断章4 トリックスター
俺は、9月に入ってから、俺の彼女である藤原さんと『恋愛戦線』の作者である間男皆月の放課後の行動を監視していた。
彼らはいつも同じように図書館に行き、閉館になると途中まで一緒に帰っていた。
二人で楽しそうに歩く後ろを、俺は歩いていた。
右手にソフトボール大の銀色の金属球を握りしめながら……
***
「あなたはそれでいいのかしら?」
間男の存在を知ったあの日、自宅近くの公園にたたずむ赤いドレスの妖艶な女性が俺に向かってそう語りかけてきた。
俺は足をとめ、女性を見た。
綺麗な女性だった。
美しさだけなら、藤原さん以上だろう。
蠱惑的な笑みを浮かべる女に、俺は問いかける。
「あなたは、いや、あなたたちは何者なんだ」
俺が帰宅するたびに、この公園に佇んでいる人が俺に語りかけてきた。
俺は面識がないし、うっとおしいから無視していたが、よく考えると不思議だった。
俺に声をかけるようになったのは、俺が2年生になったころからだが、かならず俺が帰宅するときに、公園に佇むそれは、俺に語り掛けてきた。
しかも、1度たりとも同じ人間はいなかった。
ある時は老婆、ある時はサラリーマン、ある時は小学生
年齢も性別も容姿も全く異なる人びとが俺に語り掛けてくるのだ。
そんなこと、あり得るはずがないのに。
「私のこと? あなたなら知っているはずよ、賢いあなたなら」
女は問いかける。
「これが日常ではあり得ない非日常であると考えるのならば、私の正体にも気づくはずよ」
女の問いかけに、俺は答えられなかった。
頭の中で何かが引っかかっているが、答えが見つからないのだ。
「ならヒントをあげるわ」
その姿が瞬く間にかわっていく、赤いドレスの妖艶な女性から、黒い肌の神父服の男性に。
「コレデ理解デキタカナ?」
対峙しているのに、その貌がはっきりとわからない。
そうだ。
俺は、この男を、これまで読んできたホラー小説で知っている。
「ナイ神父、千の無貌、這い寄る混沌……」
俺はそれの名を呟いた。
「ナイアルラトホテップ!」
「イグザクトリー! 賢シイ子ハ好キダヨ」
それは、ラグ・クラフトを中心とした作家たちが創り上げた「クトゥルフ神話」の神の一人
狂気と混乱もたらすために自ら暗躍するトリックスターだった。
彼の神に出会ってしまったものは、その運命を歪められ絶望のまま滅んでいく。
そんな神が、物語の中にしかいないと思った彼が、なぜ俺のもとに。
「今ノワタシハ、愛スルモノノミカタデス」
ナイ神父の姿をした神は、胡散臭い説明をはじめる。
「愛ハ素晴ラシイ。ソノ想イノ強サハ畏敬スラ感ジテシマウ。ダカラ、私ハ愛ヲ研究シテイマス」
にこやかにナイ神父は語ると、懐からソフトボール大の銀色の金属珠を取り出すと、俺に差し出してくる。
「これは?」
「愛ノ猟犬ノ箱デス」
ナイアルラトホテップ、猟犬、球形、それらのキーワードから、俺はこの金属球に中に封じられしものの存在をに気づいた。
ティンダロスの猟犬
クトゥルフ神話のモンスター「神話生物」の一体だ。
猟犬と称されるが、犬に似た4つ足の生物であり、人間を襲う習性がある。
曲線を嫌い、猟犬を封じる魔導具は球形であることが多い。
「コノ箱ノ猟犬ハ、私ガ改造ヲホドコシテイマス。封印ヲ解ケバ、解放者ノ恋敵ヲ屠ル事ガデキマース」
もしも、ナイ神父の説明が本当ならば、俺にとっては手が出るほど欲しい魔導具だ。
あの間男の存在を消すことができる。
だが、そんな無条件で便利な魔導具をナイアルラトホテップが貸してくるはずがない。
「タダシ、解放シタ時点デ、恋敵ノ方ガ愛ガフカケレバ、猟犬ハ解放者ヲ襲イマス。諸刃ノ剣ノ魔道具ナノデス」
やはり、便利な魔導具ではなかった。
だが、俺の愛が、あの間男に負けるとは到底思えなかった。
「コノ箱イリマスカ?」
俺の心を見透かすように彼は尋ねてきた。
****
そして、俺は魔導具を握りしめ、2人を追跡していた。
俺が見る限り、2人はまだ恋人同士にはなっていないようだった。
友達以上恋人未満といったところか
甘酸っぱい青春を送っているともいえるが、そんな二人の様子を見て虫唾が走る。
彼女の隣には本来は、俺がいるはずなのに……
間男に対しては怨みしかない。
俺としては、最高だった『恋愛戦線』もつまらなくなっていた。
夏休み前から、次第に路線変更をしてきたのだ。
きっと、俺の彼女を奪い取った影響なのだろう。
俺は読者「暗黒卿」として何度も忠告したが、彼は聞き入れなかった。
なぜか一部の読者には評判がよかったが、俺からみれば、どんどんつまらなくなっていった。
そして、俺の女を、作者としての立場を利用し、奪い取ったあの日、俺は、奴はメッセージで「裏切者」と告げ、小説のブックマークを消した。
きっと、俺のような素晴らしい読者から嫌われて、かなりショックを受けているだろう
だが、それも自業自得だ。
『恋愛戦線』を駄作にかえ、俺の女を奪ったあの男には死こそがふさわしい。
俺は魔道具「愛の猟犬の箱」を見る。
これをつかえば、完全犯罪の完成だ。
だが、俺にこの魔道具を与えたのはナイアルラトホテップなのだ。
その事実が、この魔導具の使用をためらわせる。
いつ使うかが問題だ。
それに、この調子で、二人がこれ以上進展がないのなら、この魔導具を使用する必要もないのかもしれない。
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