09

 こうして始まったモス家での生活は、すこぶる穏やかなものになった。

 ……いや、にぎやかなものになった、というのが正しいのかもしれない。

 まずは怪我を治せ。さもなくば何も始まらない、というレインの言葉は正論なので、それには素直に従った。

 だが、その日々はいささか『安静』とは言えないものだった。

 というのは。

「いい加減にしろ、お前らっっ! 女性の部屋を断りなくのぞくとは、どういう了見だ!」

「そんなこと言わずに、嬢! 会わせてくださいよ! 絶世の美女だっていうじゃないっすか!」

「まさにお姫様ってカンジって聞いてます!」

「若のお眼鏡に敵うお相手ならば、どれほどの御方かと――」

「やかましいっ! お姉様は、療養中なのっ! お目にかかりたいというのなら、兄様の許可を取ってきてからにしろっ!」

「そんなこと、若に言えるわけないじゃないですか~」

 ……どういう事態だ、これは。私はただ寝室の入口で繰り広げられている応酬を、呆然と見つめるしかない。

「……失礼、取り乱しました」

 ばたんと荒々しく扉を閉め、シェイラは肩で息をしながら私の寝台に歩み寄ってきた。

「ど、どういうことなのかしら……」

「お姉様には申し訳ありませんが、この事態はしばらく続くと思います。どうぞご容赦ください」

 へこり、と頭を下げて、シェイラは続けた。

「一族中で――いいえ、街中で噂になっております。兄様が大金をつぎ込み、暴行を加えられていた行きずりの女性を助けてこの館に連れ帰ったと。ま、当然ですわね、あれだけ衆目のあるところでの出来事でしたし、一応、兄も有名人ですから」

「……ええと」

「お姉様がそのままこの館に保護されているとあっては、それが世間一般ではどういう方向の解釈がされるかは、先日お姉様ご自身が仰った通りで」

「でしょうね……」

 レインは否定したが、『彼が私を金で買った』と世間が見るのは、あの状況では当然でだし、そんな彼が私の『主人』になったと考えるだろう――あらゆる意味においての『主人』で。

 だが、現在私の待遇は『客人』と呼ぶのが一番ふさわしい。

 だがそれは、どう考えたって不自然だ。それがモス家の『余裕』であったとしても、疑問は当然湧く。

 なぜ、私だと。

 困っている女性を、この家の人間が同じようにして毎度救っているわけがないだろう。ならば思う。

 なぜレインは――この家の者は、私だけを救い出し、かくも厚遇するのか。

「なのですが、一族の者共の思考は、ちょっと明後日向いてまして……。兄様がようやく女を連れ込んだと、あっちこっちで祝賀会です」

 胸の奥の疑念に思いを馳せていた私は、シェイラのその言葉に思わず滑った。

「実際兄様は、女遊びはしますが、身を固める気配が全くなかった人ですから。縁談を持ち込まれては壁に投げ、自称花嫁候補に押しかけられてはドアに押し出し……一族の重鎮の皆様方は、こんなでいいのだろうかと不安がることしきりといった有様。そんな兄様が、今回これほど華々しく女性絡みの事件を起こしたとあっては、千人を超す一族郎党が皆、お姉様に興味津々になるのはもはやいたしかたないことかと」

「……はあ」

 それは誤解だ。きっとレインには、私を助けた別の意図が――理由が存在する。

 けれども今の私には、その多くの人たちに、誤解だといって歩く体力もなければ方法もなく。

「ですから、これからも見物人はひきもきらないことでしょうか、そこら辺は私が吹っ飛ばしますんで、お騒がせすることはお許しください。無論、の方々には通用しませんけど」

 笑い話なのか冗談なのかそれとも全部本気なのか、シェイラの発言は常に判らない。だが今のそれには、無視できぬものが混じっている。

「各家の当主の方々は、何をもって兄様がお姉様にご執心なのか、はたまたそういう意図では実はないのか――それくらいは考えられる方たちですからね」

 さらりと告げられた言葉は、重くて大きい。

 その意図こそ、私が今最も知りたいことだ。だがそれは、この『一族』全員が共有しているものではないのか。

 シェイラ自身は判っていて言うのか、そうでないのかは判別がつかない。だが。

「シェイラ」

「はい」

「私、この家がどんな家なのか、何を稼業とされているのか、まだ聞かせてもらっていません。あなたたちが言う『一族』が何なのか」

 それが判らないことには、とにもかくにも何も始まらない。

 だからの問いかけに、ふわりとシェイラは笑う。

「私たち一族は、端的にこのレーゲンスベルグの『荒事』を一手に引き受けています。傭兵団、護衛船団、都市防衛団など、レーゲンスベルグの治安維持と防衛、軍事は全て、我々一族の管轄です。その重責故、一族の長である総領は代々、施政人会議に席を得ています」

 私はその言葉に、思わず息を呑んだ。

 相当の富豪だとは思っていた。だが施政人会議に名を連ねるほどの家が、どれほどあろう。それはレーゲンスベルグの都市貴族における、頂点に近い。

「一族は、幾つかの家で構成されており、各家の当主の合議で運営されています。私はシェイラズ・モスと名乗りましたが、これは本当の意味で正しい名前ではありません。モスの家のシェイラという意味であって、姓はちゃんと別にあります。もともとモスは、館のある場所なんです。それを姓代わりにしています」

「どうして正しい姓を名乗らないの?」

「名乗ってもしょうがないんですよ。だって一族ほぼ全員同じ姓なんですから。本姓では、どこの誰か区別つかなくなるんです」

 唖然とした私に、シェイラは「それくらい大きな一族なんです」と笑った。

「一族の者は起源を辿ると、多くの者が二百年前の初代に辿り着きます。それぞれの家が分家してからずいぶんなりますし、もう血縁と呼ぶにはお互い血は離れすぎちゃってますが、それでもどの家の当主も全員初代の子孫です。というか、当主会議に加われる家だと認められるには、初代の血を引いていることが必須条件なんです」

 シェイラがわざわざ言い換えたことの意味を考えて、私は問いかける。

「そういう言い方をするということは、当主会議に加われる家って、固定ではないの? 初代の子孫である幾つかの家が別格として決められていて、一族を運営しているのではないの?」

 たとえば貴族社会のように。そう問いかけた私に、シェイラは端的に実力勝負だと言った。

「自分で何らかの事業を成功させれば、その家の当主として家を興すことを認められます。その家が、十分な貢献を一族になせると認められれば、当主会議に名を連ねることが許されます。だから勿論、没落もある。自分の家を傾けた当主に、一族全体に対しての発言権が与えられるはずがありません。二百年と申し上げましたが、その間に多くの入れ替わりがありましたし、家業の後継者が必ずしも自分の子どもでないことだってあります。弟子や部下の方が優秀だと認められれば、家業を彼らに起こさせた新たな家に継がせてもいい。というか、有力な家の子弟は、優秀でないと親から家業を継がせてもらえないんですよね。そうしないと一族の弱体化を招きますから。守るべきは家じゃなく、家業なんです」

 厳しい。思わず唸ってしまった私に、シェイラは首を横に振る。

「そうでしょうか? 優秀でなければ当主にはなれませんが、別に当主にならなくともこの一族には居場所があります。家業は当主だけで回しているものではなし。家はそれぞれ家業を持っていますが、子どもたちは自分の家のものに就かなければならないということもないんです。他の家の徒弟になって、他の家の頂点目指したっていいんですよ。そして他にやりたいことがあれば、一族自体が後援します。その事業計画が適切であるとすれば融資もありますし、その融資を家業とすることを思い立って金融で立った家もありますしね。――先ほど『荒事』の一族だとは申しましたが、実は堅気の商売をしている家も、幾つもあるんですよ? 貿易船の警護をしてたら、自分も貿易やりたくなっちゃった奴とか、船をよそに発注するくらいなら、自分とこで作った方がいいだろうと思っちゃった奴とか、色々。そうして別方面から一族を潤せばよいと。それでも嫌なら、一族とレーゲンスベルグを出ていけばいいんです。一族にいなきゃならないと縛る掟も別にないですし」

「面白い……」

 よくできている、と心から思った。この共同体に属する人たちは、自由ではあるが孤立無援ではない。優秀であればどこまでを高みを求めていけるし、たとえずば抜けて有能でなくとも何らかの仕事はどこかの家で見つけることはできよう。強くあれる者だけが望んで重みを背負い、それをもって弱い者たちのささやかな暮らしを守る。

 それは平等の一つの形だろうか。ぽつりとそう思った。

 だがそう思えば思うほど、不思議になってくることはただ一つ。

「でもそれだけ開かれていて、なぜ、当主は初代の子孫にしかなれないの? 一族の家業は全て、一族の者だけでまかなっているのではないでしょう? 外から雇用し入ってくる人もいるはず」

「その通りなんですけどね、一族の者ではないお姉様にお話しできない事情があるとだけ、お答えしておきましょうか」

 苦笑してシェイラは拒み、意地悪く続ける。

「まあそのうち、お姉様も知ることになるかもしれません。そうなったらそれはそれで、一向に私は構いませんけど」

 それは要するに、一族の者になれと――一族の者と結婚しろということだろうか。そしてそうなった場合の候補筆頭は……いや、それは考えるまい。そしてあるまい。

 レインは私に、自分の女であることを求めていない。それはこの数日で明らかなのだから。

「それでこの家は……モスの家は、何をしているの?」

 気まずさから話題を変えようとした私に、シェイラは屈託を見せなかった。

「モスは船乗りの家です。一族の起源は傭兵団で、初代もその一員でしたが、初代は割と早い段階から海戦力の増強に着手していたようです。レーゲンスベルグ傭兵団は陸戦部隊ですが、ここは港町ですからね。港と往来する船舶の防衛には、自前の武装船は不可欠です。それが船団として形を成し、一つの家の家業として認められるまでには、長い時間と莫大な資金が必要だったと記録されています。そういう点で、モスは割と新興の家ですね」

「そうでしょうね」

 一隻の軍艦の建造費がどれほどのものか、アルバの財政を学んでいた私には判る。シェイラの言う武装船がどの程度の船で、船団がどれほどの規模なのかは判らないが、それでもモス家の家業の大きさと重要性は察せられた。

「船団の仕事は色々あります。他国の海軍に加勢を依頼されることもありますし、貿易船団の護衛を務め長期の航海に出ることもあります。暇を持て余した時には、海賊相手に色々とやらかしているとも聞こえてきたり聞こえてこなかったり。どっちが海賊なんだと言われたり言われなかったり。ま、そんな感じです。兄様も、二年前に父上が亡くなるまでは、船に乗っていました。父上の跡を継いで以降は、陸での仕事があまりに多忙なので、船を降りざるを得なくなったのですが」

「では、今はレインがこの家の当主なの?」

 それほどの重要な家業を負う家の当主なら、その伴侶について一族の他の当主たちがやきもきするのも当然だし、家の中には入り込んだ私を警戒するのも当然だろう。

 半分驚き、半分納得しながら問いかけた私に、シェイラは平然と言う。

「いいえ。兄様は、一族の総領です」

 私はその瞬間、シェイラの言葉の意味が判らなかった。

「当主の中から選ばれる、一族の長。それを総領と呼びます。兄様は二年前、総領だった父上の死に伴ってモスの当主に就任、同時に総領選挙も勝ち抜いて、現在もその責務を担っています」

 ちょっと待って! と私は内心で絶叫していた。本当は声に出して叫びたかったが、貴婦人たるべく育てられた理性が、己に歯止めをかけた。

 ということは。ということはレインは。

 レーゲンスベルグにおける軍事力の、全てを掌握する強大な一族の長。

 そして。

 レーゲンスベルグの市政を掌る、施政人会議の一員――。

「だから言ったでしょう、お姉様」

 絶対に判っててやってる。そう思えるほど小憎らしい無垢な笑顔を浮かべて、シェイラは私に告げた。

「一向に伴侶を決めようとしない若い長が、こんなに美しい女性をド派手なやり方で館に連れ込んだんです。千人を超す一族郎党が皆、お姉様に興味津々になるのはもはやいたしかたないって」

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