
「1つ説明しておくと、自殺した魂はこちらには来れないんだ。ここに来れるのは、本当に死んでしまった者達だけだから。」
「君はまだ、あっちに戻れるよ。まだ、迷い混んだだけだから。」
「死にかけた君の心は、まだ動いている。」
「身体はまだ、生きているから」
もう少しだけ、あの人に会うために
なにかできるかもしれない。
そう思うと、急に身体が軽くなって、あの、目が覚める感覚がぐうっと沸き上がってきた
「大丈夫、目を開ければまたいつもの君だよ。
悩むことがあっても、生きていればなんとかなるから。」
「もう少しだけ、君自身を好きになってほしいな。」
残り少ない僕の中の心が、景色の中に溶けていく。こうすれば、せめてもう少し広く、まだ何かを見ることができるかもしれない。
夢から覚めて、この目を開けたら。
夕焼けが、山の向こうに沈みかける。
地平線に広がる紫色が、空の青色を次第に色濃く、闇に染めていく。
一羽のカラスと少年が、河原道を行く。彼らの元居た場所に、帰るように。
「もう、向こうの世界に干渉するのはやめとけ、リサト。」
「わかってるってば。でも、今回の賭けは僕の勝ちだね。」
「…やっぱりわかんねぇな、人間は。」
「ふふっ、そうだね。」
くぐもった声は、やがて羽の音にかき消される。
少年は、まだまだ探していく。
自らが、何者なのかを見つけるために。
こことは違う空の下。森の中、残夏の世界。
「こっちの話はまた、次の機会に。」
リサトが、いたずらっぽく笑った。
三分足らずの余命 藤井杠 @KouFujii
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