16
「大体にして、お兄様が素直じゃないのが悪いのです。一目惚れしたのなら一目惚れしたと、さっさと正直に言えばいいのに、気になってしょうがないくせにわざと無視したり、意地悪をしたりって、お前は一体どこの十歳児か! と。そこのところいかがでしょうお姉様」
そう言われても困る、というのが私の正直な感想である。
シャンビランから帰ってきた翌日、全てを察したかのようにヴァルトは総領館にやってきた。勿論の手土産のかぼちゃパイを切り分けて、シェイラと三人でテーブルを囲んで、第一声がこれである。
「じゃあ、シェイラは最初から、レインが私のことを、その……女性として気にしているということが、判っていたの?」
「私は兄の伴侶となる方以外を、お姉様と呼ぶつもりはありません」
きっぱりと言われて、私は唖然とした。開いた口がふさがらないとはこのことだ。
「それはお姉様に兄との関係を強いるというよりは、いつまでもいらない意地を張っている兄様を揶揄するというか、焚きつけるためだったんですが、まあご不快であっただろうことはお詫びします。……そして、これからもそうお呼びしてよい、ということですよね?」
遠回しにレインとどういう関係になったかと問うてくるシェイラに、私は曖昧に笑うしかない。
シャンビランで彼が私にくれた言葉は、愛の告白……なのだろう。
私はそれに態度をもって応えたと、そういうことになる……のだろう。
いまいち自分たちの行動に自信が持てない私に、シェイラは小さくため息をついた。
「大概私も苛々してたんですよ。大体、兄様が最初から素直に自分の立場を明かし、あなたの身の上を案じている、保護させてほしいと言えば、二週間で今回の一件は片づいたんですよ。それが何ですか? お兄様がつまらない意地張ったせいでお姉様はあんなひどい怪我をされて、その後もいらない腹の探り合いを延々二ヶ月! お姉様が未来のオフェリア様かどうか、確信が持てなかったと兄は言いますけどね、そうであろうがなかろうが、娼館の女の子を身を呈して助けようとしたお姉様の姿に惚れたんだってことには変わりないでしょうが。お姉様が守るべきオフェリア様であろうとなかろうと、まず自分の愛を語ってお姉様の信頼を勝ち得る方が先でしょう。何か私の言っていることは、間違っていますか」
もうここまで来たら驚かない。紅茶で口を湿して、私は問いかける。
「じゃああなたも、最初から私が、未来から来たオフェリアだってことを、知っていたのね。それはレインから聞いたの? それとも、もしかしたら禁書を」
シェイラならばやりかねない、と思っての問いかけに、いとも平然と彼女は答える。
「自分の住んでいる家の中に魔法の道具があって、そのありかも見当がついていて、鍵がかかっていないことも知っていて、それを管理している父親が航海や仕事でちょくちょく家を空けているという状況で、それを盗み見ない子どもがいますか? 言いつけを守って見なかった真面目で馬鹿正直なガキは、兄様くらいです」
「……ええと」
「父様がそうしたのって、1217年の約束の時、ちょうど総領にふさわしい年齢になる兄様に、早いうちから真相を知らせようという計らいだったと思うのに、兄様見ないんですもの。そんな行動力もずるさもない奴で総領務まるか! と思うんですが、まあ嫌よ嫌よも好きのうちというか、真相知った時の反発心がかえってお姉様への執着へとつながったのだから、人生どこに転がるか判らないというか」
私はもはや、どう返答したらいいのか判らない。確かにこれほどしたたかならば、シェイラの方がレインより総領にむいているのかもしれない。だからこそ私は、シェイラに問わずにいられない。
「でも、シェイラはいいの? 私……シェイラがレインの許嫁だと思っていたのだけど」
「……どうしてそういう発想になったんですか?」
半分不快そうに、半分訝しげに、シェイラは上目づかいで私を見る。その目の剣呑さに、私は思わずたじろいだ。
「だって、お母様がいらっしゃる館が他にあるのに、未婚のあなたがどうして義兄であるレインと一緒に暮らさなければならないの? 実際この館の切り盛りをしているのはあなたなのだし、いずれはあなたがこの館の女主人のなるのだとばかり思っていたのだけど」
「お姉様」
「はい?」
今度は半分呆れたように、半分照れたように笑って、シェイラは私に言い放った。
「鈍いです」
その言葉の意味を、私はしばらく理解できなかった。だが目の前に座っているヴァルトが、笑いをこらえながらそっぽを向いているのを見て、やがてはっとした。
かあっと頭に血が上った。
「ヴァルト、あなたが頻繁にこの館に来てたのは、その」
「この館なら剣指南のこともあるし、一族の公邸みたいなもんだから俺も出入りできるけど、女性しかいないモスの館に逢引きに行くのは、さすがの俺でもちょっとね、ということ」
「女手がないと、この館が回らなかったのは事実ですけどね。でも母様に無理言ってここに残らせてもらったのは……まあ、そういうことです」
私は思わず頭を抱える。この二ヶ月間、私はこの二人のどこを見ていたのだろうか。シェイラの言う通り、本当に鈍いことこの上ない。
何のことはない。ヴァルトはシェイラに会うために、この館に通ってきていたのだ。
「でもこれで安心して、私もお嫁に行けるかな。お姉様ならこの館のことも全部お任せできるし、何より十二も下の妹が先に嫁に行くのでは、さすがにちょっと、でしょう? お兄様が責任ある立場であればなおのこと」
「だが、すぐすぐってわけにはいかない。この家とレインとジュリアは、むしろここからが大変だ。俺とお前も、他人面している場合じゃないだろう」
一転して冷静に紡がれた言葉に、私は彼への疑問を取り出した。ここまでの話の流れ、そしてヴァルトの態度。そこから出てくる結論は一つ。
「教えてほしいの。粉粧楼の勝手口で初めて会った時から、あなたは私がオフェリアだってこと、判っていたのね。……レインから聞いたの、私が路頭に迷っていたことをヴァルトから連絡もらって知ったって。それは私が、店を出てからのことよね?」
「ああ」
「つまりあなたは、レインの禁書の守り手としての役目が何かを、知っていたということ? そして、シェイラだけではなく、あなたも禁書の内容を――この一族と私の関係を、大陸統一暦1000年代に何があったかを、知っていた。そういうことではないの?」
「大陸統一暦1000年代から子孫たちに残されていたものは、禁書だけではないってこと。賢者カイルワーンの手書きレシピを俺の家に残してくれたのが誰か、もう君は判っているよね」
私は切なさを胸に抱えて小さく頷く。カイルワーンの姉代わりの者として、感謝してもしたりない大陸暦1000年代の『粉粧楼』の主人。あの子に年少者として人に甘えてもいいことを、頼り信じていいのだということを教えてくれた人。
カイルワーンが心から慕った人の直系の子孫は、私に優しく微笑む。
「レシピと一緒に残されていたセプタード・アイルからの伝言は、ごく単純。大陸統一暦1217年になっても、アイルの家が途絶えてなかったら、そしてここの一族とまだ親しく付き合っていたら、その時の総領はきっと大変だろうから手伝ってやりなさい、とね。その『大変』の意味は書いていなかったけれども、1213年に幼馴染みだったレインが総領になったから、その伝言を見せた。そうしたらあいつは俺に赤の禁書を見せた上で、力になってほしいと率直に言ってきたよ。あの時くそ真面目なあいつは、可哀想なくらい悩んでいたから」
彼が何に悩んでいたのか、何となく判った。それはすでに彼が口にしていたことだ。
私一人のために、ガルテンツァウバーやアルバ暫定政府と全面戦争に踏み切る。その決断を、初代との約束のためとはいえ下していいのか。私一人のために、千人の同胞とレーゲンスベルグ百万人の民衆を巻き込んでいいのか。
その決断は卵と鶏の定めにあって、この時間ではまだ下されていない。だから私は胸の奥が痛む。
レインに申し訳ない、と思う。
「あいつの王家とオフェリア王女、そして初代に対する反発心は大きかった。しかし初代から与えられた恩恵によって、ここまで一族が繁栄してきたこともまた現実だ。1217年に自分と一族がどうしたらいいのか、その答えをあいつは容易には出せなかった。だからこそじりじりとその時が近づいてくる中で、あいつが王家とオフェリア王女との動静に対して鈍感でいることなどできはしない。そしてアルベルティーヌに置いていた間諜から、あいつの元に報告が入った――城下に、王女に瓜二つの女性が現れた、と。だから俺たち三人は、アルベルティーヌで君の検分をすることにした。それが君がアルベルティーヌに現れてから一週間後くらいのことかな」
それほどまでに警戒し、間諜を放っていたというのならば、私の噂がそれほどの速さでレインに伝わっていたことも不思議ではない。納得して頷く私に、ヴァルトの謎解きは続く。
「レインは何度も城の夜会にもぐり込んで、オフェリア王女の所在と特徴を確認してきた。そこで俺たちは、城下にいる女性はどう考えてもオフェリア王女としか思えないが、どう考えても一人の人間ではない、という結論に達した。城の夜会でレインが王女を目撃している同時刻に、俺とシェイラが君を城下で確認していたからね。確認と討論を連日繰り返して、君が『時の鏡』で未来からやってきたオフェリア王女ではないか、という推論に辿り着いたのがその一週間後。君が過去からではなく、未来から来たと推測した理由は……まあ、レインが言ったかな?」
「……ええ」
昨日のことを思い出し、少し気恥ずかしい思いを抱えながら、私はヴァルトに返した。
「シェイラが言うように、この段階で君を保護することはできた。でもレインは踏み切れなかった。その気持ちについては二人が色々言っているけれども、やっぱり推論に確信が持てなかったことが俺は一番大きいと思うよ。これで本当に他人の空似だったら笑うに笑えないし、見ず知らずの相手がいきなり保護を切り出すなんて、どう考えたって怪しい。君もそう言われたって、信用しなかっただろう。信用させるために『赤の禁書』を見せるのは、あまりにも危険すぎる賭だ」
保護を切り出されても、信用されるはずがない――その言葉に、私は心に引っかかるものを覚えた。
その一文に、私は覚えがある。そう、それは私がレーゲンスベルグに来ることになった、そもそものきっかけ。
ほとんど確信していることを、疑問の形で私は取り出す。
「では、私にアルベルティーヌから去るように手紙を寄越したのは……」
「あの手紙を書いたのは、私です」
「で、持っていったのは、俺」
「じゃあ、あれに書いてあった陰謀って……実際のところ、あったの?」
この問いかけに二人が揃ってそっぽを向いたことが、何よりの答えだった。軽く睨む私に、ヴァルトは弁解がましく言い募る。
「全く事実無根ってわけじゃないよ。ただ、今すぐってほど切羽詰まった話じゃなかっただけ。ただ俺たちとしては、君に城への突入を成功されては困る。だからあの手紙で、君をアルベルティーヌから追い立てた。それは申し訳ないことだったけど、事実」
歴史が変われば、自分たちも消えるだろう。そう彼らが思ったのは当然だ。彼らを取り巻く全ての環境も縁も、基となっているのはカイルワーンと彼らの祖先との出会いなのだから。だから彼らが歴史を変えぬよう行動したことを、今となっては責めることはできないだろう。
だからこそ、それを埋め合わせるように彼らは私に優しかったのかもしれない、と心のどこかで納得する。
「君をセミプレナ街道につながる西門の方に追い立てて、そこで偶然を装って拾った。……先に謝っておくけど、君を乗せた荷馬車、あれ、俺らが用意してたうちの一台なんだよ。君が自分から乗せて、と言わなかったら、君が追われているのを見かねたようにして乗せろ、という指示を出してあった。それで君がレーゲンスベルグに来るかは未知数だったけど、アルベルティーヌから出て近くまで来てくれればまずは御の字、そこから別の手を打とうと思ってたら、君はどんぴしゃりレーゲンスベルグに来た。ただ、ここから先が完全に俺の手抜かりだったんだよね」
「手抜かり、というと」
「まさか君が、一文なしになってるだなんて思わなかったんだ。君がお金を持っているらしいことを知ってたから、雇った相手から君がレーゲンスベルグに入ったという報告を受けたところで、俺もシェイラも一旦家に戻っちゃったんだ。レインはもうどうにも仕事が外せなくて、先に戻ってたんだけど、俺もさすがに一月近く店空けてたから、いい加減やばかったんだよね。だからレインに、うまく君をレーゲンスベルグに誘導できたという報告だけして、店に戻った。で、翌朝勝手口開けて仰天した。なんでこんなところにっ! って、喉から心臓が飛び出そうなくらいびっくりした」
それは驚いただろう、と人ごとのように思いつつ、出てくる推論に私は何とも言えない感慨を抱いた。
「あの時私は、人の家の軒先を借りて夜露をしのぐしかなくて……でもそれがあなたの店だったのは、たまたま目について、裏に回れば身を隠せそうだったから、ただそれだけだったの。本当に偶然だったのだけれども、でもそれは」
「やっぱり、賢者カイルワーンかアイラシェール王女か、それともうちの祖先の導きかなあ」
私の思ったことを読んで、しみじみとヴァルトは言う。私も心からそう思った。
「前の晩から、あそこに人がいたことは判ってたんだ。ああ誰かが野宿してるんだって。そういうことは、残念ながらレーゲンスベルグでも珍しくはないし。でもまさか、それが君だったなんて。でも驚いた次の瞬間には、まずいと思ったよ。少しでも休ませないと、早晩倒れそうなくらい君の顔色は悪かったし、お金が尽きていることはもう明白だ。君がパイを食べている間に、どうやって保護を切り出すべきか考えたんだけど、うまい方法も言い訳も見つからなかった。だから君が店を出た後、大慌てでレインに使いを出したというわけだ」
「私は、姉様がレーゲンスベルグに入った段階で、兄様が接触してるだろうと思ってたんです。けれどもあの馬鹿は、その段階でもまだ意地張って何もしなかった。まさか見張りもつけず放置してるとは思っていませんでした。このままじゃ野たれ死ぬぞ! とヴァルトに叱咤され、何のために私らが苦労したんだと私に罵倒され、ようやく姉様探しに出かけ、あの場面に遭遇したという成り行きです」
少しぬるくなった紅茶を口に運び、シェイラは手厳しく言い放つ。
「あそこですんでで間に合ったから、及第点は出してもいいですけど、あれで姉様が死んでたり、娼館に連れ去られたりしていたら、ぼっこぼこにしてやるところでした。せっかくガルテンツァウバーまで船団連ねて助けにいかなくとも、わざわざ近いところまで姉様が自分から来てくださったのに、お前は何をやっているのかと! 取り返しのつかないことになったら、歴代の総領たちにお前はどう顔向けするのかと」
「とはいえ、実際問題どう言って保護すればよかったのか、それが判らずにジュリアを店から出した俺には、レインを責めらんないんだよなあ。だから申し訳ないんだけど、過ぎたことということで水に流してくれればありがたい」
水に流すも何も、と私は思った。
彼らが私を助けなければならない義務はないと、本心から思っている。たとえこの一族の初代や、ヴァルトの先祖がカイルに恩があるとして――いやむしろ、カイルの方が恩があると私は思うし、あの子自身もそうだろうが、それはそれとしても、やはりそれに彼らが縛られなければならない理由はないと思う。
それでも彼らは手を差し伸べてくれた。その手に私は救われた。そのことを私は心底、ありがたく思う。
だからこそ、私は迷う。レインが悩んだように、私も悩む。
なぜならば『私を救う』という最後の禁書の守り手の役目は、実のところまだ何も終わっていないからだ。
だから私は、彼の親友と妹に問いかける。
「そんなことは、どうでもいいの。むしろ問題は、これからで」
歴史の必然と知りながらも、私は迷う。開き直ることなどできはしない。
「私はレインに、これから私のために戦ってくださいと、言っていいのか……」
「あのさ、ジュリア」
こぼした呟きに、呆れ返った声が速攻で返された。俯いていた顔を上げた私に、ヴァルトは断言する。
「それって、これ以上ないほどの大愚問だと思うよ」
「そう、かしら……」
「レインは、君を選んだ。それはそういうことだ。その覚悟もなく、愛を語れるほど無責任な男に君は惚れたんじゃないだろう」
直截な言葉に、私は動揺する。顔を真っ赤にした私に、悪戯っぽくヴァルトは笑った。
「安心しな、レインは強いよ。何せこの俺に、十回やって四回は勝てる男なんだから」
その言葉に背を押されて、私は一歩前へと歩みを進めた。
止まることはできない。時間は刻々と流れ、私たちは否応なしに1217年、そして1219年を迎えなければならないのだから。
だから私は再び、執務室の机の上に伝言を置いて、レインを呼び出す。
『薔薇園の中に朝食の席をもうけました。よろしければご一緒に』
早起きしてしつらえたその席に、レインは悠然と現れた。テーブルの上に並んだ朝食と、朝の光に鮮やかな色を見せる秋薔薇を等分に見やって、掛け値なしの笑顔を見せた。
「いい趣向だな」
真実を知り、禁忌の赤薔薇に何ら恐れを持たない青年は、そうためらいなく言って、二つしかない席の一つにつく。そうしてくつろいだ朝食を始めて、しばし。私はついにその話を切り出した。
「ご飯を食べながらでいいの。構えないで聞いてくれる?」
「……なんだ?」
スープを口に運ぶ手を止め、レインは私を見た。そんな彼に私はパンをちぎりながら、ことさらに気負わないように努めて告げた。
「私がなぜ、この時代に来ることになったのか」
そして私はレインに全てを話した。1217年、グラウス・ブレンハイムによりガルテンツァウバーに拉致されたこと。その後偽りの皇太子妃、事実皇帝の愛妾とされたこと。1219年にガルテンツァウバーが私を擁して、アルバ侵攻に踏み切ったこと。
そして私を乗せたガルテンツァウバー艦隊が、謎の仮面船団に襲撃されたこと。
その彼らが、私をシャンビランへと連れていったこと。
ここまで話せば、決して察しの悪くない彼のことだ。すぐに真相に気づくだろう。
だが――。
「それでね……レイン、あなたはどう思う?」
曖昧に、そして不安げに問いかけた私に、当のレインときたら。
「くっ……くくっ」
「レイン?」
「あははははっっっっ!」
ついに堪えられなくなったとばかり、爆笑したのだ。体を半分に折って笑い続ける彼に、私は声を荒らげる。
「ちょっと、ここは笑うところなの?」
「笑うところだろうが! 笑う以外にどうしろって!」
ようよう笑いを収め、あまつさえ目尻に浮かんだ涙さえ拭って、レインは私に向かう。そこに浮かぶどこかふっきれたような、晴れやかな気配が、かえって私には信じられない。
「あのな、ジュリア、ふくれてないで聞け。確かに俺は小心者だから、見も知らない王女のために一族とレーゲンスベルグを巻き込んでいいかと悩んだし反発もした。それは否定しない。けれども同時に、一族の兵力を全力で行使していい、歴代唯一の総領が自分であることが、誇らしくないはずもない。それは確かに、大変だが面白いだろうとも思った。ちみちみと守勢に回り、一族を守って次代に渡すことだけが役目の総領よりは、確かに。そういう点で、親父が『俺の代の方が面白い』と言ったのは、判るんだ」
やはりこの人も、武人であり傭兵なのだ、と理解した。レインの別の一面を――ある意味では思い描いた通りの一面を見て、私は驚くと同時に納得する。
「だから俺は、反発しつつもどこか期待していた。お前はどんな女だろう、俺が救い守らなければならない運命の相手は、もしかしたら凄いいい女かもしれない。もしお前が、俺が救いたいと願うようなそんな姫だったら――一族の存亡すら賭けてもいいと思えるようなそんな女だったら、俺の人生は最高だなと」
ええと、それは、あなたは総領となった時点から、私を女として期待していたということなの? だから今まで、結婚しなかったの? 思わず問いかけたい衝動に駆られたが、取りあえずこらえた。
いつぞやシェイラが口にした「男ってしょーもない」という呟きを、何となく頭の中に浮かべながら。
「だから心の中のどこかで、常に1217年のことを考えていた。ロクサーヌ朝が崩壊した時、どう軍を動かすべきか。アルバ暫定政府とどう対峙すべきか。事を荒立てずにお前を救出する手立てを講じるべきか、ガルテンツァウバーもアルバ暫定政府も、レーゲンスベルグの併合に乗り出してくるだろう、そんな奴らならいっそ全面戦争に踏み切るべきか。そんなことを色々とな、考えてきたわけだよ。それなのに1217年が来る前に――何もする前に、お前は俺の小遣いだけで助けられてしまった。初代から数えて十代、それだけの当主がこの時のためにと血のにじむ思いで財産を築き、軍を組織して練兵を重ねてきたっていうのに、俺の一月の小遣いで片づいてしまったんだぞ! これで終わったんじゃそのうち、歴代総領たちが『俺たちの苦労は何だったんだ』って、化けて出てくるぞ」
「はあ……」
そういうものでしょうか、と言いたい私に、「それに」とレインは目をきらめかせた。
どこか残忍めいた喜びが浮かぶのを見て取って、私は背筋にぞくりと寒けを感じた。
でもそれに、不思議と恐怖は感じない。
「それに俺は、お前をこの手で直接救いたかった。惚れた女を自分の手で救い出せなかったことのもどかしさは、お前には判らないだろう。金払って拾うだなんて、俺でなくてもできる。――俺の身につけた剣は、俺が繰る兵団は、お前を救うためにあるっていうのに、それが振るう機会がもうすでにないなんて、不完全燃焼もいいところだろう。そうは思わないか?」
この男はなんてさらりと殺し文句を口にするのか。目に浮かぶのは、怒りに対する報復の喜び――私を傷つけた相手に立ち向かえることの喜びであることが判っているから、私は痺れてしまう。
それなのに、さらにレインは私にとどめを刺す。
「笑うしかないだろうが、ジュリア――最高だ。俺はお前を、あの男の手から奪いにいけるんだな」
「……ええ」
覚悟は決まった。
私はこの人と共に行く――あの運命の1219年に向かって。
「レイン」
「なんだ」
「私は私を助けに行く。それは卵と鶏の因果のためだけじゃない。歴史を変えないためだけじゃない。あの無様で可哀想な私を、私は思いきり詰って馬鹿にして、目を覚まさせたい。そしてこの手で、自らを救う道へと進ませたい――私がそうやって、救われたように」
「ああ」
「今の私はまだまだ弱いし、何も知らない。剣のことも、船のことも、用兵のことも何も。でも、あと四年で届いてみせる」
私が嫉妬すら抱かずにいられなかった凛々しく自信に満ちた女に、私はなってみせる。
「あなたの一族とこのレーゲンスベルグの街を、危険に巻き込むことを、心から申し訳なく思います。けれども彼らを守るため、私も全力を尽くします。あと二年に亘る、黒の禁書以上の『時間の記憶』の全てを、あなたに預けます。だから、レイン」
請い願う、共に戦いの道を行くことを。
「私と一緒に、私を助けてください」
私の懇願に、レインはしばし沈黙した。真面目な顔で私を見つめ、やがて。
「お前は俺に、自分の騎士になれとは望まないんだな」
「だって私はもう、王女ではないもの。それに私は」
「私は?」
一瞬言いよどんだ私に、レインは問い返してくる。微かに俯いて、染まる頬を隠して、私は告げた。
「あなたと並び立てるものでありたいのだもの。あなたが私を助けるだけではなく、私だってあなたを助けたいのだもの」
かなり決死の覚悟で告げた恥ずかしい言葉に、レインははにかむように笑って告げた。
「そう言うのなら、役に立ってもらう。事実、俺はお前の力を必要としている」
「……レイン」
「間違いなく俺は、統治力も智略もお前に劣る。そして俺の身は一つしかない。俺が指揮官として最前線に立つためには、ここで俺の職務を代行してくれる人間が必要だ。……他の当主じゃ駄目だ。俺のすぐかたわらにあって、俺の意を誰よりも酌んでくれる存在がほしい」
この言葉に、私は頷いた。
評価してくれることが嬉しかった。そして、その評価に答えられる人間になりたい、と心から思った。
信じてくれることが、そうして重い責務を預けてくれようとしていることが、嬉しかった。
「お前が望まないのならば、俺はひざまずきはしない。騎士の誓いも立てない。だがそれでも、この名をもって――レインズ・モス・ザクセングルスの名をもって、初代と歴代総領に誓う。俺は初代との約束を最後までやり遂げる。その上で一族も、この街も全部守り通してみせる。だから、ジュリア」
騎士の口づけではなく、忠誠を誓って差し出される剣ではなく。
レインは手を差し伸べてくれる。騎士と姫でなく、共に戦う者として対等であることを望み、誓って。
「行くぞ」
「ええ、喜んで」
その冷たく固い手を強く握りしめて、私は新たな人生の一歩目を踏み出した。
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